第5話 冒険者登録
「改めまして、私はエステルと申します。実はまだこちらに赴任してから日が浅く、街のことは詳しくはありません。ですが、ギルドのことであれば何だってお尋ね下さいね」
温和そうな笑みを顔に浮かべて、にこやかに話すエステルさん。
俺も彼女に名乗ろうとするが、名字は……伏せておいたほうが良いだろうな。
「よろしくお願いします、エステルさん。俺は涼太郎と言います」
「リ、リオタッロ様、ですね。大丈夫です」
「いえ、涼太郎」
「リョ、リョタロー様……すみません」
普通に言葉が通じる異世界だが、どうやら固有名詞になると発音が違うらしい。うまく発音できず恐縮した様子の彼女に、俺は笑顔で応じる。名前の発音が変だからといって怒り出すほど、俺は狭量ではない。
「リョタロー様はギルドへの加入をご希望とのことですので、まず冒険者登録の手続きを先に済ませてしまいましょう。素材の買い取りは冒険者でなくとも可能ですが、登録した後の方が買い取り額が高くなりますので」
それはありがたい申し出だが、登録費用の有無は先に確認しておいたほうが良さそうだ。異世界のお金は持っていないので、先払いのパターンだと困る。
「あの……この身なりで想像が付くかも知れませんが、手持ちのお金がありません。もし冒険者登録に費用がかかるのであれば、先に魔石を換金してからの方が良いかと思いますが……」
「どうかご心配なく、リョタロー様。冒険者登録に掛かる費用は三フィリアルですが、冒険者登録の後、一ヶ月以内にお支払い頂ければ大丈夫です」
困った。この国の通貨単位が分からない。
が、全ての冒険者が支払うことになる登録費がべらぼうに高い訳もない、か。
ここは平然としているのが正解だろう。
「ありがとうございます、安心しました。それでは、先に登録でお願いします」
「かしこまりました」
エステルさんは鞄の中から、一枚の紙切れを取り出した。
やや荒い品質の紙で、手書きらしき文字が色々と書かれている。
用紙を間違えていないことの確認なのか、彼女はそれに軽く目を通してから机に置いた。
「リョタロー様は文字の記入については大丈夫でしょうか? 必要であれば私が代筆致しますが……」
ここは任せたほうが確実だろう。書けるような気もするが、確実ではない。
「すみません、代筆をお願いします。書くのはちょっと自信が無いです」
「かしこまりました。それでは、これからの質問に答えてくださいね。ええと、まずはリョタロー様、家名からお願いします」
……名乗って良いのか? 名字。
「…………家名はこちらでは一般的なので?」
「そうですね、奴隷などを除く多くの方は、一般に家名を持ちますよ。百年ほど前までは名前だけだったようですが」
なるほど。変に気を使う必要は無かったらしい。名字を名乗ったら貴族と間違われるのでは?――そんな勘違いをしていた自分が痛々しく思えてくる。
俺は、なんでもない風を装いつつ自分の名字を答えた。
「家名は冬月です」
「ありがとうございます、フューズキ様」
他に尋ねられたのは、名前の綴りを知っているかということ、年齢、犯罪歴の有無など数項目だけ。あとは容姿の特徴や、髪や瞳の色、身長や体型などを職員が記入するらしい。
「黒い髪に茶色の瞳、そして異国風の顔付き。リョタロー様の特徴はとても書きやすいですね。他の方だと目はこうで、とか鼻はこうで、とか色々と書かなくてはいけませんので」
一通りの記入を終えた彼女は、確認のため各項目を読み上げた後、用紙を持って席を空けた。しばらくして戻ってきた彼女の手には、紐の付いた小さな木の板が一つ。
「お待たせいたしました、リョタロー様。それでは、こちらが冒険者ギルドにおける、貴方の身分証になります。ちなみに、冒険者の位階についての説明はご入用ですか?」
「はい、お願いします」
「かしこまりました。まず、設けられている位階の数についてですが……」
彼女の話によると、冒険者のランクというのは、基本的には黄金級から見習い級までの五段階。
実際にはさらにその上のランクが三段階存在するらしいが、それらは国を救うような英雄的な働きをした者に対して与えられる階級のため、普通の冒険者には縁が無いものらしい。
「登録したばかりのリョタロー様は見習い級から始まりますので、身分証はこちらの木板になります。これは、位階が上がると位階名に応じた素材の物に取り替えられますよ。黄金級の身分証ともなれば、ヴェライン金貨数枚分の価値があります。昇格時の身分証の交換は無料ですので、頑張ってくださいね」
エステルさんは話がうまく、本当に活躍を期待されているかのように錯覚する。
まぁ、実際にはどの新人冒険者にも言う決まり文句なのだろうけど。
「冒険者の方々は、ギルドで行われる様々な講習に無料で参加できます。ちょうど明日は毎週の初心冒険者講習が行われる日で、朝から参加の受付がありますよ。きっと、とても為になる知識が得られると思います。リョタロー様もぜひご参加くださいね」
「ありがとうございます、参加してみますね」
俺は彼女に礼を述べ、受け取った身分証を首に下げた。
うっすらと白い木の板でできた身分証は、縦横四センチほどの四角形。角は丸く削られており、裏表両面にびっしりと文字が焼き付けてある。
「よくお似合いです。これでリョタロー様も立派な冒険者ですね」
「ありがとうございます」
彼女はにっこりと笑って、俺を持ち上げる。悪い気はしない。
ふと、俺はあることに思い至る。
異世界モノにありがちな、冒険者登録の際の能力判定とかは無いのだろうか。
「そういえば、登録に際して、ステータス鑑定のようなものは無いのですか?」
「『地位の鑑定』……ですか? 仰っている意味が分かりかねますが……?」
「あ、いえ。俺の思い違いだったようです。忘れて下さい」
不思議そうな顔を浮かべてきょとんとするエステルさん。俺は慌てて言い繕う。
……もしかしてこの世界、ステータスとか無いのだろうか。
ステータスを閲覧できるのは、もしかして俺だけ……?
