第18話 森の中の廃墟
第三章、「救世主リョタロー」 はじまります
思えば、"cheat"能力というのは本当にチートだ。
何せ、疲れ果てて睡魔に襲われたら疲労度を弄ればいいし、空腹で動けなくなったら満腹度を弄ればいい。
水さえ用意すれば無限に行動できるなぁと感心していたのだが、先日喉が乾いたと思いながら自分のステータスを見たら、「水分充足度」とかいう値が出てきた。もう無敵である。
そんなわけで、俺は森の中を彷徨い歩きながら、襲ってくる魔物や動物と戦っていた。目的は、冒険者ギルドの功績点を稼ぐため。
今の俺は黒鉄級、つまり下から2番目の位階なのだが、上の位階に進むためにはある条件を満たす必要がある。
その条件とは、「採集」「狩猟」「護衛」の三つに分けられた功績点のうち、一つを二百点、さらに残ったうちの片方を六十点以上にすること。
だが、採集を続けるばかりで他の点数を溜める素振りすらない俺に、ついにギルドの買い取り責任者であるライオネルさんがしびれを切らし。
採集ばかりを続けるなら、無理やりにでも合同依頼や臨時パーティーに推薦し、「狩猟」や「護衛」を経験させると言われてしまった。
他人との集団行動で"cheat"能力を封じられるくらいなら、まだソロで挑んだ方がマシ。とまぁ、それが俺が森に籠もっている理由である。
「はぁ……薬草採ってるだけで普通に生活はできるのに。何が悲しくてこんな気色悪いコトやらにゃいかんのだ……」
俺はメイスで打ち倒した緑鬼の腹に手を突っ込みながら、ぶつくさと文句を垂れる。
最初は血の気が引くほど嫌だった魔石抜きの作業も、今ではもう慣れたものだ。
割いた腹から抜き出したのは、1円玉ほどの大きさの、鈍い輝きを放つ不透明な玉。等級の低い魔物なので、魔石も別に美しくはない。
魔石を革袋に仕舞い込むと、次は右耳を切り落として別の袋に。
ゴブリン一匹の討伐報酬と魔石の売値は、しめて大銅貨四枚。日本円にして三千三百円ほどの価値しか無く、命を掛ける対価としてはあまりにも安い。
……まぁ、"cheat"能力があるお陰で、俺にとっては命を掛けなくても良い仕事なのだが。
俺は手についた血をそのあたりの草で拭うと、また次の獲物を探して歩き出した。
* * *
「ここは……草原? ……いや畑か?」
獲物を求めて森を彷徨っていると、突然、開けた場所に出た。
人の手の入った畑と思しき広い平地が広がっているが、何だか様子がおかしい。
地面には穂をつけたまま灰色に枯れ果てた麦が大量に散らばり、雑草が緑の絨毯の如く大量に繁茂している。このままだと数年で森に還りそうな様相だ。
俺は収穫もされず放置された畑を不思議に思いながらも、植物の攻勢で獣道のようになった農道を進んでいく。
やがて、木々の影に見えていた建物がその全容を現した時、俺は全てを悟った。
「…………ここも、戦災か」
焼け落ちた屋根と、墓標のごとく立ち並ぶ黒焦げの柱。
燃え残った扉は地面に倒れ、半ば土に埋もれている。
「ルヴェールの侵攻とやらで、ここも襲われたんだろうなぁ……」
このあたりは、俺が転移してくる半年ほど前に隣国であるルヴェール王国の侵攻を受け、一帯が占領されていたと聞いている。
ボレスウォールの街は戦災からの復興途上にあったのだが、おそらくこの村は復興する体力もなく、放棄されたのだろう。
「なんで人間どうし争うかな……」
地面に落ちて朽ちるばかりの、豪奢な家財の破片。
立派な透かし彫りが無惨にも風雨に晒され、苔むしている姿を眺めていると、柄にもなくそんなことを考えてしまう。
空を見上げれば、広がるのは穏やかで澄んだ、夏の終わりの蒼穹。
視線を下ろせば、目に入るのは空虚さが具現化したような戦災の爪痕。
そのあまりの対比に、ずきりと心が痛んだ。
「……そうだ、村なら川か井戸があるかもしれん。体も洗いたいし、探してみるか」
俺は、あえて声に出すことで気持ちを切り替え、村の中央と思しき方へと歩いていく。
数分もしないうちに広場に辿り着いた俺は、その隅に井戸が設けられていることに気付き、頬を緩めた。
井戸を覆っていた屋根は崩れて無惨な姿を晒していたが、鎖のついた桶は井戸の脇に普通に置かれている。だが、中には土や葉が入っているので、日常的に井戸を利用する者はもういないのだろう。
鎖の一方は、折れ残った屋根の柱にしっかりと結ばれている。
「……この井戸は、人工的に壊されてるな。斧か何かで切って壊したと見える」
柱の断面近くに並行に付いた、数カ所の切り傷。
あまり斧の扱いが上手くない者の仕業だろう。
『私は、ルヴェール兵の略奪も乗り越えたのよ』――そんな、メリッサの言葉が脳裏に浮かぶ。
「最初から滅ぼすつもりで、略奪したんだな……」
