闘病
それからは、慌しい日々が続いた。サチは治療のために島を出て、芹花の手首には以前のものより強化された新品の腕輪が嵌められていた。当然酒流から渡された品だ。
『前のものより格段に水にも衝撃にも強い。情報漏洩の危険を避けるためにも、これは一生肌身はなさずいてくれ』
そういって去った酒流は、今一番忙しくしていた。サチの文書を使って汚職にまみれた幹部達を内部告発し、退職に追い込み、松田や芹花たちが見守る中、臨時の代表取締役に就任したのだ。そしてその裏で、過去沖田の舟を襲った社外のスパイも特定し、時効ギリギリで告発を行った。今まで裏方に徹していた彼が表舞台に立ったことで、社内の風向きが変わった。彼は才能ある若者を見ぬき、引き立てる才能を存分に発揮して、思い切った大抜擢を行った。その結果研究所内部は成果を上げつつあるようだ。
そして、大樹もその若者の一人に数えられているようだった。島帰りに一緒の舟に乗り、大樹は持ち前の穏やかさで松田と酒流の間に流れるピリピリとした雰囲気をやわらげたらしい。それで、芹花と違って思慮深く聡明な大樹を、酒流は気に入った……そうだ。
(大ちゃんの『頭脳』を、だよね……?まさか顔が気に入ったからってわけじゃ、ないよね……?)
あの後データベースからサチが掘り起こした沖田隆一の顔写真を見てしまった芹花は、少し心穏やかではない。酒流の大事な人であったその男性は、線が細く白衣が似合っていて、どうも大樹と似た雰囲気だったのだ。
「しょっちゅう電話がきて参るよ。こっちは毎日試験で寝る時間も惜しいのに…」
大樹は電話でそう語った。
「え、マジで…?何て言ってくるの、酒流さん」
「インターンとして週1でも来ないかって。でも俺、まだ一年坊主だし、恐れ多いよ」
「そ、そうなんだ…」
そういったきり黙りこんだ芹花を、大樹は心配した。
「芹花、大丈夫か?一人はさすがの芹花もキツいよなぁ…」
「ううん、それは平気。畑の仕事もあるし。サチさんの様子は、どう…?」
あの後、サチは島を出て「大きい病院」へと移された。ドーム東京で一番の病院といえば、中央研究大学付属病院だ。
「ああ、今日もガラス越しだけど会ってきたよ」
大樹はそれ以上、詳しい様子は語らない。
「具合はどうなの…?先生は何て言ってる?何か、方法は見つかった?」
大樹は口をつぐんだ。彼は今、免疫がかなり弱まってしまったので無菌室ですごしている。GNGのパイプを通して極秘でやってきたこの貴重な患者を、教授は珍しさも勝って喜んで受け入れてくれたが、今のところ有効な手段は見つからない。
そもそもクローンであるサチは生まれながらにして細胞が老化している。その上サンクチュアリの激しい環境にさらされ続け、自己再生が不可能なレベルの免疫不全を起こしてしまっていた。ドームに住む人間のほとんどが免疫が弱くなりつつあるので、治療法は様々にあるが、どれもサチには効果を表さなかった。この上は骨髄移植など大掛かりな手術が必要なのだが…。
「この状況で、彼にドナーを見つけるのは難しいだろう」
と、教授は難しい顔で言っていた。なので大樹は、芹花になにもいえなかったのだった。
「…芹花はサチのこと、どう思ってるんだ?」
大樹がそう聞くと、電子回路の向こう側で芹花がとまどっている気配が伝わってきた。
「つまり、単なる先輩や同僚なのか?それとも…」
たっぷり沈黙したあと、芹花は答えた。
「…わかんない。でも、サチさんがいなくなったら嫌だ。家族と同じくらいに」
「そうか…」
また電話するよ。そう言って大樹は電話を切った。
「調子はどうです?サチ」
次の日、大樹は再びサチのもとを訪ねた。
「上々ですよ」
