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義娘になるはずだった騎士団長の副官に任命されました…!

作者: 藍さくら

楠 結衣先生の周年記念

騎士団長ヒーロー企画参加作品です


素敵な企画ありがとうございます&おめでとうございます!たくさん投稿増えてて末席汚す…とドキドキしています。少しでも皆様に楽しんで頂ければ幸いです。

 異動届けを手にしながら、リア・ブロッサムは固まっていた。

 昇進はうれしい。

 本部第一部隊の副官になるのは己の悲願だったと言ってもいい。

 夢、ではないだろうか。

 いや、それよりも、この人事を知ってあの人はどう思うのだろうか。

 眼鏡のツルをそっと上に持ち上げて、しっかりとかけ直す。

 瞬きして、もう一度見直してみても、辞令は変わらない。


『リア・ブロッサム中将を本部第一部隊長付副官に任命する』


 本部第一部隊つまり、帝国軍の最高峰の部隊で。

 その隊長、つまり帝国騎士団の団長の副官だ。

 組織としては、騎士団長の上には総司令官がいて、その上には議会やら王がいるが、まぁ、帝国民も、従軍してる自分たちも、騎士団長と言ったら第一部隊隊長だし、騎士団の一番上の人とか責任者と言ったら、騎士団長を想定している。

 その、副官になるということは、この先の昇進は総司令官付き副官か、もしくは各団の団長として大将になるかだ。

 完全に出世街道を驀進している。

 リア自身に出世欲があるわけではないが、体の良い女性の社会進出の旗印として担ぎあげられているのはわかっていた。

 だからこそ、あわよくばと、毎年希望配属は第一部隊副官で出し続けていた。

 それでも、騎士団長と自分の関係的にも、無理だろうと諦めてもいた。それが、叶う日が来るだなんて…!

 リアは動かない表情筋を必死に動かし、両手で両頬を押さえた。動かしたいのか、隠したいのか。

 自分でも分からないまま、喜びを噛み締める。

 もちろん、自分が騎士団長の副官となるということは、今後働く女性や、軍属を目指す女性の指針とするためであり、罷り間違っても、リアの長年の憧れを汲み取ってくれたものではなく、何が期待できるわけでもないのだろう。

 とはいえ、リアにとっては、長年の夢の成就だ。むしろ、それでしかない。リアだって、自分を慕ってくれたり頼りにしてくれる後輩たちは可愛いし、彼女達が働きやすい職場になれば良いとは思ってる。でも、旗印とか、女性の社会進出とか、そんなことはどうでもよくて、己の夢をもう一度叶えるためだけに我武者羅に進んできただけなのだ。

 憧れの人ともう一度、肩を並べる。ただその目標だけを掲げて愚直に努力を重ねてきた。

 騎士団長のオルテウスにとっては、リアが直属の副官になるということは、蓋をした過去が甦り、苦虫と向き合う日々となるだけかもしれないが。

 もし、拒否をされたら、軍を辞そう。

 彼ともう一度働くためだけに頑張ってきたのだから、駄目なら田舎で隠居して、彼への想いを花なんかに込めたりして。育てた花を売って、薬草の知識と、魔獣狩りの褒章なんかでのんびりと余生を過ごすのもありかもしれない。

 無駄に黙々コツコツと働いてきて、そこそこ蓄えもあるのだから。

 脳筋のリアにとって、唯一ともいえる自虐的妄想でいつものように心を落ち着けると、いや、でも騎士団長は、予め人事を知っていてそれでも何も言って来ないのだから。気にしてないとか。仕事とプライベートは分ける主義なのかもしれないし。むしろ、忘れてすらいるかも知れないと妄想の天秤を反対側に振り切って頭を振る。

 ちがう。騎士団長がどう思っていてもいい。

 この、手の中にある辞令が全てで、現実だ。

 剣を握るにしては細くて華奢な指で、丁寧に異動届を四つに折り畳むと、懐に入れてリアは軍舎の長い廊下を、かつかつとブーツを鳴らしながら足早に歩きだした。

 かつての婚約者だった男の父親である、憧れの騎士団長と顔を合わせるために。


 リアが婚約破棄をされたのは、もう十年も前のことだ。政略結婚の予定だったし、自分は可愛げがないから仕方ないかな、と早々に割り切ったものの、方法に関しては未だ少し悔いが残っている。

 町の巡回中に、可憐なお嬢さんを引き連れた婚約者と遭遇してしまい、その場で、同僚の前で大々的に婚約破棄宣言をされた。

 曰く、自分よりも強い女が婚約者とか恥ずかしいとのこと。左様ですかと、その場で婚約破棄を受け入れたところ、かわいげがないと唾を飛ばしながら細腰の彼女の腰に手を回して軍靴を翻された。

 痛ましいものを見る目、ざまぁみろ!と言う陰口。

 それらも煩わしかったが、何より、氷の団長と言われていた、当時の本部第八団長で、彼の父親でもある静謐な憧れの人の娘になるチャンスをふいにしてしまったなと、ただそれを少しだけ残念に思った。

 婚約者殿には結局一ミリの未練もなくて。

 そういうところが駄目だったのだろうなと納得はしたものの、最後に団長にきちんと詫びを入れて挨拶をしたかったな、とか、結局駄目になってしまい、失望させてしまうのなら、婚約の打診を受けるべきではなかったな、と反省した。でも、婚約しなければ得られなかった時間を思えば、受けてよかったわけで。未だにその辺りは自分の中できちんと整理できていない。

 他部署の団長含めて顔を合わせる機会は何度か有ったものの、婚約破棄された元息子の婚約者と職場で深く話すことなどないのだろう。一度、総会議の後に、たまたま二人きりなった時、息子が不甲斐なくて済まなかったとは謝られたものの、その後は当たり障りなく会釈や挨拶を交わすことしか出来ていない。

 とはいえ、彼に何かをして欲しいと思っていたわけではないリアがすることは変わらなくて。顔を合わせれば部下として適切な距離で挨拶を交わし、義娘にはなれなくても、誇れる部下にはなろうと。研鑽を積みあれから十年。リアはひたむきに訓練と職務に打ち込み、蒼炎のリアなんて大層な二つ名までもらう一流の軍人へと成長した。基本、まじめで脳筋のリアはひたむきに努力をするのが苦でなかった結果でもあるが。

 とにもかくにも、婚約破棄されても、憧れの軍人は義父となる予定だったオルテウス閣下です、そう名言して、第一部隊隊長の副官を希望してきた。彼がいつか隊長の任に就くと信じて。

 幸い、リアには事務能力や剣の才能に加えて、元来魔力量が少ないと言われている女性としては破格の魔力量と、憧れの閣下の氷魔法を見習ってコントロールや色を研究した結果、青い高温の炎で敵も魔獣も焼き払うという飛び抜けた魔法の才があったため、将校として身を立てられたし、出世に伴い有名にもなっていった。

 名が売れれば出世はしやすくなる。気づけば一度の地方任務を経て、本部の各部の副官を歴任し、十ある大隊を六つ経て、いよいよ、本部第一部隊長付副官の辞令を手にした。

 副官の次はどこかの部隊長なので、王国軍三十万人のうち、トップ50に入ったということだ。地方軍の部隊長30人、か、本体の10部隊の部隊長、そして、総指令官閣下と総司令官副官しか実質リアに指示を出せる人間がいなくなるということだ。副官は中将として並列、とは言え序列を明確に示せば本部第一部隊長付副官が中将の中ではトップだ。

 今まで以上にやっかみもあるだろうが、これで少なくとも陰で襲われ掛けたりという煩わしさからは逃れて、職務に全うできるだろう。

 最初の副官就任直後などは酷かった。女のくせには当たり前で。影どころかどうどうと向かってくるので何度こてんぱんに伸したものか。

 本部第一部隊長付の副官という地位に納得できないと突っかかってくる連中もいるかもしれないが、副官に着いている人間などは自分の力量も把握しているし、人格的にもそのような悋気を表に出すことはない。こうなってまでも来るとしたら、今まで地方にいた者の配属が多い第9・10あたりの三年目から五年目、あとは副官配属経験がない第1から第3辺りか、第8にも注意が必要だ。とはいえ、自分の直属の上司になる者に、エリートの第1部隊の隊員は牙を向けことはないと信じたい。要チェックメンバーを脳内で総ざらいしている間に辿り着いた、廊下の突き当たりのドアの前で思考を切り替えて、かつりと踵をそろえる。短く二回ノックをして、入室の許可に従い頭を軽くさげながら中へと入る。

