飢飢飢><
いきなり背後から声をかけられた芹花は驚いたが、振り返ってサチに聞いた。
「あの、ここってご飯は…」
サチはああ、とうなずいてとなりの雑然とした棚の一角を指差した。
「あれですよ」
棚には錠剤のつまった薬瓶や粉の入ったボトルが並んでいる。
「あれって…え?」
とまどう芹花に、サチは面倒くさそうに説明した。
「これがビタミン。これがカルシウム、そのとなりがプロテインです」
「えっ…他になにか、ないんですか?お米とか、小麦粉とか、缶詰とか…」
「ないです。プロテインで栄養を取ってください」
サチはばっさり切り捨てた。
「えええ~~~!」
その数十秒後、電話口で家族に向かって芹花は叫んでいた。
「母さんお願い、食料を送ってッ!何でもいいからッ!」
『茉里、返事が遅れてごめんね。そっちは、今日あたり始業式? クラス替え、どうだった?
こちらは温かくて景色だけは最高。でも話す相手もいないから、いつもそっちのこと思い出してるよ。
でも、びっくりするほど食べ物がなくて、次の物資がくるまでプロテインとサプリメントで食いつながなきゃならないんだ…。モフチーのフードを横取りしたくなるくらい腹ペコでもう…。とはいえ。断じてホームシックではない!上司は厳しいし、食べ物もないけど私は元気です。茉里も新学期、頑張ってね
芹花』
(ああ、お腹が減ったなぁ…)
島に来て数日がたった。朝食も昼食も夕食もプロテインの中、芹花は仕事にとりかかっていた。あの後酒流が食料は持ってくると請合ってくれたが、次は1ヶ月後になるらしい。
(一ヶ月は長いでしょッ)
グウと鳴りそうなおなかをぎゅっと押さえ、気を紛らわすため芹花は空を見上げた。今日の空は淡い露草色だ。その上にミルクをたらしたように細い雲がたなびいている。対紫外線ジャケット越しに、温かい風を感じて芹花は目を閉じた。
(これが、春なんだなぁ…)
ドームの外の春風よりも、こちらのほうが穏やかで優しく、ずっと「春」らしい。みんなはどうしているだろう…芹花はドームの家族や友達の事を思い出した。昨夜送ったメールを、茉里はもう見てくれただろうか。彼女は新学期、いつも緊張してしまう性質だったので芹花は少し心配していた。メールは検閲が入る上に、この島唯一のネットが使える端末はサチと共有なので、当たり障りのない事しか書けないのだが。
(…駄目だ、ホームシックはやめようって決めてたじゃない)
芹花ははぁとため息をついた。意気揚々とここまで来たものの、唯一の人間のサチは冷淡で、芹花は朝から晩までひとりぼっちですごしていた。サチは研究室にこもってばかりいるのでほとんど顔を合わせることもない。
(完全無視されてるな…)
もし来たのが兄のように優秀な人材だったら、彼もここまで冷たい態度を取らないのではないだろうか…。そう考えて芹花は若干落ち込んだ。が、
(でも、しょうがなくない?体の丈夫さで選ばれたんだし。とにかく仕事をしっかりやってれば大丈夫でしょ。私にはモフチーがいるし)
と、自分にいいきかせた。実のところもう何回言い聞かせたかわからないのだが、空腹も加わってつい悪いほうに考えてしまうので、そのたびに手を動かして気を紛らわせていた。
「さっ、水まきおしまい。次は温室だ」
芹花が今世話をしているのは、大きな畑の一角と、温室にある植物たちだった。畑の向こうの丘では果樹の実験をしていたらしいが、今はほったらかされているようだ。その森を越えてすこし歩くと海なのだが、今のところ砂浜までいく気力も時間もない。
(いってはみたいんだけど。はぁ…)
芹花は、ため息をつきつつ温室へ向かった。中は今日もたっぷり熱気をたくわえていて熱かった。芹花は思わずフェイスマスクをはずした。
「ふう、あっつ…」
芹花は丁寧に一つ一つ野菜をチェックした。今ここでは、ほうれん草や小松菜など葉物の野菜を栽培している。すべて健康に育っているのを確認して芹花はほっとした。
(虫にくわれたり、しおれたりしたら何言われるかわからないからね!)
世話と記録をし、芹花は温室を出た。外の涼しい空気を吸い込むと気持ちよい。
(あとはこれを日誌につけて、それで仕事おしまい!)
勇み足で研究所に戻ろうとした芹花だったが、グウとおなかがなった。
芹花の頭に、次々と食べ物が浮かんでは消えた。あつあつのとうもろこしとマカロニのグラタン、カリカリの大豆肉のからあげ、ぴりりと香辛料の効いたトマト缶のミネストローネ、そして湯気の立った白いご飯……だがそれらは空しく消え、最後にプロテインが出てきた。
(うっ…つら…)
あのまずいプロテインとサプリであと一ヶ月すごさなくてはならないと思うと、芹花は思わずため息をついた。同僚と馬が合わないことより、こっちのほうが数倍つらい。かといって実験用の野菜に手を出すこともできない。芹花は思わず背後の丘に目を向けた。
(何か…何かなっていないかな…)
すでに午後四時をまわって空はかげりはじめている。いけないと思いつつ芹花はふらふらとそちらへ足を向けた。足元には見事に雑草が生い茂っていた。良く見るとローズマリーやミントなどのハーブもある。が、今それらの匂いをかいでも空しくなるだけなので芹花は通り過ぎて森を目指した。
森の木々はそれほど高くなく、昔はきちんと管理されていたであろう証拠に、石のブロックでささやかな道が作られていた。木にはそれぞれその名を示す古ぼけたプレートがかかっていた。芹花はその一つ一つに目を凝らした。
(さくらんぼに、ネクター。それにキウイ…!)
どれも高級果物だ。芹花は口にするどころか実物を見たこともない。きっとすごくおいしいものなのだろう…と期待をこめて木の枝を見上げてみたが、実は影も形もなかった。枯れている木さえある。芹花は丘全体の木々を見渡してみた。色づいた実がないものか…
(あっ!)
丘を少しのぼったところに、ぽつんと黄色の何かが見えた。もしかしたら…!芹花は期待に胸を膨らませながらその木のもとへ向かった。
そこには小さいが、グレープフルーツのような実が一つ、木から下がっていた。
(やった!なんの実かわからないけど、多分みかんの仲間だ!)
芹花は一も二もなくその実に手を伸ばしたが、はっと手をとめた。
(まてよ…これ、勝手に取っていいんだろうか…)
仮にも実験用の果樹だ。畑の野菜たちは一つ一つ種から厳密に管理されていて、枯れても咲いても詳細に日誌につけて報告しなければならない。なので勝手に取るなどもってのほかだ。ならばこの実も…
(食べたら、いけないやつかも)
芹花はそろそろと手をひっこめた。
(…でも、食べれないと決まったわけじゃない。あの人に聞いてみよう…)
芹花は無念に思いながらも丘を後にした。