一応遠慮したから
言葉はきついが、口調は呆れている。なんだかんだで会話が続いているので、芹花は調子に乗って聞き返した。
「えー?じゃあサチさんはどんな事が楽しいんですか?」
「…楽しいって、どういうことなんでしょうか」
サチは誰にともなくつぶやいた。
「うーん…楽しいっていうのは…たとえば、友達と話したり、好きな物を食べたりしてわくわくすること…かなぁ」
芹花は考えつつ言ったが、自分でもぱっとしない答えだなあと思った。
「…私には無縁のようですね」
「え?何でですか。そんなことないでしょ」
何の悪気もなく聞き返した芹花に対して、サチは無表情だった。
「私は友達もいませんし、食べ物の味もよくわからないので」
そのネガティブな発言に、芹花は明るく反論した。
「今はなくとも、これから作ればいいじゃないですか。友達もすきな食べ物も。それ以外にも楽しいことってあるだろうし…サチさんはきっと、仕事が好きで、楽しいんですよね」
「仕事…?」
「そう!」
芹花は温室の中で手を広げた。
「ここも、外の畑も、引き継いだとき丁寧に世話されてるってわかりました。仕事に対する気持ち、感じました!」
サチはふんと一笑に付した。
「仕事だから、やったまでです」
だが芹花も、彼のそんな言動に慣れつつあった。笑う芹花を一瞥し、サチは温室を去った。
ルルルル…ロロロ…
研究室のイスに座ると、カナリアの声が聞こえてきた。サチはそれを追い払うように首を振ったが、カナリアの声は際限なく続く。
(全く…だからエサをセーブしていたのに)
あの声が聞こえてくるととたんに不快になるので、今までサチはエサを最小限にして鳴かせないようにしていた。だがそれを芹花に説明するのも癪なので、彼女がエサやりをするのは放っておいていた。
ロロロロロ…
だがその声を長く聞いても、以前ほどは不快に感じていない事にサチは気がついた。
(なぜだ?)
あの芹花がきてから、考え事が増えたのだ。ミント水も、カナリアの事も、予想もしなかった観点から彼女はサチを苛立たせ、驚かせた。そのことはサチを動揺させていた。最大の問題は、このところ彼女と接触する時間が増えてしまったことだった。
仲良くしたところで意味はないどころか、後で仕事の障害になるだけなのだ。だが、彼女を前にするとなぜか強く出れない自分がいた。サチがいくら拒んでも、冷たくしても彼女は明けっぴろげにやってくる。もう対処のしようがなかった。
(困ったことだ…)
カナリアの声が鳴り響くなか、サチはひとり重いため息をついた。
「あれ―…なかなか芽が出ないですねぇ」
すでに芽が出てもおかしくない日数がたっているのに、温室の土は音沙汰なしだった。
「発芽条件が違うのかもしれませんね」
この所、二人は毎朝チャモロコシの様子をチェックしていた。
「やっぱり、気温?」
芹花はしゃがんで土を眺めた。そしてひらめいた。
「あの、サチさん」
「何です?」
サチは片眉を上げた。芹花がこんな表情をするときはたいてい、何かとんでもないことを持ちかけてくる時だと、サチも学習してきていた。
「このチャモロコシの元のチャノキは、高山植物の要素を持っているんですよね?なら少し高いところに植えてみるのはどうでしょう?」
「高山並みに高い場所など、この島にはありませんよ」
「丘とか、屋根の上はどうでしょう?その方が紫外線もたくさん当たりますから、吸収力を見るのにも丁度いいかもしれません」
「見るって、どうやって?」
サチは少し意地悪にそう返した。
「どうって…普通のトウモロコシと、葉の厚みや花の色を比べて見ればいいんじゃないでしょうか?あ、葉からフラボノイドを抽出する実験をしたほうが早いか」
芹花の口からサラリと正解が出たことにサチは驚いた。それを見た芹花は得意げだった。
「へへ、ちゃーんと勉強してますよ!このチャモロコシには、私もマジなんで!」
サチは少し考えたあと、口を開いた。
「確かに…紫外線を当てるのは効果があるかもしれませんね」
「でしょ?高山並みでなくても、屋根の上なら!私、あそこに植えてみます」
「そんな事できますか?」
サチは少し驚いていた。芹花は胸を張った。
「できます!といっても、プランターを固定するくらいですけど…」
「…危ないのでは?」
「大丈夫大丈夫。こういう事はまかせてくださいって!」
芹花は拳で胸を叩いてへへっと笑った。
次の日の朝、芹花は自分の部屋のバルコニーに梯子をかけ、屋根へと昇った。少し不安定だったのでサチに支えてもらっていたが、ふと下を見るといなくなっていた。
(まあいっか。終わったら大声で呼ぼう)
初夏の強い日差しがじんわりと照りつけ、芹花の防護服につつまれた体に汗が滴った。
(温室より暑いな…)
釘を打つため右手に力を入れると、体がゆれてバランスが崩れそうになる。芹花は慎重にバランスをとりながら取り付けと植え付け作業を終えた。
「こんなもんかな。どうか、葉が上手く出ますようにー…」
芹花は両手はパンッと合わせて目を閉じた。すると、目の裏がチカチカしてきた。少し長く太陽に当たりすぎたようだ。そう思った芹花は力をふりしぼって叫んだ。
「サチさーん、梯子、たのみます!」
バルコニーのドアがバタンと開く音がした。
「おさえました、芹花さん」
芹花はよいしょと腰を上げ、そろそろと梯子へ向かった。下にサチが見えたので安心して芹花は一歩を踏み出した。
「おりますねー…」
降り途中、もうろうとした頭だったが芹花ははっと気がついた。
(今、サチさん、私のこと「芹花さん」って…!?)
降りきった芹花はサチのほうを振り向いた。
「あのサチさん、今、私のこと…」
その先を続けたかったのだが、ろれつがまわらない。まずい…と思った瞬間、芹花は地面にずるずるとへたり込んでいた。サチがあわてて肩をつかむのを感じたが、そこまでだった。




