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ドーム住まいの女子高生

 その日の朝、中村家の居間は緊張につつまれていた。両親、兄、弟、そして猫のモフチーまでが息をつめて待っていた。芹花は時計に目をやった。あと一分、あと五十秒、あと…


「あと三十秒ッ!」


 芹花は我慢できず沈黙を破った。


「そう時間ぴったりとは限らないよ。回線が混みあってるだろうしね…あっ」


 兄の大樹は手元の電子端末に目を落とした。空気が張り詰め、皆の緊張が最高潮に達した。


「どうなの、大樹…」


 母の純子ががおそるおそる聞いた。大樹は笑って端末を皆に向けた。


「すごい!合格だ!しかも満点!」


 芹花は叫んで手を叩いた。それに反応してモフチーがワオーンと鳴いた。


「ああ、これで一安心だよ」


 大樹はふうっと息をついた。奨学金は、入学試験の上位数名しかもらえない。中村家の家計はいつも苦しい。大樹が医学部に進学するためには奨学金が必要だった。


「俺、学校に報告にいってくるよ」


 その言葉に芹花ははっとして時計に目をやった。自分も急がないと遅刻だ。


「走れば次のモノレールに間に合うッ」


 いうが早いが、芹花はリュックをつかんでアパートを飛び出した。無機質なライトに照らされたまっすぐな道を駅まで急ぐ。ここにはまぶしい太陽はなく、風も吹いていない。


 ――二二一九年、人類は外の世界ではなく、ドームの中で暮らしている。


 ◆


「芹花、一緒に帰ろ!」


 いつもは違う路線で帰る幼馴染の茉里が同じモノレールに乗り込んだので、芹花は首をかしげた。


「どうしたん?」


「今日は定期検査の日だよ。芹花、忘れてたの?」


 茉里は呆れたように言った。さらさらした黒髪からふわりといい匂いがした。


「茉里、なんかいい匂いする、香水?」


「ううん、今日はつけてないよ。シャンプーの匂いじゃないかな」


 シャンプーだけで良い匂いがするだろうか。芹花は自分の髪をひっぱって匂いをかいでみた。


「ぜんぜんいい匂い、しない……」


 茉里は芹花の髪に手をやってチェックした。


「無香料の使ってるんでしょ?香り付きのがお勧めだよ。ドライでも一日いいかんじだよ」


 水は貴重品なので、毎日シャワーは浴びれない。芹花は昨日はドライシャンプーで済ませた。だけれど自分がいいシャンプーを使ったところで茉里のような髪になれるかは疑問だ。芹花はモノレールの窓に映った自分を見た。家業のせいで髪はぱさぱさ、体は筋張ってて固く、肌も浅黒い。芹花はため息をついた。


「私ががんばっておしゃれしたところでなぁ…茉里とは土台もモチベも違うんだよね」


「えー? 私は痩せてる芹花がうらやましいよ」


 二人の乗ったモノレールがスーッと発車した。窓の外を流れていくのは、代わり映えのない景色。照明で調整されているドームの中は、朝も昼も毎日同じ明るさだ。夜になると薄暗くなり、朝になればまた点る。芹花の両親も、その両親も、この照明の光を浴びて育ってきた。


 人類が外で暮らせなくなってから、もう百年以上になる。異常気象と疫病のせいだ。夏は灼けつくように暑く、冬は氷点下を下回るほど寒い。続いてウイルスの類が爆発的に人間の間に広がった。以前はどうという事もなかった風邪でも、環境の変化とそれに伴う食糧事情の悪化で弱っていた人間にとってはひとたまりもなく、多くの人が命を落とした。世界的に広まっていた不妊も、さらに人口減少に拍車をかけた。このまま暮らしていくことはできない。そこで人間は外の生活を捨て、清潔で日光を遮断するドームを建設してそこへ移住していった。


 芹花の暮らすドームはこの初期に建設されたものだ。関東地方のほぼ中央に位置しており、通称名は元の地域名を取って「ドーム熊谷」と呼ばれている。中規模なドームで、十五万人程度の市民が暮らしている。 


 だが十五万人がそれぞれ職を持ち生きていくにはドームの中だけでは到底足りない。もっと都会の大きなドームに出稼ぎに行くものも多いし、食料も外からの輸入に頼っている。

芹花の両親も、ドームの外での職を生業としている。ドームを出て程近い畑を耕し、収入を得ている。外の紫外線と汚染された空気、それに強力な消毒液にさらされ続ける過酷な仕事だ。それなのに収穫はすべて国に管理されていて、決まった金額で彼らに買い上げられ、分配される。父も母も、年々体がむしばまれていく。この状態に、芹花はずっと不安と理不尽さを感じていた。


