第9話 薬草狩り
「ええと、これは……レクペ草かな? いや、プレナ草かな……」
スマホで撮影してきた薬草学の本を拡大表示しながら、俺は目の前に生えた草と格闘していた。魔法薬の材料となるらしい、レクペ草とプレナ草。本によると葉が尖っているのがレクペ草で、肉厚な葉をつけているのがプレナ草らしいのだが、素人が判別するのはなかなか難しい。
「……あ、そういや俺、ステータス見れるんだったわ」
俺は自分のマヌケっぷりに苦笑しながら、眼の前の草に手を伸ばす。
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名:ただの雑草
品質:低
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「クソがーーー!!!」
……薬草なんかじゃなかった。
結局のところ、触れさえすればステータスを見られることに気付いた後は、薬草の判別は格段に楽になり。俺は採集作業を順調に進めていく。
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名:レクペ草
品質:中
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名:プレナ草
品質:低
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それなりに数を集めるうちに気付いたのだが、どうにも薬草の品質が良くない。
見れば、草は葉が虫に食われているものが多く、また葉には白い斑点のようなものが付いているものも多いのだ。
「いや、分かってるんだ。こんなの、"cheat"使えばいくらでも品質は上げられるよな」
だが、初日の魔石の売却であやうく矛盾がバレかかった俺は、今度こそ慎重だ。
品質を上げた薬草を持っていったらどうなるのかを、脳内で予想してみる。
「まぁ! 何て素晴らしい品質の薬草なのでしょう!」
「しかも虫と粉カビ病の影響がない!? 一体どうなっているんだ!?」
「それに見て下さい! この時期ではありえないほどに成長していますよ!」
「「「君! これは一体どこで採集したんだね!!!」」」
…………うん。これはこのまま持っていこう。
ステータス表示のお陰で収集の効率は良いはずなのだ。それだけで満足するべきだろう。
日が傾くまで薬草収集を続けた俺は、パンパンに膨らんだ袋を担いで街への帰路についた。
同じ様に森に入っていた冒険者たちも帰る時間なのか、同業者らしい姿がちらほらと目に入る。
森で狩ったのであろう、鹿らしき動物を四人がかりで運ぶパーティなどもおり、その成果を誇示するように、ワイワイと賑やかに話しながら歩いている。
やがて、太陽が森の木々の裏に隠れ、夜の帳が降りかけた頃、俺はボレスウォールの街へと帰り着いた。
* * *
「ま、品質は良くねぇな。だが、今の時期はこんなもんだろう」
袋から出した薬草を眺めていた親方肌の男が、ぶっきらぼうにそう返す。
俺が居るのは冒険者ギルドの買い取り窓口。常時依頼の納品も、ここで行うらしい。
「にしても、なかなかの量だな。今日は朝から潜ってたのか?」
「あ、いえ。お昼からです」
「ほう、たった半日でこの量か。見習い級にしちゃぁ大したもんだ」
男は、ランプを持ち上げて薬草を光にかざす。
「この新鮮さじゃ市場で買った薬草を混ぜて嵩増ししてる訳でもなさそうだな。よっぽど目がいいのか、余計な草も混じってねぇ。お前さん採集冒険者としての素質があるよ」
「ありがとうございます」
「この量と品質ならギルド貢献は二点をやれるな。身分証を貸しな」
渡した身分証を確かめつつ、手元の書類に何かを書き込む男。
「レクペ草の重量が二フィリと八ユニス、プレナ草が三フィリと五ユニスあるな。今は薬草の質が下がる時期だからな、この品質でも買い取り価格は一銀貨と八十銅貨になる。夏になると価格が落ち着くから、良い状態のものだけを選別して採集しろ」
「わかりました。ありがとうございます」
また何やらよく分からない単位が出てきたが、重さだろうか? ま、分からないものは無視するに限る。どうせ分からなくてもなんとかなるのだし、困った時に聞いて覚えればいい。
男は銀貨一枚と大銅貨八枚をトレーに乗せて渡してきた。
ロゼッタ雑貨店で購入した、こちらの世界の財布にしまう。
納品を終わらせギルドの中を見渡したが、中は閑散としていた。
エステルさんの姿を探したが、もう帰ったのか見当たらない。