 顔に陰を落とす薄桃色のボブヘアが、さらさらと耳から前に流れてくるが、許可がでるまで頭はあげない。


「頭をあげたまえ。リア・ブロッサム中将」


 頭をあげると、女性にしては背が高いリアより頭一つ背が高い、軍人には見えない見目の良い男性が満面の笑みで近づいてくる。


「ようこそ、本部第一部隊へ。君を歓迎しよう。よろしく頼むよ、副官殿」


 細身で優男。短く刈った濃紺の髪がほぼ黒に見えるため、とても50歳を越えているように見えない。

 ただ、その握手を求める手は力強く。

 見た目以上に鍛えられていることが握手だけで伝わってくる。

 当然だ。我が国が誇る最強の武人なのだから。総指令官閣下がいるとはいえ、実質軍のトップは目の前の男性だ。

 オルテウス・バーグマン大将。リアの本日付けの上司になる相手で、憧れの男性で、そして、元婚約者の父親。

 力強さも、優しそうな笑顔も。

 息子の婚約者だった時と変わらない。

 それでも、柔和そうに見える笑みの奥に、微かに緊張感が含まれていて。探るような一対の暗い光がじっと自分を見つめている。


「それとも、わだかまりがあって、異動を希望するかい?それなら、君に不利な結果とならないように尽力しよう」


 誠実な言動に、時を経て対面したことも忘れて、リアの心は初めて彼に出会ったときに引き戻されそうになる。

 職務中だということを必死に思い出し、問いかけの返答に集中する。

 異動を希望するかと言われているが、本部第一部隊長付副官より考慮された地位となると、司令官付副官か、大将に昇進して地方の隊長職だ。

 副官を歴任しているとはいえ、若輩者のリアをいきなり大将に昇格はいくらなんでも無理がある。

 かといって、第二部隊の副官は第一部隊よりも明言はされていないものの、格下になる。

 上を目指している後進に、昇進した直後に降格を示唆するような性格ではオルテウスはない。清廉で潔白公正。それがオルテウスだからだ。

 つまり、これは、元婚約者の父親と顔を突き合わせて仕事するのが気まずいなら、総司令官副官か大将昇進なんて無茶苦茶でも、己の持てる力全てを使ってやってやるという、彼の最大限の配慮なのだろう。

 変わらない優しさに破顔しそうになりつつも、顔を引き締める。気まずいならも何も、異動を長年希望していたのはリアの方だ。

 この地位を、というよりは、オルテウスの副官を。

 従軍した時から憧れていた。

 義父になると決まった日には、緊張で吐いた。

 婚約が破棄された日には、婚約破棄には何とも思わなかったが、彼の義娘になれないことは残念に思った。

 そんな憧れの存在。

 彼の副官になることが目標だったのだから。

 わだかまりなど微塵もあるわけもないし、彼に返す答えなど、役目を拝命する、命ある限り職務を全うし、彼の手足となる、それ以外にはないのだ。

 うっかり散らばりそうになる思考を纏めて、彼が目の前にいることに隠しきれない緊張を飲み込みながら、びしりと右手を右眉にあてるように敬礼し、左手を背に回して胸を張る。


「わだかまりなど微塵もありません。本日付けで閣下の副官を拝命しました。よろしくご指導お願いいたします」


 リアの返答にオルテウスはふんわりと笑うと、二歩の距離を詰めて、頭を軽くぽんぽんと叩いてすれ違うと、入口脇に用意されていた副官用のデスクにリアを案内する。


「こちらこそよろしく。うん。着任の儀式はこれで完了、ということで、二人の時は以前のように気楽に接してくれ。これは、以前の副官にも伝えていた。四六時中かしこまられていては肩が凝ってしまう」


 凝る肩なんてなさそうな相貌なのに気さくに笑うと、簡単にデスクの引き出しなどを開けて必需品の説明や予備の備品の補充の仕方を教えてくれる。

 強いのにこういう気遣いの人であるところが、オルテウスの人気の秘密なのだろう。

 リアだけでなく、軍属の人間の大半はオルテウスに傾倒していた。

 第一部隊隊長が総司令官に就任するのはほぼほぼ内定の流れなので、数年以内にオルテウスが総司令官となることを、皆楽しみに待っているのだ。

 オルテウスは案内を終えると、早々に踵をかえし、重厚なオークづくりの己のデスクの向こう側へと戻っていく。


「早速で悪いが、副官不在の一週間でこれだけ書類が溜まっている。とはいえ、他部署も異動時期なのでどこもこれぐらいの遅れも蓄積もあるだろう。月末の遠征までに片づけていこう」


 机の上に三列に積み上げられた書類の山を示される。


「はい」

と、リアは素直に頷くと、書類を一山受け取り、先ほど案内された入り口のデスクで黙々と作業に入る。今日から一週間の業務予定表のチェックや月末の遠征の手配など優先順位の高いものから確認しながら書類を捌いていく。

 リアは脳筋だと自他ともに自負しているし、身体を動かしている時の方が、頭を働かせるより性に合っているのだが、身体を思い切り動かすためにも、憂いなく訓練に打ち込むためにも、朝一番に書類仕事は片づけたい性質だったし、書類仕事自体も素早く片づけることできた。副官以上なんて多かれ少なくそんなもんだ。書類仕事をしっかりこなしてその後に身体を動かしている。役職が上がるごとに増える書類をどうにかしないと好きに動くこともできないのだ。

 軍で昇進している者は少なからず書類仕事が早い。

 黙々と二人で手を動かす時間。

 リアはこの時間をずっと求めていた。

 憧れの騎士団長。

 彼が動いてる。

 自分の視界で。

 その眼差しが。

 声が。

 存在がもう尊い。

 生きて動いているだけでありがたいのに、同じ空間でずっと一緒に働けるし、あわよくば手合わせや指導なんかもお願いできる。

 ありがたいを通り越している。

 明日からの仕事も楽しみすぎて、リアは奥歯をぐっと固く噛み締めて、眼鏡をしっかりと奥までかけた。

 によによしないよう、気を引き締めないと。

 求めていた時間を失わないように。

 一刻一刻を大切に過ごせるように。

 

 リアが以前、彼の息子の婚約者だった一年間、数えるほどだが、何度か、婚約者の支度を待たされている間や、彼が所用で席を外す瞬間に二人きりの時間を持つことがあった。

 それは、一年で五回だけの僥倖で。

 その全てをリアは鮮明に覚えていた。

 従軍前からオルテウスに憧れていたリアにとっては、緊張で頭が真っ白になる経験だったが。

 それでも、静かな空気、柔らかな差す日の光。舞うわずかな埃の煌めきすら。

 リアは忘れることなく覚えていた。


 あれは三度目の時。

 当時第八部隊隊長だったオルテウスが、緊急で魔獣討伐命令を受けた自宅の書斎で、息子がリアを待たせていることと、緊急の要件で地図を広げて職務をすることの手伝いを要請せざるを得ないこと、二重に詫びながら、地図を広げた。二人で次々と入ってくる連絡を精査し、地図に書き入れ、魔獣の予測経路と、対策を話し合い、手早く対応に当たった。


「君のお陰で随分と早く出立が可能になる。ありがとう。リア・ブロッサム中尉」


 その一言だけで。

 国の検査で魔法適正があると判断され、家族と引き離され従軍させられ。男だらけの社会で、血反吐を吐きながら努力をし、強くなれば、強い魔法の力で成果を上げて昇進したことによるやっかみに耐えていた日々が報われた気がした。