 だから、こうして窓の外を眺めながらふと頭に浮かぶのは――年頃の女子高生らしい事柄ではなく、父と大樹の会話だった。


「今年も予定以上に出荷できたのに、なんでうちは赤字のままなんだろう…?」 


 そう聞く大樹に、父は頭を掻いて答えた。


「なんつっても種が高いからな。年々吊り上がっていくからしょうがねぇ」


「ほかの会社から種を買うわけにはいかないの?」


「今のところGNG社のものを買い続けるしかない。なんでかわかるか?」


 芹花には全くわからなかった。ただ、「野菜と言えばGNG、世界の緑の台所♪」というCMでよく耳にするフレーズだけは頭に浮かんだ。


「この会社はな、種にすごい細工をしているんだ。だからここの野菜はドームの外のひどい環境でもちゃんと食えるものに育つ」


「細工?」


「その作物の性質を、人間に都合のいいように作り変えるんだ。水が少なくても、氷点下でも育つようにな。莫大な時間と金をかけて、研究者たちがその種を開発したんだ。そんな手間のかかったものを、安く売るわけがないだろう?だから遺伝子にロックをかけて、次の種ができないように細工してある」

 大樹はうつむいてその先を続けた。


「…おかげで農家は、収穫を終えるごとに高いお金を出して、新しい種を買うしかない」


 父は大樹の肩をぽんと叩いた。


「ま、あんまり考えんな。人がドームで生活する前から、農家なんてずっとこんな扱いさ。変えるなら…すごい科学者にでもなってもっと画期的な種を作るしかないな、はっはっは」


 もっと画期的な種って、どんなだろう…。芹花は何も思い浮かばなかった。だから兄が全国で一、二を争う大学に合格して嬉しかった。自分の頭ではたいした事はできないが、兄なら「すごい科学者」になれるかもしれない……。だから今朝の合格発表が、芹花は自分の事のように嬉しかったのだった。


「芹花?ついたよ、降りよう」


 茉里に腕をひっぱられ、芹花ははっとした。二人はモノレールを降り、メディカルセンターに向かった。年齢にかかわらず、市民は月一回の健康検査を受けなければならない。二人は検査を終え、結果を受け取った。


「田代茉里さん、中村芹花さんですね。こちらが結果です」


 芹花と茉里はカウンター越しに結果の確認をした。オールグリーン、いつも通りだ。芹花はとても頑丈で、めったに風邪はひかない。


「それと、中村さん。医師によるチェックを受けてもらいますので、処置室二四番へどうぞ」


「えっ?」


 芹花は固まった。結果はいつもどおりなのに、なぜだろう。だが逆らうわけにもいかない。


「ごめん茉里、どのくらいかかるかわからないから、先帰ってていいよ」


「じゃあ駅で待ってるね」


 芹花は茉里と別れて処置室へ向かった。


「…ずいぶん肌が焼けているようだが、心当たりはあるかね?」


 高齢の医師は、芹花と手元の電子端末を見比べながらそう聞いた。


「ああ、これは…」


 確かに芹花は他の人と比べると肌の色が濃く、そばかすも浮いている。それは時折両親について外に出ているからだろう。芹花はそのことを説明した。


「ですが私も家族も、外に出る際は対策も消毒も行政の手順にしたがってきっちり行っていますので、問題はそう…ないかと…思うんですが」


 少し後ろめたい事のある芹花は少し言葉を濁した。


「いや、いや、そんな事で呼んだわけではないよ。ちょっと手を見せてもらっていいかね」


 芹花が差し出した手に、医師は小型の機械を当てて何かを調べた。


「ふむ…メラミン色素が多いようだね…。君は検査以外では病院にかかっていないようだが、最後に風邪をひいたのはいつ?」


 芹花は考え込んだ。いつだったろう。大きくなってからはひいていない気がする。


「…多分、十歳の時だったかと思います」


「というと、もう7年以上、全くの健康体ということか。ふむ…」


 医師は眉を寄せて再び端末に目を落とした。芹花は不安になって聞いた。


「あの…なにか問題が?」


「いや、珍しい結果だからね。後日、精密検査を受けてもらいたい」


「は、はぁ…わかりました」


 芹花は茉里の待つ駅へと向かった。ふと駅前の無人販売機が目に入り、芹花は立ち止まった。機械のパネルには色とりどりの美味しそうなキャンディやチョコレートが表示されている。だけれど中身はどれもニセモノで作られた代用品だ。キャンディは合成甘味料を固めたものだし、チョコレートは香料と着色料で風味を装っているだけの代物だ。芹花は本物のチョコレートも、砂糖も食べたことがない。


 世界の食糧事情は年々悪化している。芹花の住んでいるドームも例外ではない。肉や乳製品は一番の高級品で、市場に出回ることはほとんどない。それでも多くの人々がなんとか飢えずにいられるのは、GNG社の存在が大きかった。


