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聖植物園日誌  作者: 小達出みかん


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白皙の君

――今でも鮮やかに思い出せる。彼の白い頬。繊細な指。透き通ったガラスのような目。

沖田隆一は、酒流にとって特別な存在だった。もっとも、最初からそうだったわけではなかったが。


「君が…新人の沖田君か。遺伝子工学の論文で主席を取ったというのは本当かい?」


 彼の伏せられた睫毛がゆっくり上にあがり、横目ですっと監査へ来た酒流を見た。


「そうですが」


「…にしては、君は入社以来、成果を出すどころか研究も行っていないそうだが」


 酒流の皮肉交じりの質問に、沖田は興味がなさそうな声で答えた。


「…白アスパラを復活させる実験をしたいのですが、研究費がおりなくて」


 彼が差しだした手書きのレポートに、酒流は目を通した。育ち上がるまで手間暇のかかるアスパラは、人間がドームに入って以来栽培が難しくなった。その栽培を簡単にするために、強い草と掛け合わせる。エノコログサ、別名猫じゃらしは、炎天下のもとでも萎れる事のない強い植物だ。


「ふむ…この2つをかけあわせて、失われたアスパラを復活させようという事か」


「そうです。でも…アスパラなんかよりももっと他に優先させるべき植物があるだろうと一蹴されて」


「でも君、なぜ白アスパラなんだ?栽培が不可能になった植物は他にもあるというのに」


 すると沖田は、少し困ったように酒流から目をそらした。


「昔、本に書いてあるのを読んだんです。白アスパラは野菜の王様で、『白い黄金』と呼ばれていたと」


「それで食べたくなったと?」


 沖田は少し考えるように目を閉じた。まっさらな若いその額にしわがきざまれる。


「単に食べたいというよりは…負けたくないと思って」


「ほう、それは誰に?」


「人類が負け始めているこの状況にです。食料が不足して、世界の食卓は潤いを失った。だけど人間には頭がある。昔の幸せを忘れないことも、抗う事もできる。だからこの状況からだって、過去の味も文化も取り戻せるはずだと」


 静かな口調だが、その中にはゆるぎないものがあった。やる気のない若者かと思ったが、そうではないようだ。使いようによっては、自分にも利益があるかもしれない。そう思った酒流は彼に申し出た。


「なるほど、面白い。その研究ができるよう、上に掛け合ってみよう。ただし、必ず成功させて欲しい。そうでなければ研究費は出せない」


 慈善事業でやっているわけではない。賭けに出る以上、リターンがなければ。どう出るか面白げに見つめる酒流に対し、沖田は顎を上げて言い切った。


「わかりました。約束します。絶対に成功させると」


 遺伝子実験に失敗はつきものだ。最初の一回で成功することなど、そうそうない。しかし沖田は、見事それを有言実行した。そこから酒流は、沖田の一種のパトロンのような立ち位置に立つこととなった。酒流が研究費の面倒を見た実験を、沖田は次々と成功させた。

 だが、ある日彼が骨折したという知らせがとどいた。驚き見舞いに訪れた酒流を見て、沖田は初めて笑った。


「あれ…酒流さん。あなたが見舞いにくるなんて」


 その顔は驚くほど疲弊していた。酒流はベッドの横の椅子に腰かけた。


「…私を何だと思っているんだい」


「GNGジャパン専務補佐」


 よどみなくそう答えた沖田の頬は窶れ、昔のみずみずしさを失っていた。


「…ひどい顔だ。なぜそうなるまで休まなかった」


「俺、過労で入院したわけじゃないですよ。知ってるでしょう」


 詳しい情報は、酒流の耳にも入っていた。沖田は研究所の階段から転げ落ちたのだ。だが、彼がそんなミスをするとも思えない。つまり―…


「誰が突き落としたんだ?」


「さぁね…見てないから、わからないです」


 その様子に、酒流は腹が立った。


「なぜそう平気でいられるんだ。自分の事だぞ」


「…今までもいろいろあったんで。データとられたり、実験の邪魔されたり」


 その声は、諦めた響きがあった。酒流は驚いた。


「誰だ?なぜ私に言わなかった」


「言ったってどうしようもない。ただでさえ俺はひいきされてるって、嫌われてますから。…まあ、こんな事になって申し訳なかったです」


「…つまり、沖田君の成功をやっかんだ同僚の仕業という事か」


 尋問する酒流から、沖田は目をそらした。そして疲れたようにその目が閉じた。濃い睫毛が、彼のやせた頬に影を落とした。その様子を見て、酒流はなぜだか目をそらしたくなった。


