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聖植物園日誌  作者: 小達出みかん


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強運という才能

この島唯一の端末は、十数年前のチップのデータをなんとか読み取った。その最後のデータを見て、酒流は肩を震わせた。


――元の持ち主、沖田の心拍数も呼吸も、完全に途絶えていた。その波線は、彼が溺れて苦しみながら死んでいったことを現していた。この腕輪は、波間に朽ちてしまった彼の腕を抜け、このサンクチュアリの浅瀬にたどりついた――

という事が、芹花ですら読み取れた。モニターから目をそらし、皆じっと、酒流の反応をうかがった。


「何度も……この周辺の海域をレーダーで探したのに……まさか君が拾っているとは」


 誰に言うともでもなく酒流はつぶやいた。サチはブレスレットをそっと取り上げて、内部をチェックした。


「バイタルチェック機能はかろうじて生きていたようですが、通信機能はダメになっていたようです。レーダーにかからないのは、無理ない事かと」


 サチに渡されて、芹花は腕輪をじっと見つめたあと、酒流に返した。


「このへんは沖は荒れるけど、波打ち際は穏やかだから……深いところからこの入江に打ち上げられて、ずっと……待ってたのかもしれない。私かサチさんが拾って、酒流さんの手に戻るのを」


 酒流は手にしたブレスレットを握り締め、もう一方の手で顔を覆った。


「……っ」


 しばらくして酒流はくしゃくしゃになった顔を上げた。普段の格好をつけた様子は、もう微塵も感じられなかった。

 芹花は机の上のティッシュを差し出した.。酒流は自分たちを嵌めた悪い人間のはずだが――こんな一面を見せられると、芹花はどうも憎み切れない気持ちになっていた。


(誰だって……大事な人をこんな形で失ったら――辛いよね)


 彼の悪事は悪事として、その過去の痛みに、芹花は同情した。だが彼は、安易にそんな感情を寄せられるのは好まないだろう。そう思った芹花は、ただ気持ちを言った。


「誰のかなって、気になってたんです。高価そうだし…。返せてよかった」


 酒流はまじまじと芹花の顔を見て、そして顔をそむけてぽつりと言った。


「参ったな……。これを拾ってくれたことには礼を言おう。芹花君」


 その声は、虚飾も演技もはぎおとしたぶん――酒流の本心から出た言葉だと、芹花は感じた。


「あの、酒流さん」


「うん?」


「酒流さんの目的は、人類の復興…だけじゃなくて、その人ができなかったことを、かわりにやってあげたいんじゃないですか?」


 心の奥底にしまい、今まで誰にも知られまいとしてきたことを言い当てられて、酒流の顔から表情が抜け落ちた。そして――思わず破顔した。。


「ふっ…そうだとしたら?」


 芹花は酒流の肩をぎゅっとつかんだ。


「立派です!私達、絶対協力したほうが良いですよッ!」


 その芹花の大声の激励に、酒流のいつもの飄々とした雰囲気が少し復活した。


「はは……弱みを見せたからといって、そんな簡単に、私がうなずくなどとは思わないでくれ」


 酒流は苦笑した。自分の胸の中で燃やし続けていた復讐の念を、こうもあっさり言葉にされてしまうと、さすがの酒流も毒気を抜かれた。


(やはり沖田は――もう、あの世へ行っていたのか)


 もしかしたら、どこかで生きているかもしれない。今までどうしても諦める事のできなかったその希望は、今消えた。その事がはっきりとわかって、酒流はかえって頭の中がクリアになったような気がした。沖田は死んだのだ。その事実は、痛みと共に、酒流の胸の中に堆積していた、積年の汚泥やわだかまりを、押し流していく。


(今、俺ができる事はたしかに……彼の仕事を引き継いで、世に出すこと。それだけしかない)


 甘い可能性は消え、かわりにゴールへの道筋が、酒流の頭の中にはっきりと浮かんだ。チャモロコシを成功させたいなら、松田の協力が不可欠だ。彼にまたこの任についてもらうためには、芹花とサチを再び抱え込まなくてはならない。チャモロコシを速やかに成功に導くためには――情報漏洩の可能性はあれど、今までどおり元のメンバーに任せるのが一番だろう。島の管理を将来的にこの二人に任せるのなら、出来うる限りの人道的なセキュリティを強化する必要がある……。一気にそこまで、酒流は先読みをし計画を立てた。


「わかった、芹花君。君の条件を呑もう。」


「ほんとですか!?」


「君の味方につくわけではない。私はチャモロコシを成功させたい。そのために、君や松田に情緒酌量するというだけだ」


 サチは腰にてをあてて憤慨したように言った。


「図が高すぎませんか。酒流、あなたは芹花を殺そうとしたのですよ」


「……もう殺そうとしない。クローン計画は廃止だ。君も治療を受けて、再び仕事に戻ってもらう。それでいいだろう?」


 その言葉に、芹花の顔がぱっと明るくなった。


「サチを大きな病院に連れていってくれるんですか!?」


「ああ」


「ありがとうございます!酒流さん……!」


 芹花は片手を酒流に向かって差し出した。尻尾を振り回す犬のように喜びを顔にも口にも出す芹花を見て、酒流は顎を引いて顔をしかめた。


(まったく、この子どもは……)


 まっすぐで、素直で、人を疑うと言う事を知らない。騙しやすい子で、手間が省けた――。出会った時から、酒流は芹花をその程度にしか認識していなかった。しかし。


(たしかにこの子は――一点、見るべきものがあるな)


 それは芹花の性格で資質もなく、ただ一点、『おそるべき強運』であるという事だ。あのブレスレットを拾っていた事も、強い体を持って生まれたと言う事も。何もかも運が悪く儚かった沖田とは、真逆の特性と言っていい。


(運は実力のうちには入らない、とは言うが――)


 実際、芹花は命拾いした。数々の荒波をくぐりぬいて、老獪さを武器にするこの自分が、こうして彼女に負かされて、条件を呑んでしまったのだ。


(馬鹿にできたものではないな。それに……)


 サチと喜ぶ芹花を見て、酒流はふと思った。彼女のこの矢のようなまっすぐな資質が――強運を引き寄せているのかもしれない、と。

 芹花に絆されたわけでは、断じてない。ただこれからは、彼女にも本気で、仕事に当たってもらう。チャモロコシを世に出すという計画の一たんをしっかりと背負ってもらおう。酒流はそう思って、差し出された芹花の手を握った。


「ふ…交渉成立だ」


 芹花はその手をぎゅっとにぎった。


「やった!そう言ってくれると思ってましたよ!」


 無邪気な笑顔と裏腹に、その力は強かった。


(痛……。やはり怒っているのか?いや……素の力か、これは)


 芹花に指を押しつぶされながらも、酒流も意外に、晴れ晴れとした気持ちだった。ずっと探していたものが還ってきて、大仕事も舞い込んだ。


(そうだ、これからが大変だ)


成功したチャモロコシを無事に世に出すためには、社内でのおぜん立ても必要だ。若者たちが生み出したチャモロコシの通る道を整えるのが、他でもない酒流の仕事だ。また、表も裏も飛び回らなくては。

 久々に、胸が躍っていた。エンジンがかかったあの日のように。

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