 自分がしてきたことが、無駄ではなかった。

 強い魔法の力だけではなく、積み重ねた日々が、ちゃんと身についているのだと。

 自分が軍や国のために働いている実感に、涙がこみ上げそうになった。

 淡い憧れだったオルテウスへの気持ちが明確にはっきり、色づいた瞬間だった。

 この人のために、生きたいと。

 強い人だと噂に聞いていた。

 人品骨柄申し分ない人だと。

 それでも、厳しい魔獣との戦いで、民を守るため、最大限以上の働きをする横顔が。

 この人の力となる自分でいたいと。

 恋ではない。

 愛でもない。

 ただ、共にあり、共に力を尽くし、そのためにこの先の努力を成したかった。

 彼の義娘である以上に、彼の部下になろうと決めた。

 そして、出立するオルテウスと入れ替わりでようやく現れた婚約者を見て。

 改めて、婚約者の父親であると、淡い気持ちは封じ込めた日でもある。

 ただ、彼の傍に居られる。彼の役に立てる。

 彼に誇ってもらえる義娘になろう。

 それだけを思って。

 職務に邁進した結果。

 覚悟は半年もせずに砕け散った。

 彼の義娘になれなくなって、それでも、彼の視界に入る可能性がある以上、彼の誇れる部下でいたい。

 そう思って、日々研鑽を重ねてきた。

 それが報われた今こそ、その力を存分に発揮して、彼に、100%、否、120%の力を発揮して、彼の目指す第一部隊、軍の在り方を示していってほしい。

 彼の礎の一端になれる。そう思えば、書類を捌くスピードはますます加速する。

 早く。早く。確実に。

 彼の時間を作ることが、国益にも繋がるのだから。


 そのような決意で燃えるリアと、通常運転で常人の二倍ほどのスピードで仕事を片付けていくオルテウスの仕事が加速したことにより、日々は穏やかに、だが飛び去るように過ぎていく。

 月末の遠征までに片づけると明言していた書類は一週間ほどで早々に片付き、室内の掃除や片づけ、整理整頓を踏まえても、訓練に費やせる時間が長くなってきた。

 リアもこの好機にと二度ほど直接指導を受け、二人の尋常ではない打ち合いを見て、反感が生まれるかもと懸念していた第一部隊でもリアは驚くほどスムーズに受け入れられていた。

 遣り甲斐のある仕事。

 好意的な仲間。

 そして、何より、視界には常に、尊敬できる大好きな人。

 リアにとって、人生最高の日々だった。

 唯一の憂いと言えば、現在合同遠征に出ている第二・第三部隊に元婚約者のガイロが所属しており、まだこの人事のことを知らないことだろうか。

 とはいえ、彼が遠征から戻る時には入れ替わりで第一部隊が遠征に出ていくし、遠征を経ればますます第一に馴染むこともできる。そもそも他の女に目移りして婚約を破棄したガイロが今更リアに何か言ってくることもないだろう。

 あの後、配慮されていたのか彼と同じ部隊どころか、合同遠征などでも顔を合わせたことはほぼない。

 正直、父親譲りの濃紺の髪をちゃらちゃらと伸ばしていたことぐらいしかリアは覚えてすらいない。

 薄情なことだと思うけど、政略的に整えられた一年だけの婚約者、会った回数も思い入れも少なければ、喜ばしい記憶もあまりない…どころか、一番は婚約破棄の時の苦い記憶だ。

 例え良い所があったとしても、あの記憶で全て上書きされた。

 リアにとっては、それぐらいの相手だったから。

 警戒をするとかしないとか以前に、ほぼほぼ存在を忘れていて。

 幸せな日々にいつしか、元婚約者の父親の騎士団長ではなく、騎士団長の息子は元婚約者ぐらいに記憶も上書きされていた。

 人間なんてそんなものだ。

 目の前の大切なことにすぐ記憶は変わっていく。

 幸せで、幸せで。

 上司と部下でいられるのは軍の特性上、永遠ではないから。だからこそ。一刻でも共にいたくて。少しでも役に立ちたくて。

 だから、リアはすっかり油断していたのだった。

 

 がんっと左肩を打つ痛みに反射的にリアは相手の獲物を蹴り上げ、距離を取ってとっさに炎の障壁を張った。

 蹴り上げられた木刀を拾いもせず、炎の向こう側には、にやにやと下卑た笑いをしているニキビ面の男が三人。体格はいいものの、動きや言葉の選び方、内容から推察すると、懸念していた配属二年目の第十部隊か。


「ああ!リア中将、すんませぇん」


 本当に悪いとは思っていない様相で、げらげらとお互いを小突き合いながら責任を押し付け合い、最終的に真ん中の男が申し訳程度に頭を下げて見せる。


「おれたちー」

「木刀を片付けるところでぇ、悪気はなかったんですぅ」


 間延びした軍人らしからぬ受け答えの後に、何が面白いのか三人は再びげらげらと笑い合う。


「おけがはありませんかー?」

「俺たち、介抱とくいなんすよぉ」


 下品なジョークも入れながら、また何が面白いのか三人はげらげらと笑い、リアの炎の障壁が大袈裟じゃないかと揶揄ってくる。

 こんな奴らも、この二日で五組目だ。

 明日、遠征に出てしまえばこんな輩と関わり合いになることはないとはいえ、この数日、急激に絡まれるようになったのも面倒くさい。

 今までの何人かに繰り返したのと同じ文言をリアは訥々と繰り返す。


「リアではなくブロッサム中将と呼ぶように。備品の管理は厳密に行わないと懲罰対象だ。取り扱いには十二分に気を付けるように。次はない。それから、障壁が大袈裟じゃないかということだが、これは遠征や敵襲を想定して衝撃を受けるとオートで発動するように設定している。たまたま、諸君らが範囲外だったので無傷で済んでいるが、中尉以上の魔法を使える上官にはうっかりでも当たらないよう重々気を付けるように」


 ぱんぱんと肩の痛みを誤魔化すように右手で木刀が当たった左肩を撫で払うと、障壁を消して淡々と彼らの脇を通り過ぎる。


「炎持ちなら多少焦げる程度で済むが、氷と青い炎は骨が溶ける」


 振り返りもせずに事実を告げると、背後で敬礼の気配を感じる。

 まぁ昨日の輩共よりはまともな様なので、故意の立証がされたら懲罰と減給だということまでは言わなくてもいいだろう。

 繰り返し過ぎて面倒くさくなったリアは、ただ静かにその場を去ろうと、角を曲がり、ぐっと大きな腕に引き寄せられた。


「騎士団長…!」

「医務室へ寄るぞ」


 訓練場へと向かうはずだったところを反対方向へと足を向けかけられ、必死でとどめる。


「たいしたことありませんから」

「だが!君は女性だ。女性の身体に故意に傷をつけるなど!」

「訓練でも傷ぐらいつきますし、あれぐらい、訓練の後に回復薬でも被れば訓練にも遠征にも支障はきたしませんから」

「そういう問題ではないが、その口調では、この一回だけではないのだな」


 有能で察しが良すぎるのも問題だなと思いつつ、リアは黙秘を貫く。


「はぁ。そういうことは上官に報告すべき問題じゃないのかな」


 大きな手で自分の頭をがしがしとかき上げると、オルテウスは困ったように眉を中央に寄せて天を仰ぐ。

 リアは、困ったようにオルテウスが自分では不似合いだとよく笑いのネタにしている左の目元の泣きほくろが妙に色っぽいな、とその姿を心に焼き付けていた。

 これも、貴重な思い出のワンシーンにいつかなるはず。ただ、正直、有象無象の対処には口を出させるつもりすらなかった。自分で対処しきれる自負もあったし。


「俺って、そんなに甲斐性ないかな?」


 高い鼻梁がもたらす陰と相まって、そのほくろの艶を直視できない。じーっと口元へと視線を逸らして、リアはオルテウスはこれらの輩の背後に自分の息子であるガイロが関わっている可能性は考えているのだろうか、いや、昨日まで気づかれないよう立ち回ってきたし、今日、今の出来事から察しが良くても流石にそこまでは考えないはずだ、と反芻して、一人頷いて、足元に視線を向けた。


「そういう問題ではありませんから」


 自分でも可愛くないと思いつつ、リアはオルテウスに弱いので。その視線を直視してノーと言える自信がなかった。追求する眼差しから逃れるように、ぴしゃりと言い捨てて横をすり抜けようとするが、大きな手で二の腕を掴まれる。


「君の能力を疑っているわけじゃない。そう聞こえたのなら申し訳ないが」

「団長がそのような意図で発言されたわけではないのは重々わかっています」

「君には問題を解決する能力があるのは十分わかっている」

「ご理解いただけて何よりです」

「でも!あれは、君が男性だったら起きないはずのことだろう」


 核心を突いた言葉にぐっと唇を噛み締める。


「それでも、私が解決すべき私の問題であって、上司に報告する程度のことではありません」


 実際、今までにも何度か昇進と共に揶揄や、悪質ないたずらはあった。ただ、それも実力なり、適切な報告で対処をしてきたし、今回のことも、頻度はともかく、一つ一つはまだ報告するレベルのことではない。それは、上司がオルテウスであっても、そうでなくても変わらない。リアはそこに私情を挟む気はなかった。