「君がなぜ、私に助けを求めなかったか理解に苦しむが…もう、無茶をするのは止すことだ」


 すると沖田の目が開いた。その目が強く酒流を捉えたので、酒流は内心たじろいだ。


「…俺はこの会社、辞めたくなかったからです。そのリスクを少しでも犯したくなかった」


 いつもポーカーフェイスの彼が、自分の気持ちを言うことは珍しい。酒流は思わず聞いた。


「それはなぜだい?」


「最初に言ったじゃないですか。負けたくないって。俺は…昔から体が弱くて、あらゆる事に負けっぱなしでした。でも体じゃなくてこの頭を使って…いつか勝ちたいって思ってたんです。俺の頭で、人間を勝たせたい。そしてまた日の光を浴びれる、元の世界に戻したい。人類を、復興させたいんです…!」


 その熱い独白を聞いて、酒流はただうなずいた。そしてなぜか、少しだけ肩透かしをくらったような、拍子抜けしたような気持ちになったのだった。酒流は内心で自分を嗤った。


(辞めたくないのは、あなたがいるから…なんて言葉、期待していたのか?ばかばかしい)


が、次の瞬間沖田はその唇の端を上げて酒流を見た。


「なんて…大きい事言いましたけど。本当は、酒流さんに認められたのが嬉しかっただけなのかもしれません。俺、あなたをがっかりさせたくなくて…だから言いたくなかった」


 いつも捕らえどころのなかった瞳が、この時ばかりは酒流をまっすぐ見ていた。射るようにだが、少し恥ずかし気に。その目に、酒流は不意をつかれてうろたえた。

…今まで、自分を慕って無邪気に見上げてくる人間など、いなかったからだ。


(私は…彼を育てようなどと思って、援助したわけではない。ただ仕事上都合が良いから目をかけただけだ。だが…)


 そういわれて嬉しいと思う気持ちを、抑えることはできなかった。そんな自分に戸惑いながらも、酒流は咳払いをして言った。


「そう思うのなら、もう無茶はしない事だ。もっと自己管理…いや、自分を大事にしなさい」


 病室を出たその足で、酒流は子飼いの部下に命じて調査を始めた。すると彼を突き落とした同僚が、沖田の実験データを盗んで外部に売っている事が判明した。そのデータをさらに追うと、外部企業が沖田に目をつけている事もわかった。酒流は思わず舌打ちした。


(本社も研究所も同じだ…伏魔殿のごとく、陰謀や悪事が横行している。このままでは、沖田が危ない)


 そう思った酒流は、退院して仕事に復帰した沖田を、サンクチュアリへと連れて行くことにした。サンクチュアリはもともと、実験の際畑から種や苗を外部に盗まれないためにGNGが買い取った無人島だった。

珍し気に日が落ちた海を眺める沖田に、酒流は言った。


「ここでなら、気兼ねなく実験ができる。サンクチュアリは役員や私が認めたごく一部の人間しか入れない安全な施設だからね」


「俺…海初めて見ました」


 まったく的外れな事を言う沖田に、酒流は肩透かしをくらった。


「…呑気だな、君は。殺されていたかもしれないんだぞ。同僚に」


 酒流が説教めいて言うと、沖田は一瞬笑った。


「でも、酒流さんが助けてくれましたから。あいつ…首になったって聞きました」


「さぁな」


 酒流はそっぽを向いた。裏切者には多少の制裁を受けさせたが、その詳細を沖田が知る必要などない。すると沖田はじっと酒流を見た。切り込んでくるような視線で。


「酒流さんは…その地位で、一体何を望んでいるんですか。何が、目的なんですか」



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