 最初はアメリカの一企業に過ぎなかったGNG社だが、食糧事情の悪化を予測し、先手を打って遺伝子組み換え野菜の開発を進めた結果、世界のトップ企業に躍り出た。いまやGNG社のトウモロコシ、大豆、小麦はシェアの90%を占め、世界中の人々がそれを食べて生きながらえている。


(えーっと、これにしよう。自分と茉里のぶん、と)


 芹花は乾燥大豆で固められたニセのチョコレートバーを2本買った。中身がまずい分、パッケージはどの菓子も凝っていて、可愛らしい包装につつまれている。猫の顔のイラストが描かれているので、芹花はこのチョコバーがお気に入りだった。


「ごめん、待たせたね」


 芹花はホームのベンチに座る茉里の隣に腰かけた。


「ありがとう。じゃあ白猫ちゃんのほうにしよっと」


 茉里は白猫、芹花は茶トラ猫の包みをやぶってチョコバーを口にした。相変わらずぱさぱさしているが、少なくとも甘い。


「その茶トラちゃんはモフチーに似てるね。だからこれいつも買ってるんでしょ?」


 茉里は茶トラを指差した。茉里は動物好きで、特に猫が好きだった。


「その通り」


 指摘されて、芹花は携帯のホーム画面にしているモフチーとパッケージの写真を見比べた。


「私も猫を飼いたいのになあ…なんとかママにうんと言わせる方法ないかな」


 それを見て、茉里は頬を膨らませた。猫を飼いたいというのが、今のところ彼女の最大の夢なのだ。


「うーん、どうかなぁ…」


 芹花は苦笑いをした。茉里の母が反対する気持ちもわからなくはない。ドーム内ではウイルス対策のため、正規のペットショップで管理された血統書つきの動物しか飼う事は許されない。値が張る上に、飼うこと事態あまり歓迎されない風潮があった。人間と同じで健康検査も義務付けられている。猫や犬を飼うのは一部の変わり者か、お金持ちだけだった。


「芹花はモフチーを買うとき、反対されなかったの?」


「うーん…されるだろうって思ったから、最初は隠してたっていうか…その」


 芹花は歯切れ悪く言った。しかし茉里は悪気なく追求した。


「こっそり?モフチーはどこのお店で売ってたの?珍しい柄の子だから高くなかった?」


 芹花は完全に言葉に詰まった。実はモフチーは、店で買ったわけではないのだ…。


(でも茉里になら、言ってもいいか)


 そう思い、芹花は口を開いた。


「実はモフチーは…ドームの外で拾った猫なんだ」


「ええっ!!?そんな事、どうやって??」


「一度野菜をあげちゃったらさ、ついてきちゃったんだ…」


 モフチーは毎日毎日外で芹花を待っていた。そのうち鳴くようになり、そばまで来て膝に乗るようになった。そして追いかけてきた彼を置いていくことは、芹花にはできなかった。


「よく、中に持ち込めたねぇ…怒られなかった?」


「野菜のかごに隠して、一緒に消毒してなんとか。母さんにすっごい怒られたけど、今じゃ家族の一員だよ。…これ、ここだけの話ね。ばれたらモフチー、センターで処分されちゃうかも」


「もちろん。…だからモフチーって、見たことない柄してたんだね。縞模様なんだけど、茶色と黒が入り混じってて。体つきもしゅっとしてて野性的だし」


「雑種だからね。ドームができる前は珍しくもなかったらしいけど…」


「幻の『野良猫』ってやつかぁ。いいなぁ。私も可愛い子を飼いたい…」


 茉里はうっとりとした顔でそうつぶやいた。つられて芹花も肩をすくめて笑った。その時ちょうどモノレールが到着し、二人は帰路についた。

家の玄関のドアを開け、芹花は立ち止まった。なんだかおかしい。いつも出迎えてくれるはずのモフチーが出てこない。この時間にはいるはずの両親もいなかった。芹花はこども部屋へ向かった。大樹はいつものように机に向かっていた。その横顔は真剣で、しかし憂いを帯びていた。

同じ両親から生まれた兄弟だが、大樹は賢く、穏やかで、線が細く憂い顔が絵になる男子だった。対して芹花は、なにもかもその逆。しかしそんな事など関係なく、芹花は兄の大樹が好きだった。だから兄が悲し気な顔をしていると、心配になる。モフチーも芹花と同じ気持ちのようで、その膝の上で大樹を見上げていた。心配そうに縞模様のしっぽをぱたぱたとさせている。


「大ちゃん、かあさんたちどこいったの?」


「俺の学校。大丈夫、すぐ戻ってくるよ」


 大樹は困った顔で肩をすくめた。その様子に、何か事件が起こったのだと芹花は察した。


「何かあったんだ?」


 大樹は芹花を見たあと、モフチーを撫でながら言った。


「…俺は合格を辞退しようと思う」


 芹花は仰天した。


「な、なんで!?冗談、だよね?」





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