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聖植物園日誌  作者: 小達出みかん


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24/40

カナリアの自由

 サチの思いとは裏腹に、穏やかに夏の日々は過ぎていった。サチは毎晩海で泳ぐ芹花を眺め、時には花火をしたりして過ごした。2人で楽しい事ができて芹花は満足だった。チャモロコシもすくすく育ち順調なことこの上なかった。ただ一つ、サチの体調不良を除けば。


「サチさん、大丈夫すか」


 芹花は夕食を手に、ベッドのサチに声をかけた。芹花の心配そうな顔を見て彼は笑った。


「大丈夫ですよ、すみませんね」


 芹花はベッド横のテーブルに2人分の食事を置いた。最近はここで食事をする事が多い。

 微笑みかけても芹花の表情が明るくならなかったので、サチは気になった。


「どうしたんです?何か不安なことでも?」


 芹花は少しためらった後口を開いた。


「実は…カナリアの元気がなくて」


 なんだ、そんなことか。サチはほっとした。


「あれも長くいますし…寿命でしょうね」


「あの…私、気がついたんすけど」


「何です?」


「あのカナリア、結構長生きしてるんですよね?」


「ええ、まあ」


 話が嫌な方向にきたなとサチは思った。


「カナリアなんて、弱い生き物だから、ちゃんと世話しないと長生きしませよね?サチさん本当は、あの子のこと…」


 サチは思わず芹花から目をそらした。能天気に見えて、彼女には動物的な鋭さがある。

 サチはしょうがなく言い訳のようなものを始めた。


「大事というか…あれは、前任者の飼っていたもので…」


 どう言えばいいものか。サチは言葉をさがした。自分の過去を話すのは好きではないが、ちゃんと説明しなければ芹花は納得しないだろう。


「前任者は、私と同じように、仕事だけの人でした――」


 そう。彼、博士は、少し前の自分と同じ。仕事以外のものに関心を払うことはなかった。サチに植物学の知識を授けてはくれたが、「育てられた」という気はまるでしなかった。

 なぜなら彼はサチよりもよほどカナリアのほうを愛していたからだ。博士は毎日カナリアのそばで長い時間を過ごしていた。その歌に聞き入り、もっと上達するよう時間を費やし、やさしく話しかけていた。


(ひょっとすると、鳥は人間の言葉かわかるのかな)


 サチは淡い期待を抱いてカナリアに話しかけてみた。もしそうならカナリアと仲良くなれるかもしれない。そして、博士とそのことについて話せるかもしれない。


 だがその様子を見た博士は怒り、サチが鳥かごに近づくのを禁じた。

 サチはその時から博士もカナリアも嫌いになった。カナリアは言葉もわからない馬鹿な鳥だし、博士はサチがいてもいなくても気がつかないロボット人間だ。そう思うようになった。サチが育つにつれ、博士は体調を崩す事がおおくなった。だがサチは淡々と仕事をこなした。立場が逆でも、お互いそうするはずだから。

 

 そしてとうとう博士はベッドから起き上がれなくなり、酒流たちの手によって外へと連れていかれた。衰弱しきってからも、博士はカナリアの事を気にしていた。

 そしてサチは島に一人となった。だが感じたのは開放感とは程遠い、空虚な気持ちだった。


(置いていかれた。私の知らないところで博士は勝手に死ぬのだろう。もう憎む事さえ、できない…)


 そう思った瞬間、サチは虚無感に耐えられず崩れ落ちた。


 狭い牢獄のような「サンクチュアリ」でこれからずっと一人で生きていかなければならない。その大きすぎる絶望の中、サチも体調を崩した。高熱に数日間うなされ、死ぬかと思った。そして、死にたいとも思った。だが、死ななかった。


 熱が引いて真っ先に、サチはカナリアのかごを見に行った。死んでいるかもしれない。期待と恐怖の入り混じった気持ちでかごの中をのぞいたが、彼はしぶとく生きていた。

 ふと、逃がしてやろうか、と思ったがやめた。

 博士は島を出て、死という自由を手に入れた。だが自分は牢獄の住人のままだ。だからお前もかごから出してやるものか。お前も私と一緒に、ここに縛られるんだ、死ぬまでずっと――


「なので、大事にしていたわけではなく…」


 サチの言葉はそこで途切れた。あまりにも殺伐とした話に、芹花も黙り込んでしまった。


(サチさんは…そんな辛い過去があったのか)