俺も冒険者ギルドを後にする。行き先は、当然昨日泊まった宿だ。
街中に街灯の明かりはなく、こちらの世界の夜は暗い。
だが、半月が空に輝いているお陰で、視界はそれほど悪くない。
「こっちの世界にも月があるんだな……。で、満ち欠けもする、と」
確か、地球にあの大きさの月があるのは、奇跡的な確率だという話だったが。
「結構地球に近いよな、こっちの世界。スマホのアラームがちゃんと動作したとこ見ると一日の長さも同じくらいっぽいし」
女神アンフィリアとまた話せる機会が来るのなら、色々と尋ねたいことが多い。
俺の頭の中には、この世界についての疑問が色々と溜まっている。
考え事をしながら歩くうちに、やがて俺は昨日の宿へと到着した。
泊まった部屋が今日も空いていたので、同じ部屋を取る。
体を拭いて夕飯に舌鼓を打った俺は、前の日と同じ、心地よい夜を過ごした。
* * *
「え? 狩猟ですか? うーーん……。私はまだやめておいた方が良いのではと思いますが……」
窓口に座ったエステルさんが、頭を抱えている。
今日は朝から宿の主人に勧められた浴場に出向いてさっぱりし、今はお昼過ぎだ。日本人の性か、かなりの長湯をしてしまった。
「何事にも初めてはあると思うんです。どうせなら、早いうちに経験しておきたくて……」
「……わかりました。でしたら、常時依頼の対象になっている動物や魔物を狩ってみましょうか」
俺の言葉に、不承不承といった表情を浮かべながらも、彼女は説明を始める。
「動物であれば鹿や猪。魔物であれば等級外の魔物は、見習い級冒険者でも狩ることのできる難易度だと言われています。等級外の魔物は、この辺りでは角兎などが有名ですね」
「つのうさぎ、ですか」
ファンタジーの王道の角兎。本当に居るんだ。
「はい。小さいですが俊敏ですばしっこく、凶暴な魔物です。巣のそばに近づかなければそれほど害はありませんが、畑などの側に巣穴を作ることもあり、気付かず踏んだ者が大怪我をすることもしばしばです」
「そんなに危険な魔物なんですね」
俺の武器はメイス。小さくてすばしっこい魔物は相性が悪いかも知れない。
エステルさんも同じことを思ったのか、その視線は俺の腰から吊るされた、鈍く光るメイスに向けられる。
「…………」
「……あー、角兎は……。やめといたほうが良さそうですかね……?」
「私もそう思います。その武器では……」
エステルさんは、ぎこちなく呟いた。
うん。狙うべきは、鹿か猪ってことだな。
……猪は何か怖そうだし、鹿にしとくか。
* * *
狙った獲物が、そう都合よく手中に収まるとは限らない。
釣りであっても狩りであっても、それは一種の世の常である。
――この一週間で、俺は嫌というほどそのことを痛感していた。
「……何か、逃げていくんだが」
この七日間で何度目かになる遭遇をふいにした俺は、絶望に打ちひしがれつつそんな言葉を口にする。
先週、鹿を狩ったパーティーを目にした時は、狩りに成功してテンションが上っているんだな、くらいにしか思わなかったが、今なら分かる。
彼らはきっと、自分たちが成し遂げた快挙に、心から喜んでいたのだ。
「よく考えたら当たり前だよな。肉食でもない野生動物だ。人間みたいな訳わからん生物と出会ったら、当然逃げる」
言うまでもないことである。前世の日本でも、鹿狩りに使うのは罠か鉄砲。間違っても棍棒を握りしめて狩りに行く猟師なんて居ない。
「こりゃ弓か銃が居るな。弓なんて扱ったことないし、現実的なのは銃か……」
俺は、銃器で武装した冒険者がちらほら居たことを思い出し、独りごちる。
向こうから襲ってくる敵が相手ならともかく、すぐに逃げ出す野生動物を仕留めるには、遠距離から狙える武器が必要不可欠だ。
俺は狩猟を諦め、今日も植物素材を採集して帰ることに決める。
最近の俺は、尋常ではない量の薬草を納品する異国人として、ギルドで少し有名になっていた。
「ええと、この辺ならデレクタ草の自生地が近かったな……」
デレクタ草は滋養強壮薬の原料になる薬草で、煎じて飲まれることもある。
魔法薬の作成に使われる薬草と異なり買い取りの単価は安いが、森の中の三角形の平地に大量に自生しており、ここ数日は何度かお世話になっていた。
「……ん、何か居るな。何だアレ?」
デレクタ草の自生地にやってきた俺は、小さくて茶色い何かが座り込んでいることに気づく。
どきりと緊張が走り、腰から下げたメイスを手に持った。
俺は、足音を殺してそろりそろりと近づく。
やがて、全容が目に入ったそれは。
「おおっ、これは……!!」
背中に可愛らしい斑点をたくさん背負った、小さな仔鹿だった。