握りしめた拳に、ぐっと力が入った。
……冷たい井戸水を浴びて体を洗った後も、悲しさと憤りは消えなかった。
村の中を少し歩くと、かつては砦だったらしい、頑強そうな石造りの建物が目に入った。小高い丘の上に立っており、外から見た限りでは屋根が残っている。
「今夜一晩だけ、過ごさせてもらうか……」
昨日の朝にボレスウォールを発ってからこっち、俺は"cheat"能力で睡魔も食事の欲求も無くして歩いてきた。今夜ぐらいは屋根のある場所で眠りたい。
砦への道は、人の立ち入った気配も無い、藪に覆われた坂道。
太い雑草をかき分け、砦へと近づいていたその時だった。
こつり。
俺は何かに躓いて、ふらりとよろめく。
何かと思って、視線を落とした先には。
「ひっ、ひえぇぇええええええっ!?!?」
眼窩から草の伸びた頭蓋骨が、うらめしそうに土に埋まっていた。
* * *
ざくり。ざくり。
空が赤く染まり、夜の闇が迫る中、地を掘る金属音が辺りに響く。
村の中で見つけたスコップで、俺は広場の土を掘り返していた。
見つけた……いや、見つけてしまった骨を埋葬するための、墓穴だ。
骨の持ち主は側頭部に一撃を食らったらしく、頭蓋骨に横長の穴が開いていた。
「にしても、村に辿り着いたのが夜じゃなくて良かったな……」
無意識のうちに、そんな心の声が漏れ出る。
「きっとこの村の中、あちこちにこんな感じの骨が転がってるんだろうなぁ……」
砦を覆う草むらの中、焼け落ちた家々の中。
きっと、略奪の犠牲になった村人たちが、数多く。
今や物言わぬ骸となって、この村には眠っている。
「さっさと埋葬して、日暮れ前にはこの村を発とう」
さすがの俺も、きちんと埋葬されたわけでもない遺体があちこちに散らばるような村で、夜を過ごす気にはなれなかった。魔法があって魔物も居る異世界なのだ。幽霊やお化けの類が出たって何らおかしくはない。
俺は草むらを渫えて全身を見つけてきた骨を、掘った穴の中に並べていく。
体の部分の骨はすっかりと錆びついた金属の鎧と共に埋もれており、故人は小柄ながらも戦士階級の人間であったことを偲ばせた。
骨を並べ、錆びた鎧をその脇に置く。
俺はふと思い立ち、土を掛ける前にその頭蓋骨に触れて、ステータスを発動する。
―*―*―*―*―*―*―*―
名:クリスタル・スターリッジ
称号:聖賢男爵
HP:0/58
MP:0/47
…
状態:死亡
―*―*―*―*―*―*―*―
……男爵だったのか。称号は、「聖賢男爵」。
きっと、優れた領主だったのだろう。
俺は頭蓋骨から手を離して、スコップを手に取る。
ばさり、ばさり。
夕焼けの空を反射して赤く染まった白骨が、土の中へと消えていく。
だが、その時。
とんでもないことが脳裏にひらめき、俺は手にしたスコップを取り落とした。
慌てて、土の中に顔を出す頭蓋骨に手を触れる。発動するのは"cheat"能力。
―*―*―*―*―*―*―*―
名:クリスタル・スターリッジ
称号:聖賢男爵
HP:0/58 [値変更]
MP:0/47 [値変更]
…
状態:死亡 [値変更]
[決定] [キャンセル]
―*―*―*―*―*―*―*―
『値変更』――ステータスの横に表示されたのは、そんな言葉。
心臓がばくばくと脈打ち、息苦しい。ハァハァと、肩で息をする。
こんなことは試したこともないし、やっていいのかも分からない。
だが、もし出来るのだとしたら。
俺は、自分のステータスを表示して、"cheat"能力を使う。
―*―*―*―*―*―*―*―
名:冬月 涼太郎
称号:薬草狂いのリョタロー
HP:1009/1009 [値変更]
MP:1005/1005 [値変更]
…
状態:健康 [値変更]
[決定] [キャンセル]
―*―*―*―*―*―*―*―
確認するのは、「状態」の、ステータス値。
(現在値:[001])
表示された電卓状のウィンドウには、そんな数値が表示されている。
次いで、聖賢男爵の「死亡」と書かれたステータス値を確認。
(現在値:[255])
表示されたのは、そんな値。
俺は、震える手で電卓をタップし。
男爵のステータス値を書き換えた。
―*―*―*―*―*―*―*―
名:クリスタル・スターリッジ
称号:聖賢男爵
HP:58/58 [値変更]
MP:47/47 [値変更]
…
状態:健康 [値変更]
[決定] [キャンセル]
―*―*―*―*―*―*―*―
「頼むぞ……ゾンビとかの変な結果にだけは、ならないでくれよ……!」
俺は、ステータスウィンドウの一番下に表示された、「決定」と書かれたボタンを押すべきか、しばし逡巡し。
数秒の葛藤の後、心を決めて押し込んだ。
――目の前に、白い光が満ちた。