【短編】閉ざされた冬の国に嫁いだ幸薄令嬢は偽りの婚姻を望む
《1》
「メリッサ・アルトナー! 貴様が、どぉーーーうしても言うのなら、婚姻契約の継続を認めてやってもいい! どうだ! 嬉しいだろう!」
「……え」
神殿内に響き渡る声でそう告げたのは、冬の国の一つミツキの公爵家当主バイロン・ソーンダイク様だった。見目麗しいお姿に背中から二対の翼を持つ天使族の若君だ。
白銀の長い髪を一つにまとめ、貴族服に身を包んだ姿は王族にも劣らない気品を備えている。だが今の彼は、ここが秋の国フィールの大神殿だということを忘れているようだった。
冬の大国の一つミツキ国での契約結婚は、追い出される形での一方的な破棄にされたはずだ。
この一年、感謝されたことはないし、婚姻契約とは名ばかりの派遣召使いのような扱いだった。それが突然の契約継続の申し込みに驚くばかりだ。
(季節豊穣魔法は不要だって追い出したのに……どうして?)
「まったく私に断りも無しに自国に戻るとは酷いものだ。……まあいい、さっさと手続きを済ませて帰るぞ」
「あの……」
鋭く睨んだ目に言葉を噤む。私の腕を掴むと力を込めた。
「痛っ」
「藁のような髪に醜いその瞳でも、美しい私の国のために役に立てて幸福だろう! 貴様の季節豊穣魔法の効果だけは見事だからな。それが収穫祭前に分かったのは幸いだ。作物が減って、冬を越すことも難しいと国王陛下も嘆いておられたのだぞ!」
彼の発言に眉を顰める聖職者はいるが、誰かが庇うことはない。
(居場所がなくたって、あの国には戻りたくない!)
「待て! 婚姻契約を破棄したのなら、次は我がシクルの国だ!」
割り込んできたのは、冬の大国の一つシクル国の第三王子だ。
(二年前に婚姻契約は終了しているのに、なんで?)
冬の大国では《冬の魔女》の加護が強く、他の季節魔法を使う者は一族の身内でなければならなかった。それゆえに秋の法国では《白の結婚》を前提とした婚姻契約を冬の国に提案。最短で三年、その国で本当に結婚して永住する選択肢もある。
シクル国は私が最初の奉公先だった。エルフ族の国だが階級至上主義国で、奴隷に近い扱いを受けた。天使族のミツキと同様、絶対に戻りたくない国でもある。
「我を待たせるとは罪深い女だ」
「く、クラーク王子……」
詩を読むような美声だが、かなり高圧的だ。
クラーク・コニックフォード第三王子。紫色の短い髪に長身の美男子で、既に妃が四人も居る。そもそも私以外に秋の季節魔法使い手を抱えているというに、なぜ今になって婚姻契約を望むのだろう。
(できればお会いしたくなかった……)
「なんだ、貴様は! エルフの分際で身も弁えないのか!?」
「契約が終了しているのなら、貴公にその権限はないはずだ。メリッサに選ぶ権利がある」
「であれば貴様ではなく、この美しい私を選ぶに決まっている。貴様は三年前に彼女が無能だと言って三年も経たずに国を追い出したのだろう? 契約履行まで養うこともせず放り出すとは、酷いものだ!」
「ふん。あれは側室たちの行いであり、我が望んだことではない。それに貴公こそ常に雑務をメリッサに押しつけて、贅沢三昧したと聞いているぞ。大方、他の秋の季節魔法使いが役に立たないと気付いて、慌てて連れ戻しに来たのだろう。美醜で判断するからこうなるのだ」
「貴様!」
言い合いは徐々にヒートアップしていき、人集りができつつあった。さすがに聖騎士達も動く。同じ第一級聖女は「なんであんな女が」とか「王子と公爵に言い寄られて生意気」などの嫌味が聞こえてくる。
何処に行っても針の筵。
私の居場所は何処にもない。
(故郷を失った私に……居場所なんて……)
「残念だけれど、メリッサ・アルトナーはすでに次の婚姻契約の申し込みが入っているわ」
シャン。
錫杖を鳴らした刹那、その場の時間が静止する。動いているのは、私と――法国を統べる《秋の聖女》様だ。
金髪の美しい髪に、アメジスト色の美しい瞳、白い艶やかな肌、可憐で美しい少女は白い修道服姿で、現れた。
「《秋の聖女》様……!」
「メリッサぁああああ! ごめん! ごめんね!! 毎回、私が確認して、絶対に大切に三年間の衣食住と安全を言い含めて、誓約までさせているのに!! 冬の国だと私に権限も薄いし、《冬の魔女》は領土が広すぎて手が回らないって、謝っていたわ!」
「聖女様……」
「あの二カ国は《冬の魔女》の怒りを買ったから、しばらくは貧困に喘ぐわ。こちらも誓約違反で援助は最低限よ! 雪の渡り鳥を使って今までのことも含めて広めて社会的にも、あの馬鹿王子とナルシスト公爵に鉄槌を下すわ」
「そんな。聖女様のせいではありません。私が……至らないから」
聖女様はますます悲しそうな顔をする。そんなお顔をさせたくて言ったわけではないのに、やはり私の言葉は誰かを不快にしてしまう。
聖女様は錫杖で床を三回叩くと、青白い魔法陣が私の立っている場所に出現した。