 はっきりと実力差を示して、忠告を行う。それで、昨日今日のように対処できるなら、後進の心象をわざわざ下げる必要はない。リアだって可愛くないと言われながらも、失敗や暴走を庇われ、助けられて今の立ち位置にいるのだ。

 若さによるちょっとした暴言や暴走は、注意で済むならそれに超したことはない。

 報告は警告を踏み越えた時だと、自分の中で決めていたし、実際、今回の昇進後は、まだ忠告レベルで警告すらしていない。


「…わかった。君の判断を信じよう。ただ、治療だけはするように」


 足早に立ち去ろうと足を動かして訓練場に辿り着いたリアを、オルテウスは今度こそ許さないと、引き摺るように腕を取って救護テントへと連れていく。この後の訓練用に置いてあった回復薬の瓶を取り出すと、二人の姿を見かけて駆け寄ってくる救護スタッフに軽く手を振り、自分達の仕事を続けるよう示しながら、自らの手できゅぽんとその瓶の口を開けた。


「自分で治療してくるか、俺が服をはだけて治療するかだが、どうする?」


 リアは差し出された瓶を無言で受け取ると、ベッド周りに引かれた白いカーテンの陰でばしゃばしゃと服の上から回復薬をかけた。

 こんなはずじゃなかった。

 もっとうまくできたし、もっと言い様があったのに。

 強く噛んだ唇からは血の味がしたし、さっきの坊や達に対処した時よりも情けなく、不甲斐なく感じた。

 オルテウスに手間をかけさせたかったわけでも、こんな可愛げない態度を取るつもりもなくて。

 何より、あんな顔をさせたいわけじゃなかった。 

 己の言動の大反省に忙しかったリアは、カーテンの向こう側でオルテウスがポーションの箱を積み上げた木の机にもたれかかり、己の不甲斐なさに同じように打ち拉がれていることには、全く気付いていなかった。


「きっしダンチョウ♬」

 救護テントを出ると、軽やかな声と共に、近づいてくる金髪の大柄な男性が気軽に手を振りながらオルテウスに近寄ってくる。

 合同遠征へ一緒に行く予定の、第四部隊隊長ギルだ。思ったよりもオルテウスと親しそうな様子に、リアは怪訝そうに足を止めた。

 ギルとは何度も会議で顔を合わせているが、オルテウスと二人が仲良さそうな様子を見せたこともなければ、ギルの副官のテオドールはリアの同期だし、副官として比較的近いしい間柄だと思っていたが、二人が仲が良いなどと聞いたことはなかった。

 

「ギル。やめてくれ。お前にそう言われると背中がむずむずする」

「ははっ悪い悪い」

 

 思ったよりも親しそうだと脳内にメモしつつも、いや、まぁ、リアも特段自分の上司や仕事内容を人には話さないな、と二人の邪魔にならないように立ち去ろうとすると、朗らかに笑う金髪の美丈夫の後ろから、見慣れた顔が現れる。

