第4話 辺境の街、ボレスウォール
暗闇の中、夜の森を彷徨い続けた俺は、やがて静かに流れる太い川へと行き当たった。
捨て置いた服の切れ端を持ってくれば体を拭けたのに――そんな後悔が身を包むが、後の祭り。
とりあえず、乾いた血がパリパリにこびり付いていた手元だけはしっかりと洗い、渇いた喉を潤した。川の水をそのまま飲むのはちょっと怖いが、背に腹は代えられない。
喉の乾きが癒え、辺りを見る余裕が戻ってきた俺は、あることに気が付いた。一帯には背の高い樹木が多く生えているのだが、その一部は伐採され、切り株になっている。これは人里が近いことの証だ。
おそらくだが、川に沿って歩き続ければ、そう遠くないうちに文明の痕跡に出会えるだろう。そう考えた俺は、さっきまでよりも軽くなった足取りで歩き出した。
果たして俺の予感は的中し、空の片隅が白んでくる頃には森を抜け、街道らしき道に突き当たる。
街道の一方は森の中へと入っていき、もう一方は森とは反対側に進んでいく。進むべき方向はもう決まったようなものだ。
やがて夜明けの薄明かりが空に満ちた頃、俺の頬は自然と緩み、心からの笑いが喉から零れ出る。
街道の彼方には、朝焼けの空に照らし出された巨大な城郭都市が、うっすらとその姿を見せていた。
* * *
「……なんていうか、復興途上みたいな街だな」
夜はすっかりと明けて、初夏の爽やかな太陽が燦々と輝く中。
ステータスを戻し元の体型に戻った俺は、思わずそんな感想を口にしていた。
幸いというべきか、腰蓑一つ巻いただけの姿を咎められることもなく、無事入ることに成功したボレスウォールの街。
その市街ではあちこちで金槌の音が響き、大工や石工などが忙しそうに働いている。
何かの災害にでも見舞われた直後なのだろうか、街中はそこかしこに土が黒く焼けた空き地が目立っていた。街を取り囲む城壁の一部も真新しいようで、明らかに色が違って見える部分がある。
俺は肩に木材を乗せて歩いていた、大工らしき男に話しかけた。
「あの、すみません。俺はこの街に来たばかりなんですが、あちこちで家を建て直しているのが気になりまして。何か天災でもあったのですか?」
男は俺の腰蓑をじろりと眺めて引きつった笑顔を浮かべた後、話し出す。
「あんた、本当に知らないのかい? ここはルヴェールが攻めてきた時の最前線になった街だぜ? 街は陥落して伯爵様は戦死。街に居るほとんどは、ルヴェールの略奪を生き延びた面々さ。家もだいぶ戦争で焼かれてね」
……天災じゃなく、人災の方だったか。何とも言葉を返しづらい。
「そうだったんですね……知りませんでした。復興が早く進むと良いですね。あ、あの、魔石……魔石という呼び方で多分合ってると思うんですが、凶暴な獣から取れた石を買い取ってくれるようなところを知りませんか?」
「あん? あんた、その格好からはそうは見えないが、狩人か冒険者か?」
「まぁ、そんなところです」
男はにやりと笑うと、肩に乗せていた木材の一端を地面に下ろし、身振りを交えながら説明を始めた。
「だったら冒険者ギルドかシルバーバーチ宝飾店だな。いいか、ここはリーフィー通りなんだが、あっちに真っ直ぐ行くと別の大通りと交わる十字路がある。そこを右に曲がって…………」
道を聞いた俺は男に礼を言い、何度も頭を下げながら別れる。異世界にお辞儀の文化があるのかは分からないが、彼は苦笑しながら手を振って見送ってくれた。
「……しかし、入街門で今だけは入街税を払わなくても街に入れる、なんて話を聞いた時は運値が仕事をしたのかと思ったが。とてもじゃないけど、幸運だったなんて言えそうにないな。顰蹙を買いそうだ」
俺は門でのやり取りを思い出して、そう独りごちる。
税を払うことなく街に入れるというのは、要するに復興のための人員を確保したいのだろう。大工仕事が出来る人材なんかは今頃、引く手あまたに違いない。
「しかしまぁ、俺は冒険者になるって決めてるしな。チート能力を使えば魔物を簡単に倒せるってのは分かったんだし」
倒せると分かるまでは正直言って恐怖しか無かったのだが、分かってしまえばもう怖くはない。思い返せば、あんなにビビり倒していたのが馬鹿馬鹿しいほどに、決着は呆気なかった。
