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聖植物園日誌  作者: 小達出みかん


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無敵の男の弱点

「何て?」


 あまりに予想外の言葉に、酒流は聞き返した。


「この文書を使って、GNGを改革するんです!さっき酒流さんが言ってた、お金や権力が大事な人達を追い出して、酒流さんが社長になればいい!そしたら研究資金だってチャモロコシにたくさん使えるし、悪い事しなくたって酒流さんの方針を通せるようになるでしょ?」


 酒流は度肝を抜かれて芹花を見つめた。

 …たしかに、この文書があればほぼ全ての幹部は言いなりになるだろう。自身の富を守り増やすことしか考えていない肥えた役員どもを、いつか出し抜いてやるとは思っていた。が、こんな早々にそのチャンスがめぐってくるとは思いもよらなかった。


(――だが、このチビちゃんの見返りはなんだ?慎重に探らなければ)


 酒流は笑みを見せた。汚い交渉ではこちらに部がある。何しろ踏んでいる場数が違うのだ。


「では、この携帯を私にくれるのかい?」


 ところが芹花は以外と手強かった。


「その作り笑い、やめてください。私は本気ですから、酒流さんも真剣に聞いて欲しい」


「あ、そう」


 酒流は面食らって笑顔を引っ込めた。


「文書のデータは酒流さんに渡すことができます。ただし!」


「ただし?」


「悪いことしないって約束できるなら、です」


 酒流は呆れた。なんだ、その子どもに言うような約束は…。


「この文書にあるような脱税?とか隠蔽?とか酒流さんが社長になったら一切、なしにしてください!そんな事してるから、下々の人間がいつまでも苦しいままなんです!一部の人たちだけ甘い汁を吸っているようじゃ、人類は復興できませんよ!だから悪いことから手を引いて、GNGを悪名高い会社から、良い会社にかえてください。私達も全力で働きます!でもそれができないなら、データは渡しません」


「ふむ…もしできない、と言ったら?」


「文書を、インターネットにばらまきます。この文書の存在を知っているのは私達だけじゃありません。兄が帰ってこなければ、母さんがこの文書をしかるべき場所に公表します。GNGはつぶれるかもしれませんが、こっちは命がかかってるんで構っていられません」


 芹花は息をはずませながら盛大にハッタリをかました。

 酒流の脳裏には、純子の顔が浮かんだ。まずい。あの内容がばら撒かれたら火消しはほぼ不可能だ。GNGが大打撃をくらえば、自身が密かに探し続けてきた『あれ』も、追う事が不可能になる。酒流はひそかに拳をにぎりしめた。


「それは困るな…芹花君」


「なら、私の条件を呑んでください!」


「どうしたものか……参ったね」


 揺れる素振りを見せる酒流。しかしながら、芹花の必死の搔きくどきは――酒流にはまったく響いていなかった。いまさら子どもの言うきれいごとにうなずけるような、そんな良心を持ち合わせている酒流ではない。

 酒流の内心を知らない芹花は、なおも続ける。


「チャモロコシを完成させるんです!それで、人類を復興させましょうよ!」


 その言葉に、酒流は思わず目を見張りそうになった。同じ言葉を、かつて酒流は聞いた。凛とした、けれど熱のこもった声だった。今でもはっきりと思い出せる。しかし――あの声もその姿も最早、酒流の頭の中の幻なのだ。どんなに願っても触れられない、聖なるもの。反対に現実の酒流は、汚泥に身を晒し悪に染まり切り、これからもその生きかたを変える事はない。酒流の口元に、皮肉な笑みが上る。


「ああ、そうできたら、どんなにいいだろうねぇ。」


 けれど、無理なんだ。声に出さずそう言って、酒流は黒服に目配せした。とたんに芹花は彼らに締め上げられ、さるぐつわをかまされ――ひとたまりもなく、拘束された。その体を、男が担ぎ上げる。


「よし、彼女を運べ。お前らは松田と中村兄を締め上げろ。ドーム熊谷の支社にも連絡を入れて中村母を抑えろ。これの文書は――約束どおり、私が活用させてもらう。『人類の復興のため』に使わせてもらうよ、芹花くん」


「うぐ……ま、まって」


 端末を手にして、酒流は意外にも真面目な顔で、芹花の目をまっすぐ見た。


「申し訳ない、芹花君。君の言う通り、私は嘘つきだ――だが君個人に、恨みがあるわけではないんだ。わかってくれとは言わない」


 それだけ言って、酒流は無情にも男たちに命じた。


「さて、社に戻ろう。今回の損失は痛いが――大きな収穫もあったからね」


 男の歩みにあわせて、芹花の身体がゆすぶられる。


(ダメだ、まずい……!ここで私がやられたら、大ちゃんは、母さんは、サチさんは……!)


 酒流に対して、説得など無意味だった。芹花の手に『文書』というこれ以上ない最強のカードがあってすら、酒流の心を動かし味方に引き込む事はできなかったのだ。一体どういう手段を用いれば、酒流はうなずくのか。彼の弱点はどこにあるのか。芹花にはまったくわからなかった。しかし、この状況をなんとかして脱しなければ……


(全員、殺される……っ)


 そう思った瞬間、芹花の手は勝手に動いていた。がっちり捕まえられている身体から手を無理やり伸ばして、前を歩いていた酒流の肩を、ガっとつかむ。


「やめ……て……っ」


 こんな事をして、どうにかなるわけがない――。必死の芹花を見て、酒流はふっと皮肉気に笑った。その表情は、芹花を憐れんですらいた。


「最後に言い残す事でもあるかい」


「……っ」


 言葉に詰まった芹花の手をつかみ、酒流は自分の肩から振り払おうとした。が、その動きがふいにピタリと止まった。


「こ……これは」


 振り払われるはずの手首が、酒流の手に痛いほどに掴まれていた。酒流の目は、芹花が腕に嵌めている銀の腕輪にくぎ付けになっていた。


「なぜこれを、君が持っている!?」


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