第五十話:言葉の刃、知略の嵐
第五十話:言葉の刃、知略の嵐
執筆:町田 由美
柴桑の評定の間。
重厚な扉が開かれた瞬間、私を待ち受けていたのは、二十余名の文官たちが放つ、凍りつくような「拒絶」の気配だった。彼らは整然と居並び、壇上に座す孫権の周囲を、鉄壁の「降伏論」で固めている。
私は、魯粛の後に続き、ゆっくりと中央へと歩み進めた。
羽扇を胸の前で静かに動かす。私の足音だけが、広大な間に反響し、男たちの視線が私の白い衣を刺し貫く。
「……貴殿が、劉備将軍の使い、諸葛孔明か」
口火を切ったのは、呉の重臣、張昭だった。その声には、敗軍の将から来た使者を憐れむような、傲慢な響きがあった。
「博望坡で一度ばかり小細工を弄したと聞いたが、結局は長坂坡で民を見捨て、尻に帆をかけて逃げ出したとか。……その貴殿が、何の御用でこの江東へ? 我ら呉の安泰を、その汚れ果てた口で説こうというのか?」
冷笑が渦巻く。私は歩みを止め、張昭を真っ直ぐに見据えた。
「……張昭先生。……大鵬が万里を飛ぶ志を、雀が理解できぬのは道理です。……劉備将軍が十万の民と共に行軍されたのは、それが『王の道』だからです。……負けて逃げるのは兵術の常。……だが、戦わずして膝をつき、己の国と民を賊に差し出そうとするのは、文官の『恥』、学問の『死』ではありませんか」
「なんだと! 貴様、曹操の五十万という数字を知っての狼藉か!」
別の文官、虞翻が立ち上がる。私は羽扇をピシャリと閉じ、彼を指差した。
「五十万? 愚かな。……曹操の兵は北の砂塵には慣れていても、この長江の波には酔い、江東の湿った風に病む。……彼らは巨大なだけの『枯れ木』に過ぎない。……それとも、江東の賢人たちは、数字を見ただけで思考を止めるほど、腑抜けになられたのですか」
次々に立ち上がる群臣たち。
歩騭、薛綜、程秉。彼らが投げる非難の礫を、私は一つ一つ、絶対的な「理」で叩き落としていく。
「儒者の務めとは、主君を正しい道へ導くこと。……あなたがたが行っているのは、主君を売って己の安泰を買う、商人の振る舞いだ!」
「劉備将軍に勝算などあるのか!」
「勝算? ……今、この瞬間に私がここに立っていること、それこそが最大の勝算です。……曹操は天下を恐れさせているが、私はその曹操を『恐れぬ者たち』を一つに束ねに来た。……あなたがたが震えているその膝を、私の言葉が支えて差し上げようと言っているのだ!」
広間が静まり返った。
二十人以上の知性が、一人の書生の「言葉の暴力」の前に沈黙した。
私は最後の一歩を踏み出し、壇上の孫権を見上げた。
若き碧眼の主君。彼は、群臣たちの醜態を黙って見つめ、そして今、私の瞳の奥にある「地獄」を探ろうとしていた。
「……諸葛亮よ。……貴殿の舌は、確かに鋼より鋭いな。……だが、曹操の刃は、言葉では防げぬぞ」
「孫権様。……曹操が最も恐れているのは、百万の兵ではありません。……あなたがその腰の剣で、自らの『迷い』を断ち切る、その瞬間の音なのです」
彼は、血を流さずに呉の喉元を掴み、その首を無理やり曹操の方へと向けさせた。
舌戦の嵐が止んだ後、評定の間に残されたのは、敗北感に震える群臣たちと、戦うことを選ばざるを得なくなった、一人の英雄の覚悟だった。
(……月英殿。……私の言葉は、また火を呼びました。……今度は、長江すべてを赤く染めるほどの、巨大な火を)