ガラス越しで、声は通じない。なので会話は内線で行っていた。見たところ昨日と変わりない。大樹は芹花のことを思ってほっとした。
「芹花さんは、大丈夫ですか?」
お互い同じ事を聞いてくるな、と思いながら大樹は答えた。
「うーん、けっこう参ってるみたいだった。めずらしく」
「そうですか…」
うつむいてしまったサチに、大樹はためらいつつ聞いた。
「あの…サチはさ、ぶっちゃけ芹花のこと、どう思ってるんだ?」
サチは人形のように整ったその顔を上げた。
「芹花さんは、私を…生かしてくれたんです、あらゆる意味で。彼女と出会う前の私は、屍も同然でした。彼女といるとき、初めて私は私の人生が嫌でなくなった…。私は彼女を、何よりも大事に思っています」
あまりにもまっすぐな告白だったので、大樹は驚いた。
「そんな真剣に、芹花のこと思っていてくれたのか…サチは」
「真剣でない愛があるのですか?」
「悪い。その…2人の仲って…いや、なんでもない、忘れてくれ」
どのくらい進んでいるのか気になったが、さすがに思いとどまって頭をかいた。するとサチはふふっと笑った。
「その頭に手をやる癖、芹花さんとそっくりですね」
「えっ、そうかぁ?」
芹花がよくしていたその仕草を思い出して、サチは切なくなった。また彼女に会いたい。だがそのためには…
「実は…教授に手術を提案されていまして」
「本当か!?」
「はい。ただ成功率は50%以下だそうなので、私も迷っているのです。ですがこのままだと冬も越せないとおもうので」
「受けるのか?どんな手術なんだ?」
「本当はドナーを見つけて骨髄移植を受けるのがいいのですが、ほぼ不可能なので…私の細胞を使って私自身の造血管細胞を作り出し、体内へ移植させる、ということです。ただ…」
「そもそも元の遺伝子が弱っているから、作った細胞が正常に働いてくれるかわかない…という事か」
「そうなんです。細胞を作るとなるとお金もかかりますし…私なんかのためにそんなことをしていいのか、とも思うのですが」
「何言ってんだ!サチを治すのもGNGにとって大事な仕事だ。酒流さんも芹花にどつか…いや説得されて納得してただろう。代表取締役が出すって言ってるんだから、遠慮せず使えばいいんだ」
「ええ、まぁ…」
「それにサチが治れば芹花が助かる。まだまだあいつ一人じゃ、たよりないだろ?」
「そうですね…」
サチは目を閉じた。まぶたの裏に、彼女の屈託ない笑顔が浮かんだ。もう一度、彼女に会いたい。成功すれば、会えるかもしれない。そのチャンスが与えられたことに、サチは感謝した。
「おお中村くん、今日も来ていたのか」
「はい。ところで教授…」
「うん?」
教授はくるりとイスを回して大樹へ向き直った。
「サチから手術の内容を聞きました。彼から作った細胞は、ちゃんと作用する確証が…あるんですか?」
失礼な質問だと思いながらも大樹は聞かずにはいられなかった。
「確証は…実のところ、あまりない。彼の遺伝子がすでに破壊されてしまっているからね。人々が健康だった昔なら、ドナーを探すこともできたのだが、今となってはほどんどの人間が大なり小なり免疫不全を抱えているようなものだからな。病んだ他人のものを移植するよりは、まだ自家細胞を使ったほうが良い。何もしないよりはマシ、というレベルだがね」
そこで大樹の脳内に、ふっと一つの可能性が浮かんだ。
「教授!サチの手術、少し待ってもらえませんか?」
「ほう、なぜだね」
「健康な人間に心当たりがあります。彼女の細胞なら、もしかしたら…」
まずは血液検査だ。彼とサチの適合率を調べなければ。そのためには今すぐ島まで行って…いや、呼んだほうが早いか。大樹は頭の中ですばやく計画を立てた。
「教授、説明させて下さい。私の妹なのですが…」