「今はとりあえず、魔石を売った金で一眠りしたいな……。流石に徹夜での強行軍は疲れた。……ん? いや待てよ?」
ひょっとして、これも"cheat"能力で何とかなるやつだろうか。
俺は道の端に寄って、「疲労度」と念じながら、ひっそりと自分のステータスを表示する。他人には見えない可能性もあるが、万が一見えた時の為にウィンドウは体で隠れるようにした。
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名:冬月 涼太郎
疲労度:76
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そして案の定、それは表示される。
「よし。あとはこれを……」
―*―*―*―*―*―*―*―
名:冬月 涼太郎
疲労度:0
―*―*―*―*―*―*―*―
途端、全身に重くのしかかっていた気だるさと、頭に靄がかかったような疲労感の両方が、すっきりと消滅した。まるで寝起きのように爽快で、頭もよく回る。
「マジかよ…… "cheat"能力無敵じゃん」
徹夜の疲労感が跡形も残さず吹き飛ぶ能力。
正直、例えこれだけであっても十分にチートと呼べるような力だ。
あまり多用すると体に良くない気もするが、とりあえず今日はこのまま起きて過ごすことにしよう。
俺はそう心に決めると、冒険者ギルドへと向かうため、さっきの男に教わった道を歩きだした。
* * *
『冒険者ギルド』――建物には、そう書かれた看板が掲げられている。
「……文字まで読めるんだ。凄いな……」
すらすらと頭に入ってくる文字だが、その造形は日本語のそれとは程遠く、ローマ字のアルファベットに近いような印象だ。
もしや、自分では気付いていないだけで、異世界モノに定番の言語理解とかのスキルも付与されていたりするのだろうか。
「書こうと思えば書けそうだよな、こっちの文字も」
何にせよ、言葉に不自由することがなさそうなのはありがたい。
冒険者ギルドの扉が設けられているのは、建物の角にあたる場所。
立派なレリーフの施された、背が高く重厚そうな木の扉だ。
ごくりと、唾を飲み込む。ファンタジー世界の定番、冒険者ギルド。
中には一体、どんな荒くれ者たちが待ち受けているのだろう。
俺は意を決して、その扉を押し開けた。
重厚な扉が、音もなくすぅと開いていく。
……扉の前に立っていた、柔らかい雰囲気の女と目が合った。
冒険者では無さそうだ。ギルドの制服と思しき、奥の窓口に姿が見える女たちと同じ服装に身を包んでいる。
きらきらと綺麗な金髪をショートボブに切りそろえた彼女は、腰蓑姿の俺を見て一瞬だけ表情を曇らせる。だが、次の瞬間には元通りの柔らかな表情を浮かべ、にこやかに話しかけてきた。
「こんにちは、初めてお目にかかる方ですね。その返り血の痕は戦闘の後とお見受けします。他の街から来られた冒険者の方ですか? それとも素材などを売りに来られた一般の方ですか?」
「……後者の方です。ですが、叶うのならここで冒険者になっておきたいです」
彼女は、俺の言い回しをすぐに理解し、頷いて返事を寄越す。
「かしこまりました。それでは、私エステルが担当させて頂きます。キャロ、代わりに入り口をお願い!」
「はーい!」
カウンターの奥から元気な返事が聞こえ、小柄な女性が出てくる。
エステルと名乗った女は彼女と持ち場を交代すると、俺を半個室状になったブースへと案内した。
ブースの中には背もたれの付いた椅子が四脚と、無垢材のテーブルが一つ。
「すみません、少しだけお待ち下さいね」
「わかりました」
そう声を掛けて姿を消した彼女は、少し経つと、何やら畳んだ布のようなものを持って戻ってきた。
「あの、その格好だとお寒いでしょうから…… ギルドにおいでの間はこちらのタオルをお使い下さい。ギルドの備品ですので、お帰りの際には返して頂くことになりますが……」
確かに、室内は陽が照っていた屋外と比べると少し肌寒い。
俺は彼女の厚意に感謝の言葉を述べ、受け取った布を体に巻き付けた。
布は薄手のリネンタオルのようで、肌触りこそ固めだがぽかぽかと心地がよい。
彼女は、俺が座り直すのを待って、口を開いた。