 噂をすればテオドールだ。

 見知った顔に、リアがぱっと顔を綻ばせると、

「笑った!」

「…!!」

「?」

と、ギルの驚いた声に、ばっと三人分の視線が集中する。


「…私も人間ですので、笑いぐらいしますが…」


 ひんやりと冷気を吐き出しそうなリアの声に視線がうろうろと彷徨いだす。


「ああ。いや、すまなかった」


 オルテウスの簡潔な詫びの後に、ギルの申し訳なさそうな声が続く。


「いや、悪気はなかったんだ。申し訳ない。リア嬢。ほら、君がさ、花束を持ってプロポーズしても…」

「ギル隊長…」


 ギルの背後から顔を出した苦労人の副官テオドールの遮る言葉に、ギルがはっと慌てて更に言葉を濁し、オルテウスもうろうろと視線をさまよわせる。


「踏みつけて進みそうと言われているお話なら知っております。が、私も女ですので、花束を持ってプロポーズされれば普通に嬉しいです。それではお二人とも失礼いたします」


 言い捨ててテオドールの方に歩み寄り、訓練場の方へ歩くよう促す。


「おーまえさー…上官にさすがにそれは…」


 困ったように言葉を濁す同期にリアはくすりともう一度笑みを零す。


「気にするようなお二人じゃないでしょう。それよりさっさと遠征の打ち合わせを」

「あーはいはい…ますます一層仕事の鬼だねぇ」

「別に、そういうわけでは」

「ぴりぴりしてるって噂になってるぜ?」

「…してるように見える?」

「いんや…いつも通り」

「じゃ、さっそく明日以降の予定もう一度確認を…いや、それよりはせっかく訓練場で二部隊そろっての事前演習だから、イレギュラーの対応させる?」

「んん…そだな…それなら…」


 一度、訓練場の端に向かいかけた足を、くるりと演習中の部隊の方へと返せば、背後から戸惑ったような声で呼び止められる。


「あー…君たちは、仲が良い、んだな?」


 ギルの言葉にリアは眉を顰める。


「同期ですし、お互いに本部付の副官として長らくやりとりがありますから」


 リアの簡潔な言葉にテオドールは頬を人差し指で掻きながら、

「まぁ腐れ縁ですね」

と照れ笑う。


「では、先に遠征時イレギュラー対応の反応演習進めておきます」


 三人の窺うような、先を促すような視線をばっさりと切り捨ててリアは立ち止まった足をもう一度動かした。

 オルテウスの前で他の異性と仲がいいとか。プロポーズを断りそうだとか。そんな話はもうしたくなかった。

 別に意識なんて一生してもらえなくていい。

 ただ、自分が女として落第印を押されていることを改めて念押されなくなんてなかったし、ただただ、信頼できる部下でありたかった。せめて。


※※※

 立ち去る二人を眺めながら、オルテウスは自分の気持を持て余していた。

 話しながら歩き去る二人の似合いの姿に、オルテウスはしばし自分の立場も職務も置いて二人の行く先を眺めていた。


「へーふーん」

「言いたいことがあるなら忌憚なく言え。今すぐ」

「いやー。あれが、お前がご執心の娘かと」

「執心って言い方はどうにならんのか」

「いやー息子の嫁にって相当根回ししたって聞いたしな。破局後も息子より彼女の肩を持っていたってほうぼうで噂だったからさぁ」

「まぁ事実だな。お前はあまり関わりないのか?」

「まぁテオドール任せで何かと回してるから他所の副官は名前と顔が一致するくらいで直接はなぁ。お前だってそうだろ?」

「まぁ、な」

「あれが蒼炎の姫君ねぇ」

「直接言うと焼かれるぞ」


 軽口をたたきながら演習場が見下ろせる櫓に向かう。自分の後をまだあーだこーだ言いながら付いてくるギルから、意識を部隊の方に歩いていく二人に向ける。


 リアは、不甲斐ない次男のせいで要らない瑕疵を負わせた相手だ。

 気にもするし、肩も持つだろう。

 あんなことに囚われずに、幸せになってほしい気持ちと、一方で、自分にだけ憧憬を向けているという噂に満足する気持ち。

 欲と、願いが交差して。

 複雑な心境を織りなしていく。

 どちらも、忌憚ない自分の気持ちだ。

 彼女の幸せを、願ってる。


 初めて彼女を見たのは入団試験の時だった。

 15歳の子供が全員受けさせられる入団試験の段階で、燃えるような彼女の瞳に目を引きつけられた。

 妻を亡くし、副官に就任し。

 ただなんとなく過ぎる日々を傍観していたあの時期。

 充実して上を目指していたころのやっきさもなく。

 自分の力の上限と、昇進の先も見え。

 そんな中に、鮮明な炎をもたらしたあの瞳。

 入団試験の時点で、リアは国で数本の指に入るほど強い炎魔法を持っていた。

 天才の登場に周りがざわついていた。

 入団が決まり、というか、半ば強制家族から引き離して、寮に入れ、従軍させた幼い天才少女。

 周りからのやっかみで潰されないよう、ほんの少しだけ目をかけていた。

 隊も違ったので、他部隊の副官という職務上でできる範囲の、ちょっとした魔法のアドバイスだとか。

 それぐらいだ。

 それでも、打てば響くように素直なその性格に。

 その素直さが向けられるのが憧れの存在らしい自分だけだと知った時の誇らしさ。

 彼女に恥じない上官になろうと、気持ちを新たに励めば。上が見えていたと思っていたのは、自分が腐っていただけで、まだまだやるべきことがあると。

 気づかされたのは自分で。

 年端もいかない彼女のひたむきさに脱帽した。

 彼女が息子の嫁になってくれれば、ふらふらと落ち着きのない自分の息子、特に次男坊の方は多少は骨のある人間に変わるのではないか。

 自分が彼女から良い影響を受けたように。

 そんな思いから息子との縁談を取り持った。

 辺境の村出身の彼女の後ろ盾にもなると。

 それが傲慢な間違いだったとも気づかず。

 彼女の目指すものは、息子には響かず、むしろ敬遠した息子から彼女は傷つけられ、扱う炎のように蒼炎の姫君だなんて揶揄されるようになってしまった。

 彼女の笑顔は、春の小川に傍らに咲く、ラナンキュラスのように眩く輝くものだったはずなのに。

 彼女の笑顔を奪ったのは自分と息子の愚かな過ちかと思うと、償いようもなく、ただ、遠くから彼女の幸せを祈り、陰ながらずっと手も目もかけてきた。

 それなのに、まさかの人事に今回はさすがに宰相閣下にも、総司令官にも詰め寄った。

 それでも、必要な采配だと一蹴された。

 もちろん、彼女の今後の昇進のためにも、国益のためにも必要かもしれない。

 だが、彼女に合わせる顔もないと思っていたし、彼女が辞令を聞き、少しでも不愉快な気持を抱くようであれば、何なら自分が軍を辞してもよいとすら思っていた。彼女が残る方が国益にもなると。

 にやにやする宰相閣下と総司令官にも啖呵を切った。

 それなのに。

 蓋を開けてみれば配属当日。

 彼女はまっすぐと自分の目を見つめ、笑顔はないものの、以前と同じ、まっすぐな瞳で、

「わだかまりなど微塵もありません。本日付けで閣下の副官を拝命しました。よろしくご指導お願いいたします」

と、そう、頭を下げたのだ。


 そんな彼女の気持ちに報いるには、彼女の幸せを遠くから祈るだけでなく、上司として、義父となるはずだった年長者の務めとして。

 できる範囲のすべてをしてやることだと思っているのに。頭で理解していても、似合いの二人の背中を素直に祝福して、彼を引き立ててやる気持ちにはなれなかった。

 ギルの副官のことなどほぼほぼ何も知らないのに、何か粗はないか、彼女の横に立つにはちょっと細すぎて軟弱すぎるのではないか、そんな邪な思いばかりが湧き出て来て。

 苛立ちを必死に抑え込んで、そのフラストレーションを演習へと向けることにした。

 彼女に立てつく小賢しい小蠅共も、横に立つには不足な軟弱者も。

 まとめて、活を入れてやるために。

 そう、自分に言い訳を重ねて。


「~♪気合はいってるねぇ」


 嬉しそうに、ギルが組んでくる肩をはずして、櫓を駆け上ると、氷魔法を一閃。

 左右に散開して指示を出すリアとテオドールを見て、なぜだか、ほっとした自分の心を持て余しながら。

 そんなんじゃない。

 背後から揶揄うギルの言葉を切り捨てながら、展開の遅い部分に氷槍を打ち込む。

 違う。彼女は、娘のようなもので。

 ギルの言葉のように下賤な気持ちなどはなくて。

 ただ、自分は彼女を大事にして。幸せになってほしくて。


「おっテオドール、珍しくもたついてるな」


 新兵が集まっていたのか、退避行動がスムーズにできていない集団に近寄ったテオドールを指し示すギルの楽しそうな言葉に、その辺りに、もう一槍氷を打ち込む。

 刹那。

 眼前を覆う深紅の花に見惚れると同時に、苛立ちが募る。

 こんな強くて美しい火の魔法はリアの十八番だ。

 テオドールを庇ったのかと思うと、自分でも理由がわからなかった苛立ち湧き上がる。

 ドンパチドンパチ氷と炎をぶつけ合うオルテウスとリアの姿にギルが嬉しそうに手を叩いて笑っている。

 笑い事じゃない、そう言おうとして、この苛立がただの子供じみたヤキモチだと自覚する。

 彼女に幸せになってほしい、遠くから祈っているなんて嘘だ。

 手の届く場所に来て、日々彼女を見ていれば想いは増すばかりで。

 誰か、じゃなく、自分が、彼女を幸せにしたいのだ。

 下から自分を不敵に見上げる彼女を見下ろしながら。

 迷いの消えた瞳で、まっすぐに対峙した。

 ああ、久しぶりに血が騒ぐ。

 どんどんと景気よく放たれる氷魔法を火魔法で打ち消しながら、蒸発する水蒸気の中を走り散開、部隊を再編制する下士官たちに的確な指示を出していく彼女を追い詰めるよう計算しながら魔法を繰り出していく。リアの背後で、ギルから放たれる土魔法を、テオドールが土魔法で打ち返しているのも気に入らないな。

 そちらに向かってももう一発大きな氷魔法をギルの土魔法に載せるように振り分ける。繊細なコントロールが必要だが、土魔法を打ち消しても凍って面倒なことになるはずだ。

「ねぇねぇ、気づいちゃったの?!」

 背後からにやにや笑いかけてくるギルに肘打ちする。

「何がだ」

「いんや、今日気合入ってるなぁって。特にリアちゃんとテオが近づくと」

 楽しそうなギルの声を鼻で笑い、特大の氷魔法を発動する。

 蒼い蒼い炎が、氷を舐めるように広がっていく。

 別にもう、どれだけ若造が近づこうと、囀ろうと気にならない。五十路の本気は老い先が短い分、質が悪いのだ。気付いた以上逃さないし、外野には、黙っていてもらう。

 背後でギルが、楽しそうに大笑いしていた。付き合いが長いやつは、若干面倒臭いな。

 ため息を吐いて、もう一魔法と、一筋前に落ちてきた髪の毛を後ろにかき上げて気合を入れた。



※※※

「なぁ、今日、団長達、気合入り過ぎてないか…?」


 逃げ惑いながらボヤくテオドールを一蹴する。


「もし遠征先の魔獣がアイスベアなら、これぐらいの魔法は想定内。それより、下士官の統制が思った以上に悪い…」

「新兵の配属直後だしな。遠征で移動しながら、まとまって敗走する練習はもっとさせた方がいいな。死人がでる」


 リアの返しにテオドールは、ムムムと眉間に皺を寄せる。リアは最悪を想定し、テオドールが嫌がりそうな提案を口にする。


「最悪、遠征経験のない下士官は、補給路の途中で待機させることも考えてルートを再検討する必要もあるし、本人たちにもはっきりと言ったほうがいい」

「はー俺、そういうの苦手なんだよなぁ。お前切り捨てますって面と向かって言える強心臓なんて持ち合わせてないんだって。なんで俺が副官なんかに…」

「そういいつつ、テオは死人だしたくないからちゃんと言うところがいいところ」


 振り向きもしないリアの言葉に、テオドールの頬が少しだけ赤く染まる。


「お、ま!本当にさ!!そういうデレを!同期の前でも出すのやめろよ!!」

「デレてない」

「デレてるんだよ!男を誤解させるからな!」

「テオドール達はしない」

「…!!!そういうところだ!!」


 場所取りや動き以外の言動を直せと言われてもリアはぴんと来ない顔で、首を傾げる。下士官のフォローに切りをつけると、赤い煙炎玉を魔法で空へと打ち出して演習終了の合図を出す。

 団長達が櫓から降りてくる動きに合わせて下士官が整列する最後尾に陣取った二人はまっすぐに前を見ながら下士官の動きをチェックする。


「あそこやっぱもたつくね」

「キーは部隊間で三年目の連携か。コミュニケーション取れてないのか…?」

 

 リアの言葉に打つようにテオドールが返す。噂話を共有して、せめてものあれだけど、今日飲みに行かせるかなんてテオドールの話に、リアが今更、と返す。嫌でも明日から連携もコミュニケーションもとらなきゃいけないから、とりあえず明日の野営は三年目と副官二人に変えようと打ち合わせる。

 団長二人が前に立ち、明日からの訓示と予定を話しだした、にも関わらず、リアの方をちらちらと見てくる下士官が複数人いる。

 第一にも第四にもだ。

 

