猫の導き
「で、プロポーズは?」
「してないですね、激励だけ」
「何をぐずぐずしているんだ、サチは」
「やめてくださいよ、本人にバレたら…わっ」
扉の外では、男達が何やらひそひそ話していた。芹花は怪訝な目で二人を見た。
「あ、酒流さん?何してるんですか、兄と2人で」
大樹が慌てて説明した。
「いや、血液検査の結果が出てね、手術の成功に関わる大事な事だから、酒流さんも心配して聞きにきたんだよ」
芹花は前のめりになった。
「それを早く言ってよ!」
芹花は駆け足、それを追うように大樹と酒流は教授のもとへと向かった。
「教授!結果はどうですか!?」
息せき切って入ってきた芹花を、教授は沈んだ笑顔で迎えた。その表情を見て、芹花はわかってしまった。
「適合は、しなかった…?」
「そうだ、残念ながら」
傍目にもわかるほど、芹花は肩を落として落ち込んだ。教授が声をかけた。
「普通に考えれば適合率は数百分の一なんだ…無理もない」
「…とりあえず、俺は教授と少し話していくよ。芹花はどうする?」
「…島に帰る」
大樹と酒流は慌てた。
「今日中にサンクチュアリの帰るのは無茶だ、芹花君」
「とりあえず俺のアパートで待っててくれ、な?さっきモフチーを置いてきた所だよ。わかるな?俺もすぐ行くから」
「…うん」
芹花はおぼつかない足取りで大樹のアパートへと向かった。そういえば、朝から何も口にしていない。だが到底何か食べる気にもなれない。
ボディガードが道を覚えていてくれたので、なんとか大樹の部屋までたどり着けた。芹花は礼を言う気力もなく、ドアをバタンと閉め、そのままずるずると床に座った。
(じゃあサチは…このまま…?)
嫌だ、考えたくない。芹花は手で顔を覆った。何か手立てはないものか。このまま何もできないままなのか…。
(私の寿命を、わけることができればいいのに…)
ドアの前で動かない芹花のそばに、モフチーがとことことやってきた。
「アオン」
芹花は顔を上げた。モフチーが心配そうにこちらを見上げている。モフチーと帰らなくては。と芹花はどこか麻痺した頭の中でそう考えた。畑には自動制御のスプリンクラーを作動させてきたが、長く留守にはできない。
(今日はここに泊めてもらって、明日の朝、帰ろう…)
そしてずっとあの場所で、畑を耕し続ける。
もう二度と、彼が芹花に微笑みかけることはない。一緒へ海に行くことも、けんかをすることもない。触れたくても触れられない。
彼が地上のどこにもいなくなる。存在がなくなる。
芹花を、見てくれなくなる。
(い、いやだ…そんなこと…)
圧倒的なその事実に、芹花は怖くて動けなくなった。玄関にそのまま座り込み、膝に顔を埋めた。
どのくらいたっただろうか、玄関のドアが開いた。
「お、どうした芹花」
上から大樹の声がしたので、芹花は身を起こした。
「大ちゃん…?」
「何してんだ玄関で。警護の人も困ってたぞ。お前飯も睡眠もロクにとってなかったろ?ったくもう」
「…ごめん」
「いいよ。とりあえず飯買ってきたから食べな」
目の前に出来合いの弁当が置かれたが、芹花は食べる気になれなかった。
「おいおい、大丈夫か?…そこまで、サチに参っちまったか」
「うん…サチがいなくなるって思ったら、なんか何もする気が起きなくて」
大樹は芹花の向かいに座った。
「なら朗報がある。手術の事なんだけど」
芹花ははっとして大樹を見た。
「芹花の検査結果を見て、教授は驚いていたよ。昔の人間と同等か、それ以上の強さらしい。適合はしなかったからそのまま移植はできないけれど、拒絶反応が出ないよう芹花の細胞を作成しなおして、それをサチに移植するという方法があるらしい」
「え!?そんな事が、できるの!?」
芹花の顔がぱあっと明るくなった。
