夜のビーチで一触即発
顔が近いので起き上がることができず、芹花はやっとそうつぶやいた。海のものでも風のものでもない、薬品めいた甘やかな匂いが鼻をかすめる。しかし彼は厳しい顔つきで言った。
「…どこへ行く気ですか」
芹花は面食らった。
「どこって…どこも行きませんよ」
「海にきて何をするつもりですか」
サチの目は熱でもうろうとしながらも強く芹花を見ていた。芹花はサチが心配になった。熱が上がってどうにかなってしまったのだろうか?
「何って、海水浴…?それよりサチさん、熱は大丈夫すか」
芹花は手を伸ばしてサチの顔に手を当てた。砂浜より温かい。
「やっぱり熱、下がってませんね。戻らないと」
サチはそこでふと目を閉じた。よける間もなく、サチの体の柔らかな重みが芹花の上に落ちてきた。
(ちょっ……何………!?!?!?!)
覆いかぶされた形になった芹花はあせったが、すぐに落ち着きを取り戻した。自分のほうが身体は強いのだ。たぶん。
「サチさん、大丈夫ですか、サチさーん」
伏せられて見えないが、ちょうど芹花の頬の横にサチの顔がある。ドキドキするのを必死に抑えて、芹花は聞いた。返事はない。
「具合、わるいですか?立てます…?」
芹花は腕をサチの肩にまわしてトントンとした。
「大丈夫…です」
芹花の耳元でサチが言った。その感覚に全身が粟立った。素肌にサチの体が触れるのを感じた。そういえば今自分は泳いだ後で、水着なのだった。
(この状況…まずいのでは!?)
今さらながらにそう思った芹花は両手をサチの背にまわし、ぐっと抱えてそのまま起き上がった。
「ふぅ…サチさん、帰りましょう」
両手を話してそう言っても、サチはぼんやりと芹花を見たままだった。モフチーも心配気に彼女を見ている。
(具合が悪いのか?…こんな時、さっと抱き上げたりできたら、便利なんだけど)
さすがにそれは難しそうだ。変わりに芹花は彼に手をさしだした。
「帰りましょ。つらい時は、寝るのが一番ですから」
おずおずと、彼が芹花の手を握る。ずいぶん素直だ。相当に具合が悪いのかもしれない。芹花は彼を引っ張って立ち上がった。
「よっこい、しょ…」
道中サチは不気味なほどしゃべらなかったが、戻ってソファに座ると弁解をした。
「…あなたが、島を出て行くかと思ったんです」
「ええ?まさか。何でそんな事。だいたいどうやって出て行くんですか、船もないのに」
芹花は笑ったが、サチはうつむいた。
「すみません。熱のせいで…嫌な夢を見て、混乱してしまったようです」
その声は小さく、少し震えていた。芹花は、彼のとなりに腰を下ろした。
「どんな夢だったんですか?よかったら、教えてください」
「教える…あなたに?」
サチは暗い表情だった。
「ほら、辛いことって誰かに話すと、ちょっとラクになったりするじゃないですか」
「どうやって話せばいいか…わかりません」
「うーん、そっかぁ…」
そういわれると芹花もそれ以上無理強いはできず、しばし沈黙が流れた。
「…だから、芹花さんが話してください」
「ンー、何を話せばいいですか?」
「芹花さんのこと…なぜ、チャモロコシの栽培に熱心なんですか」
「それは…」
芹花はドームの環境や家が貧しいこと、両親の体が心配な事を話した。
「このままじゃ、きっと2人とも体を壊しちゃう。外で働く人はみんなそうだから。でも、チャモロコシが成功して、皆の口に入れば…」
「助かるかもしれない?」
「…そう思ったんです。だから何とか芽を出させないとって。屋根に植えたのは思いつきで、偶然すけど…」
芹花はそこで自分の話を終わりにした。
「サチさんは?次はサチさんのこと、教えてくださいよ」
「私の…何を?」
芹花は冗談めかして言った。
「うーんと、まずは誕生日、血液型、身長体重に家族構成」
「誕生日は2月10日、血液型はB、身長体重と家族構成はわかりません。長い事計ってないし、家族はいないので」
まずい事を聞いてしまったと芹花の表情は固まった。
「…すみません、無神経なこと聞いて」
「別にいいですよ」
「でも、なんというか…家族、親代わりの人はいたんですか?」
サチは視線を宙に上げた。
「私はごく小さい頃にこの島に連れてこられました。先住者がすでに居たのですが、彼は親代わりというには無理がありますね。死なないよう最低限面倒は見てくれましたが」
「その人…どんな人だったんですか?」
「私どころか自分にもかまわない人でしたね」
それを聞いて芹花は合点がいった。どうりでいただきますも、体温計の計り方も知らないわけだ。
「なので私は家族とか、友人といったものがよくわからないのです。この場所に居る限り、必要もないですし」
芹花はそういうサチの手をぎゅっと握った。サチは驚いて芹花を見た。
「何言ってるんすか!私たち仲間だし、もう家族みたいなもんですよ!」
「仲間?」
「だって、チャモロコシを成功させようって、2人で頑張ってるじゃないですか。だから仲間ですよ!それに同じ屋根の下で過ごしてるんだから、実質家族ですよ」
「…血が繋がっているのが家族ではないのですか?」
「血のつながりは、関係ないですよ」
「それは…納得できません。では家族とは何なのですか?」
芹花は胸を張ってこたえた。
「サチさんが熱を出したら、私は看病します。心配だから。サチさんが今日、私を探しにきたのも心配だったからでしょう?そういうのが「家族」だと思います」
「相手が心配なら「家族」なんですか?」
「うん。心配したり、助けたりする。お互いに。2人なら楽しいことは2倍、辛い事は半分こ、ってよく言うじゃないですか」
「楽しいこと…」
サチの目がまた宙を泳いだので、芹花は再び手を取った。
「せっかく夏ですし、楽しい事もしましょうよ!あっ、そうだ、花火があるんだった」
次々と芹花の頭の中に楽しい事が浮かんだ。
「カキ氷も作って食べて…夜なら海にも入れるし!テレビも食堂で一緒に見ましょう!」
サチにはどれも想像がつかなかったが、芹花につられて彼も微笑んだ。
「ええ…そうしましょう」
微笑むと驚くほど彼の印象が変わり、芹花は目を丸くした。
「わ、わ、笑ったーーー!!」
ひょっとして、茉里が好きなかっこいいアイドルより、ずっと美しいんじゃないか?
「な、何ですか…」
「いいえ、何でも!」
笑顔は一瞬だった。まるで雨上がりの虹みたいだ。この瞬間を覚えていようと芹花は強く思った。