もしそうなら文字通りのチート能力だが。
「おほん。それでは、次は買い取りでしたね。さっき魔石と仰っていましたが、どのランクの魔石がおいくつでしょうか」
「ええと、ちょっとまってくださいね…」
エステルさんは気を取り直し、買い取りについて言及した。
俺は床に置いていた魔石などの包みを持ち上げて膝に乗せ、それを解く。
「本来、魔物素材の買い取りと納品は買い取り窓口にて行うのですが、魔石でしたら私でも対応できますよ。こう見えて魔石の鑑定には自信があるんです……ってええええ!? 何ですかそれ!?!?」
魔石を机に置こうと手に取ったが、持ち上げてから血や肉片で汚れていることに気が付いた。机に置くまいか迷っていると、魔石を目にしたエステルさんが声を上げて驚く。
「ちょ、ちょっとよく見せて頂いても……?」
彼女はポケットハンカチを取り出して机の上に敷くと、手が汚れるのも気にせずに魔石を受け取った。真剣な眼差しで、食い入るように見つめる。
「…………これは控えめに見積もっても、通常の魔物区分の中では最大級の脅威である、『特級』に部類される魔物の魔石だと思います。あるいは、さらにその上、『災難級』のものであってもおかしくありません。……リョタロー様は一体これをどこで手に入れられましたか?」
「ああ、いや。拾ったんです。運の良いことに」
「特級」だの「災難級」だのという言葉が聞こえた。
「魔物を倒して」なんて言ったら大事になるというのは嫌でも想像が付く。
ここは誤魔化すのが正解だ。
「お拾いになった……?? でも、付着している血や肉片はまだ湿っていますよ。肉体から切り出してそう時間が経っているようには思えません。拾ったというのは一体どこで、どういう状況で、ですか?」
エステルさんの鋭い指摘に、俺は思わず黙り込む。
魔石の売却はギルドではなく、宝飾店に持ち込むべきだったか――そんなことを考えるが、今さら後悔してももう遅い。何とかごまかさなくては……
「……実は、この街に来る途上でうっかり森に迷い込み、黒く大きな獣の死骸が、鳥や獣たちに突付かれている場に出くわしました。死骸からその魔石を回収したのですが、獣に襲われて服はこの有り様です。……あの森が立ち入ってよい森だったのか分からなかったので、あまり言いたくなかったのですが」
少なくとも地球の中世では、森は領主の持ち物として立ち入りが制限される場合があった。不自然な言い訳では無いはずだ。
「森、というと北の禍ツ森、でしょうか。ということは、まさかこの魔石は森の主……? その森は確かに領主であるワイトリー家の御料林でしたが、先の戦争で伯爵家が断絶した今、狩猟や伐採の制限は解かれております。その黒い獣というのはどういった見た目でしたか? 周囲に大型の魔物同士が争ったような痕跡はありましたか?」
エステルさんは顔を引き締めて、鋭い眼差しで問いかける。
ここは絶対に、答えを間違えてはならない局面だ。
「黒い毛の生えた、大きな獣でした。争ったような痕跡は無かったと思います。おそらくですが、自然死だったのではないでしょうか。もうあまり原型を留めていませんでしたので、死骸を細かく調べたりはしていませんが……」
「……分かりました。ありがとうございます、リョタロー様」
彼女は緊張が解けたように息を吐いた。
「私が危惧したのは、禍ツ森の主を倒すような魔物が、新たに森に住み着いたのではないかということです」
魔石を眺めながら、そう言って言葉を続けるエステルさん。
「自然死なのであれば安心ですが、一度ギルドの調査隊を送る必要があるかもしれません。頂いたご報告と魔石の買い取りについては、一旦ギルドマスターに情報を上げて参ります。恐れ入りますがしばらくお待ち下さい」
彼女はそう言って席を立ち、俺は再びブースの中に一人残される。
纏ったタオルを巻き直した俺は、椅子に深く腰掛けた。
目を閉じて、じっと彼女の帰りを待つ。