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聖植物園日誌  作者: 小達出みかん


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みかんとびわのシャーベット♥

 正門で、守衛と男性が言い争っていた。またトラブルか、と肩をすくめて立ち去ろうとした松田だったが、男性の最後の言葉は聞き捨てならなかった。松田は時計をちらりと見て、研究所の門へと向かった。


「君、本当に芹花さんのお兄さんなのか」


 門前払いをくらっていた男性が顔を上げて松田を見た。若々しいその表情は、顔立ちは違えどたしかに芹花と似た所があった。松田と目が合って、彼は軽く頭を下げて、自分のIDを松田に差し出した。その番号はたしかに、ドーム熊谷の中村家の一員であることがわかるものだった。


「なるほど。酒流は出ているから、俺が話を聞きます」


「すみません、お時間とらせて」


「ここだとなんだから、外に出ようか」


「ありがとうございます!」


 その誘いに、大樹はくしゃっとした人懐こい笑顔で答えた。屈託ない笑み――。芹花と同じで、彼もきっと一緒に居ると心が明るくなるような青年なのだろう。研究所のメンバーでのミーティングに嫌気がさしていた松田は、心が軽くなったような気持ちで大樹と共に研究所の外に出た。



 



 深夜、プライベートな端末に掛かってきた着信に、酒流はパーティ会場の周りの人々に断って、バルコニーに出た。


「……そうか、今回『も』空振り……か。わかった」


 静かにそう言って、酒流は通信を切った。一体何度、この失望を味わっただろう。


(『あれ』さえみつかれば――こんな無意味な捜査、すぐ打ち切って清々するのに)


 ああ、見つかればどんなにいいだろう。『あれ』の存在は、長い事酒流の心を照らす、唯一の希望だった。しかし、その希望がどんなに儚く可能性の低いものなのかも、またわかっていた。


(私の抱く、このわずかな希望は……ほとんどが妄想だ)


 しかしそれでも、この一縷の希望を手放す事ができない。いっそ真実が暴かれてしまえば、どんなに楽だろうとも思う。しかし、もしこの最後の希望を失ってしまったら、自分がどうなってしまうのか――やはり、考えたくはない。

 冷静を装っているものの、この件の知らせが届くたびに、心臓は痛いほどに鼓動を打ち、こめかみがキーンと熱くなる。


(絶対に――諦めない。必ず見つけ出して見せる…)


 いつも通りにそう念じながら、酒流は静かに深呼吸をした。こんな場所で、感情を出すわけにはいかない。今日のパーティでは、さまざまな企業の上役や政治家たちが来ている。情報をいただくのはこちらだ。奪われる側に回るわけにはいかない。

 自分に、良心などない。あの時にすべて失った。

 

 だから、どんな芸当だって、やってのけるはずだ。酒流は自制心を発動させ自分を取り戻し、端末をしまった。しかし、片手に握りしめていたグラスには、深々とひびが入っていた。平常心に戻った酒流は、苦笑してそのグラスを給仕の持つトレイの上に載せた。


「これを下げてもらえないか、君。割れかけているから怪我をしないよう気をつけて」


 軽く笑いかけると、給仕の若い娘ははっと目を奪われたような顔をしたあと、いそいそとグラスを運んでいった。送られてくる熱いまなざしを感じる。しかし、『あの時』すべて失ってしまった酒流の心は、どんな相手からの好意にも、1ミリたりとも動かないのだった。


(つまらない堅物だな――だが、それでいい。私は)


 目標を達成するために必要のないものなど、いらない。揺らぐ感情も、ときめきも、そんなものは邪魔なだけだ。酒流は社交用の笑みを浮かべながら、人々が談笑するフロアの中心へと入っていった。





「お、すごい!ここまで育ちましたか!」


 屋根の上から、松田の嬉しそうな声が聞こえてきた。


「見えましたー?」


「ええ、しっかり観察できました」


 松田は梯子を降りてサチと芹花に向き合った。


「こんな短期間で成果がでるなんて想定外でしたよ。ありがとうございます」


 その目は嬉しそうに輝いていた。


「屋根に植えるのを考えたのは芹花さんです。お礼なら、彼女に」 


 そう言ったサチを見て、芹花はおどろいた。


(サチさんが、私のこと、褒めて…!?)