「さっきの話だけど」

「デレの話か?」

「違う。私がピリピリしているって話」

「ああ。あれな」

「出所はもう掴んでるんでしょ?」

「お前も気づいてるんだろ?」

「まぁ」


 テオドールもリアも視線は前の団長たちに据えながら、唇の動きも最小限に会話を続ける。


「動きの悪いあいつらも、つながってるの、リアも気づいてるんだろう?」

「そう。だから明日から野営させてみるけど、場合によっては、やっぱり、置いていくべきだと思う」

「それだと育たないからな。遠征一回の成長は大事なんだよ。貴重な機会」

「貴重な機会で死人が出たら笑えない」

「まぁそれはそうなんだけど」

「あいつらが何をしようと、私は死なないし、傷もつけられない。死ぬのは、新兵だよ」

「ん、だな」


 分っているだろうと詰めれば、テオドールも溜息を吐く。


「でも、リアが直接元をたたくのはお勧めしない」

「ガイロが関わっているから?」


 顔色も変えず、視線すら団長達からも反らさずに元婚約者の名前を告げるリアに、テオドールは大きく息を吸う。


「黒幕だけじゃなくて、そっちもわかってるんじゃないかよ…立つ瀬ないわー」

「当たり前でしょ。軍属何年目だと思ってるの。しかも、女性武官のネットワークは、テオ達が思っている以上に密で、所属に左右されずに情報を共有できている」

「んじゃ、色々もろもろ、わかってるんだろ、どうするんだ?」

「何もしない」

「何もしないって!おまっ!それがどういうことかわかってるのか?!」 

 囁き声で叫ぶという器用なことをやってのけ、真剣な顔して前を向きながら青筋を立てる同期にリアは感謝しながら、薄く微笑んだ。


「大丈夫だ。みすみすやられはしないだろう」

「だろうって!ちゃんと俺らとか、上司とか頼れって!さんざん!」

「必要な時には頼る」

「今だろう!その必要な時は!!」


 言い募るテオドールをいなしている内に、本日の反省と明日からの遠征での重点的な改善点を団長達が述べて解散となったので、リアはすたすたと訓練場の出口へと向かう。


「リア!」


 肩を掴もうとしてくるテオドールから、するりと逃げる。

 その先に、立ちふさがる姿に、リアは嘆息した。

 今テオドールに大丈夫だと言ったばかりなのに。

 遠征中のはずな元婚約者はどうしてこの場所に居るのか。そして背後にはまだ、訓練場の片隅に団長二人の姿も見えるはずなのに。気づいていないのだろうか。自分の上官や、父親がいることに。

 本当にどうしてこんなにも間が悪いのだろう、と。

 リアは大きな溜め息を飲み込み、訓練場の入口横の装備品を仕舞う倉庫の陰を指し示す。

 他の隊員たちは団長達の解散の声と同時に、迫力ある説諭が怖かったのか、はたまた本日の過酷な訓練で空腹が限界を超えていて夕食にとびかかるためか、蜘蛛の子を散らすように訓練場を出て行っていたのは不幸中の幸いだった。

 あまり周りを気にしないリアとて、こんな場所で元婚約者に詰め寄られて見世物になる気はない。

 欲を言えば、団長達もテオドールもいなくなった場所で声をかけてくれたらいいのに、元婚約者殿はそういえば空気も読めず、気も利かない男だったなと、改めてその顔を振り返ってじっくりと見つめた。


「おい!」  


 影で話してやろうというリアのなけなしの優しさも踏みにじり、テントの影を指し示さして歩き出したリアの背後から、自分は歩き出しもせず横柄な声をかけられる。名前も呼ばない元婚約者のあんまりな態度に、げんなりし、足を止めるべきか、いきなり走り出して後ろの二人を置き去り、救護テントの影とか、木陰とか団長達含めて全員姿が見えなくなるまで隠れてやろうかとも思い出す。リアの想定が正しければ、これはとんだ茶番なのだから。

 迷ったリアは、だっとおもむろに走り出した。

 よく考えれば隠れるのを待つのは時間の無駄だし、リアとて訓練のあとでお腹は空いている。

 本日の訓練後とはいえ、まだ体力に余力はあったし、もし上手く行って、ガイロだけが追いかけてきてくれれば、二人だけで、少しでも人と離れた場所で話ができるかもしれない。


「テオドール、打ち合わせはまた明日訓練前に」

「また明日じゃねぇよ」

「なんでテオが一緒に走ってくるんだ」


 暗にどころかはっきりとついてくるな、ついてきてほしいのはお前じゃないと言いつつ、入口を挟んで、木刀などの倉庫とは反対側、少し先の別の出入り口の横に設置されている救護テントの裏に走りこめば、文句を言ってリアを呼び止めようとしつつもついてきたガイロもテオドールから遅れながらも、ついて着た。


「お前が勝手しようとするからだろう」


 呆れ声のテオドールが、リアの前に立ち止まりガイロとの間に陣取ってくれる。


「ガイロ・バーグマン中将、遠征からお帰り早々、いかがされました?」

「第四が口をはさむな。俺は、そこの女に話があるんだ」


 憧れの騎士団長の息子とは思えない、粗暴で、残念な口調にリアの口からはまた大きなため息が零れる。

 見た目は、団長を少し小さくした感じで、濃紺の短く刈り込んだ髪型といい、濃い黒の瞳といい、在りし日の団長を見ているようなのに。

 本当に残念だ。

 男手一つ、軍属で子育てに無理があったのか。否、領地経営を担っている長男は嫁も子供もしっかり守るタイプのいい男だと評判だったなと、リアはガイロの個人評価をまた一段と下げた。

 そもそも、婚約破棄した時点で他人の、女性への第一声として、おいはないし。

 中将という位が一緒でも、歴の長いもの、第一、第二と部隊に準じた序列でもちろん上下関係はある。それなので、二つ年上で、第二部隊の団長を昨年から務めているガイロのが多少は上の立場で間違いはない。間違いはないものの、副官同士で融通を利かさないといけないこともあるので、通常なら、お互い良好な関係を作りたあのであればこのような横柄な態度はとらない。とは言えテオドールにも横柄だから、副官同士の交流など考えもしないし、命令すれば従うぐらいに思っているのかも知れない。

 これで、上官の前ではぴしりとしているのなら、評価が下方修正どころでは済まない。

 本当に、残念な男。

 知らない時には、憧れの騎士団長の息子ということで、少しは期待した目で見れていたのに。


「いいよ、テオ。話は聞く」

「いいよ、テオじゃない。俺が話しているのに、お前のその態度は何なんだ!」

「失礼しました。ガイロ・バーグマン第二部隊副官殿」


 逆なですることはわかっていながら、今の自分の立場を暗に示してやる。

 第二の副官歴はガイロのが長いが、リアはもう既に第一の副官だし、そもそも副官歴だけで言えば、ガイロより一年長い。


「それだ!!お前!どんな手を使って父上に摺り寄ったんだ!!」


 馬鹿かと怒鳴りつけたい気持ちをぐっと拳に握りこみ、リアは押し黙った。

 この男はリアに対してコンプレックスを感じているのか、リアが絡むととたんに、一層と馬鹿になる。

 騎士団長が私情で副官を指名したという難癖をつけていることになると気付いていないのかと怒鳴りたいのはこちらの方だ。

 それでも、リアが黙ったのを好機と思ったのか、ガイロはやいやいと、ないことないことリアの欠点や瑕疵をあげつらっては、やれ役職に相応しくないだとか、自ら軍を辞すべきだったとか。

 国の戦力としてすらリアの実力をとらえられない発言まで繰り返している。


「お、おま」


 あまりの馬鹿さ加減と暴言に呆けていたテオドールの腕をぱしんと平手で叩いて制止する。

 人が何のためにこの茶番に付き合っていると思っているんだ。


「お言葉ですが。人事の最終決定権は宰相閣下です。閣下の判断に違を唱えるのですか?正直、私はあなたよりもこの青の炎で国に貢献してきたし、できると思っているのですが」


 手に青い炎を出してやれば、激高したガイロが手に持っていた筒を投げつけてくる。


「その!宰相閣下が!!周りからの要請で仕方なしにお前を騎士団長の副官にしたって明言しているんだよ!」


 じゅわりと筒を燃やし尽くせば。


「ははは!!お前は!!自分で自分の任命状を今!燃やしたんだからな!!俺はわざわざ遠征帰りの忙しい中、お前に任命状をもってきてやったのに!!再発行不可の書類を燃やした以上、お前はもう第一の副官でも何でもない!ただの無所属の中将だな!地方にでも行って魔獣を燃やすのが!魔法ぐらいしか取り柄のないお前の!正しい使い道だろうよ!!宰相閣下もそのような役目なら喜んで任命してやるといっていたぞ!!這ってでもそのお役目をもらいにいったほうがいいんじゃないか?!」