「ああ。IPS細胞を使えば、可能だそうだ。」
「なにそれ、初めてきいた…」
「200年ほど前に開発された細胞さ。人間がまだ健康だった昔に使われていた方法らしいから、今は一般的ではないみたいだ。だけどこの方法での適合率は、誰と誰の細胞であっても95%らしい。すごいだろ?」
「そんなすごいもの、どうして今まで…」
「そこが問題なんだ。何しろ200年も昔の方法だから、今再現するには準備に時間がかかる。だから手術そのものより、サチがどれだけ待てるかにかかっている」
「そうなんだ…」
そううまい話があるわけない。だが、さっきの状態よりもよほど希望が持てる。
「だから今は、俺達は待つしかできない」
その言葉に、芹花はうなずいた。そしてやっとお弁当を手に取った。
それから約、二年後。
ついにその日はやってきた。
「では確認…自分の名前は?」
「東谷…幸矢です」
「では麻酔を入れます」
教授が手術台の上からサチを見下ろして言った。大手術を前にして、彼の目は真剣だった。ここまで自分の脆弱な体が持ったのも、教授のおかげだ。サチは感謝して目を閉じた。
手術中、サチは一つの夢を見た。
そこは見たことがない場所だった。砂嵐が舞うひび割れた大地が、どこまでも続いている。
そこへふいに、モフチーが現れた。
「アオーン」
「モフチー…! モフチーじゃないか!」
サチは嬉しくなってモフチーを撫でようと近づいた。しかし、モフチーはスルリと手をすり抜けて走り出した。
「待って!」
彼を見失いたくなくて、サチはとっさに追いかけた。足の速いモフチーに追いつこうと走っているうちに、サチは息が上がってきた。ダメだ…このままでは体がもたない。そうサチが立ち止まりかけた時。
「ワオッ!!!!」
モフチーが振り返って叫んだ。その目は、あきらめるな!と言っているようだった。
「わかった、モフチー」
息が苦しかったが、サチはモフチーを追って走り続けた。そして…
「ワーオ」
突然目の前に現れた柵の前で、モフチーは止まった。向こうには畑があった。
「ワオンッ」
モフチーはひらりと柵を飛び越えサチを見た。
「わたしにも来い、と?」
「ワオ」
少し高かったが、サチも思い切って柵に足をかけ越えた。
どさりと音をたててサチは着地した。しかし、見事に尻餅をついた。
(痛い…)
だが、とりあえずモフチーと同じ場所にこられた。そう安堵するサチの耳に、遠くから声が聞こえた。
「サチ…!サチなの……?」
夢は、そこで途絶えた。
その日、芹花は毛布にくるまって端末の前で待機していた。通話を待つその目の下には、くまが浮いている。
ここ数日、サチのことを思うと眠れなかった。また自分に、安らかに眠れる日はくるのだろうか…。そんなことを思っていたら、呼び出し音が鳴った。
[大ちゃん…!」
回線の向こうから、穏かな大樹の声が告げた。
「手術が終わって、今、サチは目をさましたよ。成功だ」
芹花は長く、長く息をついた。全身の力が抜けて、心の底からじんわりと安心が広がった。
「サチもお前のこと、心配してたぞ」
「――そっか、私は元気って伝えて」
大樹は電話を切ってサチのもとへ向かった。横になっていたサチは、大樹の気配を感じて目を開けた。
「どうでした…?」
「言葉もないほど、安心してたぞ。でもよかったのか?サチの口から言わなくて」
「いいんです、まだ確実ではありませんから…ぬか喜びさせたら、可哀想でしょう」
「大丈夫だって、数値も問題ないって教授も言っていたし。まあ、もう休みな」
その言葉に甘えて、サチは再び目を閉じた。ひどくつかれていた。体の中で大きなエネルギーが炸裂して、作り変えられているようだ。熱も高い。が、これは今までのものとはちがう、回復の熱のようだ…。




