第12話 貧民窟
引き止めるメリッサを説得して、指名依頼の納品を済ませ。
依頼の完遂票を受け取った俺は、ロゼッタ雑貨店を後にした。
目指すのは、街の東側。まだあまり復興が進んでいないエリアだ。
メリッサの話では、『灰燼の徒党』はそのあたりの貧民窟を縄張りにしているらしい。
街の東側に近づくにつれて、人通りは次第にまばらになっていく。
見かける住民たちの服装も、だんだんと粗末なものに。
やがて俺は、帯剣した衛士たちが警邏する一帯に辿り着いた。
幅五メートルほどの大通りが左右に伸びているのだが、通りの向こう側は明らかに雰囲気が異なっている。
異世界の世情に疎い俺でも、この先がスラムになっているのだということは容易に想像が付いた。
「君は……ああ、冒険者だな。この先に用事があるのか?」
道路に立っていた衛士が、声を掛けてくる。彼は冒険者ギルドの身分証にちらりと目をやり、一瞬で俺の正体を見て取った。
「はい。指名依頼の依頼人がこの先にお住まいです」
「この先に? まぁ、詮索はすまい。この先は貧民窟だ。気をつけて行くんだぞ」
「ありがとうございます」
……我ながら、よく咄嗟に嘘を吐けたものだ。
さっきメリッサの指名依頼を終えていなかったら多分出てこなかった嘘だろう。
スラムに入ると、あちこちから不躾な視線が飛んでくる。
正直、既にかなり怖いのだが、『灰燼の徒党』の情報を集めるためには聞き込みが必要だ。
連中がこのあたりを縄張りにしているという事以外、何も分かっていないのだから。
俺は意を決して、道端に集まっている数人の男たちに近づいていく。
すると、座っていた男がおもむろに頭を上げて、鋭い視線で睨みつけてきた。
思わず目をそらす。
……無理だわ。
俺はそっと男たちから距離を取り、何でも無い風にその前を通り過ぎた。
改めて、自分のステータスを表示して眺める。
ステータスウィンドウが自分以外の第三者には見えないことは、この三ヶ月の間に確認済みだ。
―*―*―*―*―*―*―*―
名:冬月 涼太郎
称号:薬草狂いのリョタロー
HP:1008/1008
MP:1005/1005
攻撃力:100
防御力:100
魔力:1004
魔法防御力:1001
敏捷性:100
運:1003
状態:健康
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「うーん……。やっぱり、この数値ではちょっと心許ないかもしれんな……」
他者のステータスを見るためには、その相手に触れる必要がある。
握手の文化の無いこの世界では他人に触れる機会が無く、俺はまだ自分のステータスを他人と比べたことが無かった。
俺は自分の体を見下ろす。
森に入る時同様にステータスを100まで上げているお陰で、細身の身体に筋肉がギチギチに詰まった姿だ。ステータスの変更を見越して大きめの服を選んでいるが、これ以上ステータスを上げるのであれば、違う服が必要になるだろう。
手始めに、俺はスラムで服屋を探すことにした。ロゼッタ雑貨店が中古の衣服を扱っていたのと同様、スラムにもそうしたものを扱う店はあるだろう。
なお、称号の項目は気がついた時には勝手に増えていた。解せぬ。
* * *
道端にしゃがんでいた子どもに服を扱う雑貨店について尋ねたら、そのまま近くの露天に連れて行かれた。
お礼に大銅貨一枚を渡したのだが、目を剥いて礼を言ってくる。相場より多かったようだが、悪い気はしなかった。
露天で買った服に着替え、ステータス値は200に設定。攻撃力と防御力、そして俊敏性……その全てを上げた代償として、俺はプロレスラーもかくやといった体型へと変貌する。
「さて、これで俺はどう見てもチンピラとは格の違う体躯になったが……」
「いくら鎧を身に纏ったところで、心の弱さは隠せない」――昔何かの映画で見た、そんなセリフが脳内で再生される。
ぶっちゃけ、いくらステータスを上げたところで、怖いものは怖いのだ。
だが。
――俺は気丈に振る舞っていたメリッサの姿を心に思い浮かべる。
不思議と、恐怖が少し和らいだような気がした。
俺は手近な場所に居た、柄の悪そうな若者に声をかける。
「なぁ、聞きたいことがあるんだが」
「ああん? 何だテメ……あ、はい。何っスか?」
睨みつけながら振り返った男は、俺の姿を目にするなり、途端に丁寧な口調になった。
「『灰燼の徒党』に渡りを付けたい。伝手のある奴を知っていたら教えて欲しいんだが」
男の態度の変貌に心の中で快哉を叫びながら、俺はなるべく重苦しい声色を意識して話す。
「あ、はい。俺は関わりは無いんスが、コリンの兄貴が組員っス。案内しやしょうか?」
