第百一話:英雄の挽歌、洛陽に舞う白き雪
第百一話:英雄の挽歌、洛陽に舞う白き雪
執筆:町田 由美
西暦220年、初頭。洛陽の城内に、冷たい風が吹き抜けていた。
魏の王・曹操のもとに、呉の孫権から一つの箱が届けられた。中に入っていたのは、塩漬けにされた関羽雲長の首であった。
孫権の狙いは明白だ。「関羽を殺したのは我らだが、その首を魏に送ることで、劉備の復讐の矛先を曹操へ向けさせる」という姑息な責任転嫁である。
だが、六十五歳となった曹操は、その箱を開けた瞬間、周囲が息を呑むほどの沈黙に陥った。
「……雲長。ついに、このような形での再会となったか」
曹操は、箱の中の首に向かって、まるで生きている友に語りかけるように呟いた。
「かつて私のもとを去る時、貴公は『義』のために死ぬと言ったな。……見事だ。だが、惜しい。貴公を失ったこの世界は、あまりに退屈で、あまりに狭すぎる」
曹操は、孫権の目論見を逆手に取るかのように、臣下たちの反対を押し切って宣言した。
「関羽を『一国の王』の礼をもって葬る。沈香の木で胴体を彫り、王の衣を纏わせよ。洛陽の全臣民に喪に服すことを命じる!」
同じ頃、成都。
私は、密偵一号がもたらした洛陽の葬儀の様子を聞き、夜の静寂の中で一人、香を焚いていた。
「……曹操殿。……あなたはやはり、誰よりも雲長殿を理解していたのだな。……敵として討ちながらも、その魂を最も高く評価していた」
私の隣では、妻・月英が白装束を纏い、静かに涙を拭っていた。
「孔明様。……呉の孫権殿は、関羽殿を『障害』として殺しました。けれど曹操殿は、彼を『英雄』として送った。……この差が、これからの天下の形を決めるのかもしれません」
「……ええ。だが、成都の王(劉備)は、そのどちらの解釈も受け入れられない。……将軍にとって、雲長殿は英雄でも障害でもない。……自分の一部、魂そのものだったのだから」
私は、影の貿易で得た最高級の絹を、供養のために切り裂いた。
洛陽で行われている盛大な葬儀。それは曹操なりの敬意であったが、同時に成都の劉備にとっては「最愛の弟を晒し者にされた」という、さらなる怒りの燃料となった。
「……密偵一号よ。曹操の健康状態はどうだ」
「……芳しくありません。関羽将軍の死に触れてから、頭痛が悪化し、寝込む日が増えているとのこと」
私は、予感していた。
関羽という巨星が落ちたことで、連鎖するように曹操という太陽もまた、沈もうとしている。一つの時代が終わり、血を洗うような「復讐の時代」が幕を開けようとしている。
「……子龍殿。……全軍に告げなさい。……喪に服す期間は終わった。……これからは、涙を鋼に変える時だ。……だが、その刃をどこに向けるべきか、私はまだ、王を説得せねばならない」
彼は洛陽の空に舞う葬儀の煙を思い浮かべながら、手にした羽扇を強く握りしめた。
軍神の死が、三國の均衡を粉々に砕き、冷徹な理性を、狂気じみた情念へと塗り替えていく。
西暦220年。
曹操による盛大な葬儀が終わる頃、中原には雪が降り始めた。
それは、英雄たちの時代の終わりと、果てしない冬の訪れを告げる白き弔いの雪であった。