 あの時けんかして、彼を殴ってしまった事を芹花は改めて後悔した。


「ごめんなさい、あのとき乱暴をして。サチさんの事情も知らなかったのに」


 サチは悲しげに微笑んだ。


「いいんですよ。あの時、説明なんてしなかったし…話すのも、芹花さんが初めてですよ」


 芹花は胸が痛くなった。それと同時に、この島に来てよかったと思った。自分が来なければ、この人はずっと一人ぼっちだったのだ。


「ありがとうございます、話してくれて」


 2人はしばし、見つめ合った。サチの顔はとてもきれいなので、芹花は少し気おくれがしたが、こんな時なので目をそらさず向き合った。

 サチはそんな芹花の目をじっと見た。芹花の瞳に浮かぶ光は、まるで澄み渡った夜空に輝く星のようだと思った。

 夜空の美しさを知れたのは、芹花のおかげだ。今まで牢獄のように思えたこの島が、彼女が居ることによってなんと美しく見えるようになった事か。

 風の優しさも、波の音のさざめきも、すべて彼女がいたから――


「芹花さん、私は…」


「あの、サチさん」


 2人の口から同時に言葉が出た。


「あっ、先にどうぞ、サチさん」


「いえ、芹花さんが先に」


 おそるおそる芹花が口を開いた。


「…カナリアなんですが、だいぶ弱っていて。一晩ついていてやろうと思うんです…それで」


「それで?」


「サチさんも一緒に来ませんか?最後になるかもだから、少しの時間でも」


 そうか、カナリアは今夜にも死にそうなのか。サチは少し考えたあと、芹花に頼んだ。


「芹花さん、すみませんが鳥かごをこの部屋まで持ってきてもらえませんか」


「えっ」


「私が、一晩ついててやることにします」


「わかりました!それなら私も一緒にいますね。サチさんは休まなくちゃいけないし」


 持ってきたカナリアは、羽に顔をうずめて止まり木に止まっていた。小刻みに震えている。


「…つらそう」


 芹花はぽつんとつぶやいた。何かしてやれることはないだろうか。


「…籠から出しましょうか。もう最後でしょうし」


 サチは籠の出入り口をあけてやった。


「…おいで、レモン。出ていいんだよ」


「レモン?そう呼んでいたのですか?」


「…この子、本当はなんて名前なんすか?」


 サチは昔の記憶からその名前を引っ張り出した。


「たしか、ローラと呼ばれていました。これの品種名が、ローラカナリアなので」


 サチは籠の中に向かってよびかけた。


「ローラ」


 するとカナリアは反応を示し、よろよろと止まり木をおり、出入り口へと歩き出した。


「ほら、サチさん!」


 芹花にせかされてサチはそこに手を差し出した。カナリアはそのままサチの手にのった。


「すごい、サチさんじゃなきゃダメだったんだ…」


 サチは手の上のカナリアをじっと見つめた。カナリアはサチの事を博士と思っているようだった。無理もない。


――サチと博士は、見た目も声も同じなのだから。


 初めて触れたカナリアは小さくて、もろくて、そして温もりがあった。とまどうサチの手の上で、小鳥は静かに息を引きとった。


「お疲れさま、ローラ…」


 何もいえないサチにかわって、芹花がそう言った。

 手の中のカナリアからだんだん温もりがなくなっていく。その感覚にサチの手は震えた。そして、今更ながら後悔が胸を襲った。カナリアはここに閉じ込められたまま死んだ。逃がしてやるのはサチにしか出来ないことだったのに、つまらない意地を張って閉じ込めた。


(ごめん…なさい…)


 肩を落とすサチに、芹花がそっと声をかけた。


「ここに。」


 差し出された小さな空箱には、ベッドのようにハンカチがしいてあった。


「寝かせてやりましょう。サチさんは、もう休んでください。遅いですから…」


 芹花はその箱を大事に持って、庭へ降りていった。

 そのしなやかな背中と、カナリアの姿がだぶって見えた。不安と焦燥がサチを襲った。


(そうだ…同じだ。彼女を逃がしてやれるのは、私しかいない)


 だが芹花が目の前から去って、自分は耐えられるだうろか。

 いや、無理だ。もはや私はそれに耐える体力すら残されていないだろう。

 では、彼女がカナリアのようになるのは?

 どちらが、耐えられる?

 サチはそう自問自答した。 


(このまま何もしなければ、確実にそうなる。ならば…)


 サチはぎゅっと拳をにぎった。考えなければならない。彼女を島から逃がす方法を。その後の事は、その時考えればいい。


――自分はどうなっても、かまわない。



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