「ああ。頼む」
「任せて下さいっス。あ、金は要らないっス。物乞いじゃないんで」
「そうか。スマン」
財布から大銅貨を出そうとした俺を、男は手で制した。
素直に謝罪し、俺は彼の案内に従う。
「兄貴ーー!! 俺っス! マシューっス!」
数分ほど歩いて、辿り着いた家のドアを、男はドンドンと叩いた。
火災にでも見舞われたのか、半分ほどが焼けて崩れ落ちたレンガ造りの家を、木材で補強し屋根を掛けた家。家と言うか、生活感があるだけの廃墟だ。
「おう、マシューか。どうした?」
扉が開いて、ぬっと顔を出す人相の悪い男。
これは……メリッサの店に来ていた二人組の片割れ、体格の良い方の男だ。
いきなり本命に当たってしまった。
目付きが悪くいかにもな悪人面で、くすんだ金髪は短いがぼさぼさ。灰色の瞳で、辺りを鋭く見廻している。
「すいません兄貴、『灰燼の徒党』に渡りを付けたいって男がいまして。そんで兄貴んとこに連れて来たんです」
「てーと、そのガタイの良い兄ちゃんか。そのなりはお前もスラムの人間か?」
露天で買った服を着ているお陰で、都合よく解釈する男。
俺が体型を変えていることもあり、メリッサの店で出会ったことには気付いていないようだ。
これは、話のやり方に気をつけないといけないかもな。
「まぁ、そんな所だ。ちょっと『灰燼の徒党』に話があってな」
「ほぉ? どんな話か知らんが、まぁ、入れや。マシュー、お前は帰って良いぞ」
「はいっス」
帰っていくマシューに、俺は片手を上げて礼を伝える。彼も手を上げて、挨拶を返した。
俺は兄貴と呼ばれていた男に続いて、家の中へと入っていく。
中は意外と散らかっていない。整頓が行き届いていて、廃墟のような外観とは対照的にスラムらしからぬ清潔さだ。
男は表面が割れた革のソファーにどっかりと腰を下ろし、俺には反対側の木の椅子を勧めた。
勧めに従って、俺も椅子に腰掛ける。
「俺はコリンだ。『灰燼の徒党』ではそれなりに名が売れてる。渡りを付けたいって話だが、一体組織に何の用事だ? 内容によっては取り次いでやらんこともないが、まずは俺に話を聞かせろ」
男は話が通じそうなことを言うが、これは正直言って驚きだった。
偏見かもしれないが、最悪、この場で殴り合いになることも覚悟していた。
「……街の中心部の方に、ロゼッタ雑貨店という店があってな」
「あ? てめぇ、あの店とどんな関係だ?」
「……店を知ってるのか? いや何、ちょいとお節介でな。あの店には少しばかり恩義があるんだが、最近躾のなってない犬に吠えかかられてると聞いてな」
「…………」
俺の言葉に、男は途端に不機嫌そうな顔になり、黙り込む。
「あの店に余計な手を出されんよう話を付けておきたい、というのが、俺が渡りを付けたい理由だ」
眼の前の男は、メリッサの店で俺と会ったことに気付いていない。
つまり、「躾のなってない犬」の正体が自分だということを、俺は知らないと思っているはずだ。
さぁ、どう出るか。
「……そいつの答えは、お前が組織に何を差し出せるかによって変わるな」
「ほう。というと?」
「いいか、俺達『灰燼の徒党』は街の治安を守ってる。だから、守られてる連中から料金を徴収する権利がある」
男は威圧的な表情を作って、真っ向から俺を見据える。
「その店から徴収する予定の金をお前が肩代わりするか、あるいはそれに代わる何かをお前が提供するか。それが出来るんだったら、あの店には手を出さんよう組織を説得してやれるが?」
男はそう言うが、俺が代理で金を払うなんてのは論外だ。
こういう連中は、一度味をしめたら骨の髄まで貪ってくるだろう。
「悪いが、金を払う気は無いな。それに代わる何か、というのは?」
「そうだな、見たところお前さんは中々良い体格をしている。その体を活かして、組織のために働くのであればそれでいいさ」
「働くというと、具体的には何をさせられる?」
俺は好奇心から、彼に尋ねる。
「さぁ、それは俺には分かんねぇがな。まぁ順当に行って、その体躯を活かした用心棒か何かだろう」
「用心棒、ね。つまり、犯罪の片棒担ぎってことだな?」
俺の答えに、男はニヤリと笑って肩をすくめた。
……答えは決まった。
「悪いが、交渉は決裂だな。対価として何かを渡すつもりはない。これは警告だ」
「だと思ったよ」
返ってくるのは、そんなあっさりした返事。
次の瞬間、男はソファから跳ね起きざまに、力の限り俺の胸を蹴りつけた。
咄嗟に手で守ったが、反動までは殺せない。
意外と痛くないな。それに動きも遅い。
――俺は悠長にも、そんな感想を抱きながら。
蹴られた勢いのまま、座っていた椅子ごと後ろに倒れ込んだ。