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『諸葛孔明 星辰の理(ことわり)』  作者: velvetcondor guild


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第四十一話:土に刻む理

第四十一話:土に刻む理


執筆:町田 由美


 新野の城壁の外、わずかに残された官有の荒れ地。

 戦火の予感に怯える民たちが家財をまとめ、兵たちが武器を研ぐ喧騒の中で、私は一人、かつて隆中で手にしていたのと同じ、古びた鍬を振るっていた。

 ザクッ、ザクッ……。

 冬の終わりの硬い土が、私の腕に確かな手応えを返してくる。

 羽扇うせんを傍らの切り株に置き、額に滲む汗を拭う。

 この手に伝わる土の冷たさだけが、今、私の「理」が空想の産物ではないことを証明してくれていた。

 「……軍師殿。こんな時に、何をなさっているのですか」

 馬を連れた趙雲(子龍)が、呆然とした表情で立ち止まった。

 私の背後には、等間隔に整えられたうねと、そこに植えられたばかりの青々としたかぶの苗――後に民が「諸葛菜」と呼ぶことになる、成長の早い作物が並んでいた。

 「子龍殿。……戦とは、敵を殺すことだけではありません。……敵を殺した後に、残された民が何を食べて生きるかを考えることも、軍師の務めです」

 私は、腰を伸ばして荒れ地を見渡した。

 

 「曹操の五十万が来れば、この街の食糧庫は空になるでしょう。……あるいは、焼き払われる。……だが、この作物は、播種から収穫までが極めて早い。……逃避行の合間、あるいは戦後の荒野でも、これさえあれば民は飢えを凌げる。……私は今、未来の命を植えているのです」

 私は再び鍬を打ち下ろした。

 博望坡で万の命を焼いたこの手で、今は小さな一粒の種を土に還す。

 

 「……軍師。あなたは、本当に不思議な御方だ」

 

 趙雲は馬から降り、自らも小刀を抜いて、畝の端の雑草を刈り始めた。

 

 「私は、命を奪うことの重さに耐えかね、あなたの瞳の奥に迷いを探しました。……ですが、ここにあるのは迷いではない。……徹底的な『慈しみ』を形にするための、冷徹なまでの計算なのですね」

 「……計算、ですか。……そうかもしれません。……私は、飢えて死ぬ民の数を、一人でも多く『引き算』したいだけなのです」

 やがて、収穫期を迎えた別の区画から、私は手際よく育った蕪を引き抜いた。

 土を払い、その瑞々しい白さを眺める。

 食糧の心配は、戦略の根幹だ。兵を動かすのは「義」だが、兵を歩かせるのは「飯」なのだ。

 「子龍殿。これを、今日の炊き出しに使いなさい。……兵たちには、自分が食べるものがどこから来るのか、それを知る権利がある」

 そこへ、劉備将軍が、関羽・張飛を伴って現れた。

 土にまみれた私の姿を見て、張飛は大笑いした。

 「がはは! 軍師、あんた、やっぱり農夫の方が向いてるんじゃねえか! ……だが、その蕪の匂い、悪くねえ。……俺の部下どもにも、腹一杯食わせてやってくれ!」

 関羽は、私の泥だらけの手をじっと見つめ、静かに一礼した。

 

 「軍師殿。……あなたの『理』が、土にまで及んでいること、感服いたしました。……この関雲長、あなたが植えたこの命、一つたりとも曹操に踏みにじらせはしません」

 私は、引き抜いた蕪を劉備将軍に差し出した。

 

 「将軍。……これが、新野の土の味です。……我々が守らねばならないのは、城壁ではなく、この土を耕す民の日常なのです」

 劉備将軍は、その蕪を両手で受け取り、深く頷いた。

 「……ああ。……孔明殿。……私は今、ようやく分かった。……なぜ元直が、貴殿を『龍』と呼んだのか。……天を飛ぶだけが龍ではない。……深く土に潜り、命の根源を支える者こそが、真の龍なのだ」

 夕闇が迫る中、私は最後の一畝を耕し終えた。

 

 

 

 迫りくる五十万の足音を背後に聞きながら、彼は鍬を持ち、命の種を植え続けた。

 それは、絶望の淵に立たされた軍師が、自分自身を「人間」として繋ぎ止めるための、孤独で気高い戦いでもあった。


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