 嬉しそうに笑い転げる。

 年齢に伴わない愚かさだな。

 まぁ、だからこそこんな顛末になっているわけだが。

 リアは怒りを全て溜息に変えて吐き出した。


「よく炎を見た方がいい。もっと注意深くしないといつか隊に甚大な被害を出す」


 燃え尽きて地面に落ちていく炎に手を伸ばす。

 蒼炎の中から、赤い炎が出てくる。

 その更に中に、土の塊が。


「任命書をわざわざ届けていただき、ありがとうございました。ガイロ・バーグマン副官」


 リアは、多少の熱を持った土をぱんぱんと叩き落とすと、慇懃に礼をして筒の蓋を難なく開けた。リアが魔法を放つのに合わせて、テオドールが筒の周りを覆ってくれていた土魔法の土だ。器用な男だなと、付いてきてくれて丁度助かったものだと幸運に感謝しながら、筒の中身を確認すると、中から用紙を確認して胸元に押し込む。

 別にこの用紙がなくともガイロがいうような事態にはならない。

 幸運だったのは、リアじゃなくて、ガイロの方だ。

 そもそも用紙で配属を確認する機会なんてたかが知れているし。ガイロは遠征に出て、リアが部隊に馴染んでしまったら困ると思ってそれまでの期間に自ら辞職に追い込みたかったのだろう。

 そうやってガイロは唆されて、まんまと宰相閣下の策略に踊らされたわけだ。

 リアを害したガイロを罰するために。

 宰相閣下だったら、こんな周りくどいことをしなくても騎士団長から一言、君と仕事をするのは気まずいとでも言われたら、リアが即、職を辞すことぐらいわかってる。何度も面談で明言して副官を希望しているのだから。


「なるほどねぇ」


 ギル団長の声にびくりとガイロが発条仕掛けの人形のように飛び上がる。


「愚かだな」


 実父の切り捨てる一言に、ガイロの顔色が蒼白になる。


「な、なぜ」


 何故って二人がいることに気づいていなかったのか。


「団長で会議があると…」

「あったっけぇ?」


 ギルが首をかしげると、オルテウスも私もテオドールでさえ、すべてを察して溜息を吐く。


「やっぱり、嵌められましたね」


 リアの一言にガイロ以外の全員が天を仰ぐ。


「あの人は」


 言葉を噤んだオルテウスに続けるようにギルがすべてを詳らかにしてしまう。


「宰相閣下は、オルテウスの総司令官就任推奨派だし、何より、リア嬢の過激派だからねぇ」


 そう。そうなのだ。

 宰相閣下は女性の社会進出推進策を推しだしていて、何かとリアの昇進や勤務環境改善にも尽力してくれていた。更にはことあるごとに、不具合がないかなど気にしてくれている。

 女性の士官ネットワークを作らせたのも彼女だ。

 ということは。

 ガイロは私の敵として。そして、オルテウスの足を引っ張る存在として、切り捨てられるところだったのだ。

 彼女の絵図では、ここで私がガイロをいなしてもいなさなくても。

 今までの有象無象の若輩者の襲撃もガイロが糸を引いていたことにして、オルテウスとギルに、彼らがスルーした場合は、他のタイミングで誰かに断罪させる気だったのだろう。


「「はぁー」」


 全員の溜息が重なる。

 ガイロ一人を排除したところで、何も変わらないし、正直、リアはガイロが軍にいようがいまいが、どちらでよかった。第二の副官がちゃんと働いてくれれば何でもよかった。ガイロは、リアさえ絡まなければ、そこそこ無難に部隊を切り盛りしているのだ。他の副官に横柄なのは頂けないが、それは、逆に他の助けもなく部隊内で上手く全てを完結して回しているとも言えるのだ。

 事実、リアは過去に第二の輩からの襲撃は受けたことはない。


「宰相閣下の心づもりでは、自分の目が黒い内に、少なくとも二、三年以内に、オルテウスを総司令官、リア嬢をその副官にしたいんだろうねぇ」

「で、今回まとめて反対勢力をつぶそうと…」

「というか、それにしては荒っぽいやり方だったので、排除とまでは考えてなくて、排除できたらそれでもいいし、私達が気づいて、内々で忠告なりお灸をすえるなりするのであれば、それはそれで、警告としてちょうどいいぐらいにおもっていたのでは…」

 ギルの言葉に対するテオドールの反応に、リアが反論すれば、団長達はまぁそうだろうねと軽く頷いた。

 本気で彼女が策を弄したら、こんな表立って紐づくようなこともしなければ、こんな目立つ場所時間にガイロを向かわせもしなかっただろう。もっと埋めてもばれない時間に唆していたはずだ。そして、リアやテオドールが察知できるはずもなかっただろう。

 全員が疲れた顔で、顔を見合わせれば。


「飲みにいくかぁ!」


 ギルがオルテウスとガイロを右手と左手で引き寄せる。


「リア嬢とテオもいけるか?」


 ギルはさっさと歩き出しながらリアとテオドールにも声をかけ、あっと気づいたように声をあげる。


「あ!リア嬢はこのメンツ、気まずい?」

「いえ。気にもしません」


※※※

 ざわざわと喧騒が遠くから漏れ聞こえる王都の片隅の酒場の個室で。


「改めて!かんぱーい!」

と朗らかにギルが麦酒のなみなみと注がれた木杯を掲げたのに合わせて。

 全員が黙って杯を掲げる。


「もーもりあがらないなぁ」


 そうギルがぷりぷりと怒ったふりをしながらオルテウスに絡み、ガイロを揶揄い、テオドールに窘められている。

 リアはちびちびと苦い酒を舐めながら、目の前のつやつやした豆を黙々と剥いていた。

 現役の軍人らしく、健啖家な皆は熱々の肉にかぶりつき、酒を煽り、芋のサラダや揚げ物にも次々と手を伸ばしていて。

 細身で大人しそうで、食が細そうなテオドールでさえ、ここ、おいしいっすねなんて言いながらぱくぱくと料理を食べているというのに。

 改めて、団長と一緒の席でお酒を飲んでいるという状態にいっぱいいっぱいになったリアは、所在なげに豆を剝くことしかできなくて。


 がん。


 目の前に、大きな酒樽が置かれ目を上げれば。

 気づけば目が据わったガイロが正面で睨みつけていた。


「お!おまえなぁ!そういうとこだぞ!!」


 あまり呂律のはっきりしないガイロの言い分を聞いてみると。

 父上の前でだけおとなしいとか。

 俺より父上のことばかり気にしているじゃないかとか。

 婚約中には聞いたことすらなかった愚痴に茫然とする。

 リアの態度はそんなにあからさまだっただろうか。


「こ、こっちだってなぁ。またせて、わるかったかと。そう、思って出ていったら。親父と二人で楽しそうに、はなしてる婚約者なんて、なぁ!」


 べそべそと泣きだした。

 泣き上戸だったらしい。

 ガイロはガイロで、気が利かないし、馬鹿で愚かだが、感情に素直で、悪い奴じゃないんだろう。

 ただ、偉大な親父がいて。

 婚約者が、その父親に傾倒しているのに、耐えられなかった。それだけで。


「なんだか、悪かったな」


 リアが気まずそうに謝れば。


「そういうことじゃ、!ない!」

「ほんとっすよね!リアのそういとこが」


 なんてテオドールまで尻馬に乗り出す。


「や!やめろ!テオドール!!」

「いや!言わせてくださいよ!」


 何故かギルがテオドールを必死で羽交い絞めしようとする。


「えっ何をよ?」

と、リアが、詳しく聞きたいと身を乗り出せば。

 突然。


「近い」


 リアの右隣をキープしていたオルテウスから、引き戻される。


「えっ?!」

「?!」

「!!」

「おやじぃ」


 驚くリア以上に、テオドールは乙女みたいに口元に両手を当ててるし、ギルはびっくりして目が零れそうなぐらい見開いている。

 ガイロに至っては、べそべそ泣いていたのを通りこして、酒を向かいのオルテウスに押し付けながら号泣しだした。


「団長、酔ってます…?」

「酔ってない」


 リアの疑問は一刀のもと斬り捨てられたけど。


「いやー酔ってる人は皆そういうんだよねぇ」


 ギルが囃し立てながら、唆す。


「もうさ、こういう機会だから、全部全部いっちゃいなよぉ!せっかくの個室だし!わだかまりゼロで遠征行きたいしさぁ」

「言うには、花束の一つもない」

 

 オルテウスの突然の一言に、がたりと男性陣が椅子を鳴らして立ち上がる。


「えっ?!おやじ?!花?!」

「テオ!今すぐ用意!」

「え!花?花束?!」


 いつもは察しが良く、ギルの先回りばかりしていると評判のテオドールが混乱している。


「ガイロ、君、水魔法多少使えるよな!」


 ギルが確認している一方で、テオドールはオルテウスに、何の花にします?!なんて、うきうき尋ねている。


「ラナンキュラスとかすみ草」


 酔っているとは思えないほどはっきりと明言するオルテウスの姿に。

 リアは事態の展開についていけず茫然としていた。


 はな?