 松田はニコニコして芹花を見た。


「発想が柔軟なんですね、芹花さんは」


「い、いやぁ~…まだ喜ぶのは早いですよ。さすがに屋根の上では狭いので、もうちょっと育ったら丘に移植しようと思ってて。それが上手くいけばいいんですけど…」


 久々に人に褒められてご機嫌な芹花は、2階の台所からとっておきのデザートを運んできた。この夏、芹花がせっせと肥料をやって丘から収穫したものだ。


「お待たせしました、みかんとびわのシャーベットです」


 芹花は笑顔で研究室のテーブルにガラスの器を出した。一口食べた松田は目を丸くした。


「おいしい!これはかなり糖度が高そうだ」


「えへへー、ここの土、いいから」


 松田がかくあるべき反応を示してくれたので、芹花はとても嬉しくなった。何しろサチときたら「おいしい」と言ってくれたことがない。味覚がないのだから仕方ないことではあるのだが。


「あ、そういえば…今日は酒流さんは来ないんですね」


「そうですね。酒流さん最近偉くなったんで、すごい忙しいみたいです」


「酒流さんが?へえ。あっ、もしかして次期社長になっちゃうとか?」


「いやあ、そこまでは…わかりませんけど」


 松田は笑って答えを濁し、サチと仕事の話を始めた。

 彼がまっすぐな人柄だからか、サチも松田に対しては誠実に対応している。業務中ながら、なごやかな時間が流れた。


「アイス、美味しかったです。ありがとうございます」


 船に向かう桟橋を歩きながら、松田は芹花に言った。


「へへ…こちらこそありがとうございます」


 そう笑う芹花の顔は、まだあどけない子どものものだった。この子の顔から笑顔が消えるのもそう遠くない――そう思った松田は、刺されるような罪悪感からとっさに口走ってしまった。


「あの、芹花さんは…」


「はい?」


 芹花の純粋な瞳が自分に向けられて、松田はふいに怯えた。

 もし彼女に本当のことを伝えれば、ただではすまない。酒流との約束を破るほどの度胸は、自分にはない―…。


「いえ、その…あっ、今日持ってきた荷物、ありましたよね」


 松田は口実を見つけて話をそらした。


「追加の食料ですね。それがどうしました?」


「荷物の一つに、ご家族から預かったものがあるので…確認してみて下さい」


「あ、ありがとうございます。何だろうなぁ…」


 芹花は首をかしげた。


「芹花さんが今月誕生日だというので、お兄さんが社までわざわざもってきてくれたんですよ」


「えっ、うちの兄が?」


「はい。家族の分まとめてあるので、よろしくと」


「そっか、会社も大学もドーム東京にあるから」


「ええ。僕も奨学金であの大学に通っていたんで、お兄さんとは話が合いました」


「そうなんすか?!ってことは、松田さんは、うちの兄の先輩なんですね」


「はは、そういう事になるのかな。しかし彼は、将来が楽しみな若者ですね。あんなお兄さんがいてうらやましい」


 芹花は熱心にうなずいた。


「そうなんです、ウチの唯一の期待の星で…て、松田さんも十分若いじゃないですか」


 松田もははと笑って船に乗り込んだ。


「では芹花さん、チャモロコシを頼みます」


 その声に、芹花は背筋をのばした。


「はい、まかせてください!」


 …その笑顔が、松田にはまぶしかった。が、船はすぐに遠ざかり、芹花の姿もあっという間に見えなくなった。


「くそっ……俺は……。」 


一体どんな顔で、笑っていたのか。よくも、芹花の前で善人ぶれたものだ。

苛立ちと焦燥に駆られて、松田は一人、ぎゅっと船上で拳を握った。


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