某所
全編執筆済みです。少しずつ投稿します。
いつの間にか赤黒く塗られていたその掌には、不気味な生温かさがあった。何度も振り下ろした包丁が、西日の光を吸い込んでいる。部屋の真ん中に置かれた二つの肉塊に対して、今はもう怒りも恨みもない。
いやに冷静だ。
今、自分の目の前に広がっている景色が真っ当でないことなど分かりきっているが、その余りにも非現実的な状況が故に、自らの居場所はそれを映し出すモニターの先なのかと錯覚させる。今なら傍目八目にやるべきことが分かる気がする。まずはこれを隠そうか。いや、隠そうとしているうちに見つかる方が厄介か。それならこの場所から離れよう。どうせ土日で仕事も休みだからいなくなったことに気付かない。
着替えてから数日分の着替えと部屋にあるだけの金とスマホと少しの菓子を持って家を出る。田舎の真ん中だ。道路になんか誰もいない。じゃあこのまま列車で遠くへ逃げようか。いや、落ち着け。小さな駅で乗れば、すぐに見つかってしまうし買った切符もバレる。一旦、どこかで待機して時間を空けよう。I駅の裏手にあるネカフェは、確かネットを使わなければ登録がいらなかったはずだ。足跡を紛れさせることができる。じゃあ、そこへ向かおう。ええと、歩いて向かうとなると……うわぁ、半日かかるのか。まあ、仕方ないか。それぐらいのことはしなきゃダメか。
そうか、これが二十年以上の付き合いをしてきた人間との別れか。案外あっさりとしているものだな。悲しさも嬉しさも何も感じない。感じるのは冷たい空気だけだ。少し雪は強いけど、こんな道を歩くのは慣れている。
もし途中で疲れて座り込んでしまったら、きっと死ぬかもしれない。こんな田舎道を通る車なんてありゃしないし、この寒い夜を耐えられる装備じゃない。でもまあ、その時はその時か。
もう考えるのやめよう。
考えたら疲れる。
考えたら……死ぬ。