 はなって、花??

 花束って?


 あれよあれよという間に、ギルとテオの土魔法の上にガイロの水魔法がかけられて、いつか、オルテウスと見た小川の川べりで赤く大きな花を揺らしていた花と小さな白い点々とした花をつけた可憐な花が咲いた。

 ラナンキュラスと、かすみ草っていうのか。

 花束は踏み倒さないなんて言ったものの、花に疎いリアはその花が摘まれて、ギルがどこからともなく用意してきた白い紙とピンクのリボンで包まれて抱えるほど大きな花束になっていくのを名前を反芻しながら見ていた。


「いや、その、土、どうするんすか」


 零れた言葉は。

 なんて間抜けで。


「お!おれ、すててくる。おやじの、そんなそんなすがた」


 ううっとまた泣きながらガイロが土を抱えられるだけ抱えて部屋から飛び出ていく。


「あ、ガイロ待てよ!」


 いつの間にか呼び捨てになるほど打ち解けたららしいテオドールがガイロを追いかけていく。

 ギルはあと頼んだねぇ俺ら二軒目いくわ!と軽やかに手を振って、残りの土を全部魔法で固めるとそれを持って出ていった。


 え。待ってほしい。

 正直、目が据わった騎士団長と二人にされても、困る。

 三人に立たされて花束を持たされたオルテウスは、先ほどから、観念したようにじっとりとした目でリアを見つめている。


「えっあっ!」


 慌てて手に持っていた豆を置き、立ち上がったものの、どうしていいかわからず困惑してもう一度椅子に戻る。

 かつてないほど挙動不審な自分に、リアは混乱していた。

 いや、ここまでお膳立てされれば、さすがにわかる。

 この流れ。

 如何に鈍くて仕事のことしか考えていない騎士団長馬鹿と言われていても。

 むしろ、その騎士団長が目の前で花束を抱えているのだから。


「リア・ブロッサム嬢」


 すっと流れるような姿で、椅子に座るリアの前にオルテウスが跪く。

 花束を両手で抱えても、ぶれない体幹。さすがだ。

 違う。そうじゃない。

 右膝を立て、左膝を地面に着けた、騎士らしい姿勢で、すっと花束を捧げられる。


「こんなお膳立てまでされて不甲斐ないわたしだが、結婚してほしい」

「えっ!?結婚?!」

「今更だろう。宰相閣下はここまで読んでお膳立てしているはずだ」

「え、いやで、も、全部すっ飛ばして……?」


 義娘になるはずだった女に、さすがにお付き合いをすっとばしてプロポーズとは思わず。

 付き合ってくれとかじゃないのが、逆に武骨な騎士団長らしくて。

 自分でも気づかないまま気持ちが口から零れていることも意識せず、ぴょんと椅子から跳ねるように立ち上がる。

 桃色の髪の毛が一瞬視界を横切って、落ち着く。

 人生でこんなにも髪の毛も心も跳ねあがったことなどない。

 ガイロには申し訳ないが、彼との婚約の時は花束もなければ、ただの契約みたいな感じで、ロマンチックさのかけらもなかった。

 髪も心も跳ねなかった。


 今は、街の居酒屋の個室で。

 壁越しに喧騒が聞こえて。

 同僚や元婚約者にまでお膳立てされて。

 花束と憧れの団長であることを差し引いても、あの時と同じぐらい、ロマンチックとは決して言いきれない状況のはずなのに。

 どこどこと鳴りやまない心臓は跳ね続けて。

 花束を受け取ろうと差し出す手が震える。


「わ、私で、良いのです、か?」

「君がいい」

「元、息子の婚約者と、って醜聞になりませんか…」

「ちょうど明日から遠征だ。帰ってきたころにはもう別の話題が出ているだろうさ」

「わ、私、仕事は続けたい、です」

「当然だ。せっかく慣れてきた副官を失うつもりはない」

 

 可愛い受け答えなんて、微塵も思いつかなくて。

 断るなんて選択肢がないくせに。

 うだうだとどうでもいい言葉を重ねてしまう自分に、リアはほとほと呆れていた。


「か、可愛くないんです」

「…。君は可愛い」


 少し照れたように頬を紅く染めて、オルテウスがそっぽを向く。


「ラナンキュラスの花言葉は、いや、自分で調べてくれ…」

「言ってください」


 少しの酔いが。

 オルテウスも酔っているという緩みが。

 可愛げがないと頑なだったリアの心を、少しだけ緩ませて甘えさせる。


「…輝くように美しい…。そう、昔に聞いたことが」

「かすみ草は…?」

「…感謝と、幸福だ」


 リアが抱き締めていた花束を取り上げて、大切に椅子の上に逃がすと、オルテウスはぎゅっと強くリアを抱きしめた。

 大きな肩幅に、厚い胸に、包まれる。


「君に、出会えたことを、感謝していた。目的を見失っていた人生に灯をもらったと。だから。恋とか愛とか。そういう次元の気持ちじゃないと」


 耳元でぼそぼとそ告げられる告白は。

 花言葉よりも強烈で。

 とても、顔を見てはお互い話せなさそうで。


「息子は、多少粗暴で馬鹿だが、甲斐性はあったし、君に出会って俺が変わったように、息子にも良い影響を、なんて柄にもなく気を回したつもりで、空回った。醜聞とかはどうだっていい。だけど。君こそ俺でいいのか?君を傷つけた男の父親だ」


 差し出されている選択肢を離さず、しっかりと掴むように、リアはおずおずと、オルテウスの広い背中に手を回した。


「騎士団長が、いいです。ガイロは、私の気持ちに多分、ずっと気づいていたんだと思います」

「君はそれでいいのか?あいつが息子になるんだぞ?君が嫌ならもちろん、縁を切るとまでは言わないが…」


 皆まで言わさず、ぐりぐりと、リアは頭を胸に擦りつけた。


「いいんです!ガイロから父親を失わせたいわけでも、あなたから、子供を失わせたいわけでもないんです!彼が、嫌じゃなければ。今のままで」


 そっとオルテウスが頬に手を当てて、リアの顔を上向かせる。

 探るような瞳はリアの本気を窺うようで。

 黙って一度目を瞑り、黒い瞳をじっと覗き込んだ。

 ふっと破顔したオルテウスの笑顔は、今までの何よりも輝いていて。

 欲しかったものを手に入れた男の顔をしていた。


「君に幸せになって欲しいとずっと願っていた。でも違った。俺が、君を幸せにしたいんだ」

「よろしく、おねがい、します」


 熱烈な言葉を吐き出しながら近づく薄い唇をじっと見つめ、リアは零れる吐息で、言葉にしきれない末永い未来を、希った。

 義娘として、諦め封じ込めた気持ちと共に、彼を見守る未来ではなく、副官としても、妻としても、隣に共にいる、何も希望を諦めなくてよい未来を。

 共にある長い未来を、約束するように。

 何度も、何度も。

 熱い唇は、約束を啄み、互いに刻み付けた。

お読み頂きありがとうございました!

&HAPPY ENDです!


炎と土の魔法の関係はそういうものとふんわりお受け止めください。魔法です!

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[良い点] 企画から参りました。 騎士団の事情や状況が詳しく書かれていて、リアリティがありますね。 リアの昇進は、社会的に女性の進出であっても、本人には憧れの人の部下になるという夢の成就なのですね。 …
[良い点] わあああ!最後のプロポーズが本当に素敵……! ヒロインと一緒に心臓がドキドキしちゃいました。 元婚約者なんて最低!と思っていたけど、透けちゃう恋心を見てしまったからだったのかあ。 花束を用…
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