「今度こそメリッサの居場所ができますように祈っているわ!」
(聖女様……)
白亜の光に包まれ、転移魔法が発動する。
あの場から逃がしてくれたことに感謝しつつも、新たな婚姻契約に少しだけ身が竦んだ。
(……私に居場所ができないのは、故郷を救えなかったからです)
《2》
「メリッサ・アルトナー嬢、お待ちしていました。私は冬の国の一つロッカの王太子ヴォルフ・エーベルハルトです。今回は急な婚姻となって申し訳ない」
(この方が――冬の大国の一つロッカの……)
転移魔法の入り口となる大聖堂で、好青年が出迎えてくれた。聖獣族特有の露草色の艶やかな髪に、垂れたウサギの耳、彫刻のような美しい顔をしている。
(なんて綺麗な色の髪なのかしら。まるで秋空のよう)
青白い毛皮のコートを羽織った彼は、王族らしい所作で胸にて当てて一礼する。その姿に数秒見惚れてしまい、慌てて両手でスカートの裾を軽く摘まんで会釈を返した。
「お初にお目にかかります。秋の法国フォールから参りましたメリッサ──」
「メリッサ。来て頂いて早々にすまない。先に婚姻を済ませてもよいだろうか?」
「は、はい」
切迫した状況に困惑しながらも、彼に手を引かれて城の中へと向かう。今回は転移魔法によって城の大聖堂に移動したので、長旅の必要はなかった。
私の祖国、秋の聖法国フィールの他に、春の竜王国リスピア、夏の幼獣国ザライト、冬の大国で大きく分かれる。冬の大国では季節魔法が重宝されるので他国に奉公に出されることが多い。そのため婚姻契約という救済処置に加えて、《秋の聖女》様の発案で緊急時用の転移魔法陣を各国に設置している。
(よく考えたら緊急時の転移魔法を使うほどの事態!)
閉ざされた冬の大国の入国可能な時期は、秋の終わりか春の始まりだけ。だから今回の依頼は異例中の異例。想像以上に状況が深刻なのかもしれない。
城の中だというのに、衛兵はもちろん侍女の姿も見られない。
(それにしても静かすぎるような?)
「本当にすまない……。《戻り蝶》がいる間でないと、他国出身の者との婚姻が認められないのだ」
「(そういえば冬の大国では独特な作法があったわ。三回目なのに、未経験だなんて恥ずかしい)その……不勉強ですみません」
勢いよく謝罪したのだが、ヴォルフ様のほうが何故か気まずそうに視線を逸らした。
(何かまた失礼なことをしたのでしょうか。初対面から厚かましい、あるいは耳障りだと感じたのかも……)
「あ、ううん。……いや、君を悪くいうつもりもなくて……すまない。時間がないと言い訳ばかりをして……」
(この方は私のことを馬鹿にしないでくださるのですね)
ステンドグラスが素敵な青白を基調とした礼拝堂は、静謐な空気が感じられた。
天色の美しい蝶が、大聖堂の周囲を舞う。《冬の魔女》が婚姻を祝福する時のみに現れる蝶は、幻想的でとても美しかった。
(今までは控え室で婚姻契約にサインをしただけだったのに……)
「結婚式は日を改めてさせていただくが、先に伴侶の誓いを立ててもらう」
「婚姻契約なのに結婚式なんて、聖獣族の方々は紳士的なのですね」
「わざわざこの国まで来てくれるのだ、当然だろう」
(今までの常識が端から崩れ落ちていくようだわ。今、私はうまく笑えているかしら)
静寂の訪れた祭壇で私とヴォルフ様は誓いの言葉を口にして、口付けのフリをする。それが冬の大国の婚姻契約であり、他国の令嬢かつ第一級聖女を派遣する決まりごとだった──はずだが、三回目で初めて儀式をするなんてと自嘲してしまう。
(あの国の絶対に戻りたくない。ロッカが住みやすいのなら、どんな形でも良いから残りたい)
「――ここ冬の国の一つロッカの地において、万物の神々と四大魔女の一人、《冬の魔女》に告げる。ヴォルフ・エーベルハルトはメリッサを我が妻として、生涯でただ一人愛することを誓う」
よく通る声と熱にこもった声にドキリとする。形式だけの誓いだというのに、ここまで真摯敵に口にする人を初めて見た。
「(ああ、この人は私に敬意を払ってくれるのね)……メリッサ・アルトナーはヴォルフ・エーベルハルト様を夫とし、生涯の愛を誓います」
「メリッサ」
名を呼ばれて顔を上げると、ヴォルフ様はすぐ傍にいて、甘い香りに気を取られていた隙に彼の唇が触れた。
(え……?)
ボフン、という音と共に視界が真っ白になる。床に降り立ったのは、十二、三歳ぐらいの少年だった。
「!?」
「ヴォルフ様が……縮んだ?」
「──っ」
小さくて可愛らしい姿のヴォルフ様は私と目が合った瞬間、青い四足獣に姿を変えた。「キュウウ!」と愛くるしい声を上げる。
(ええええええええ!?)
垂れ耳の露草色の四足獣だった。子ウサギほどの大きさだったか。青年だったヴォルフ様が子供になって、そのあと途端に獣になるというのは――これも何かの儀式魔法なのだろうか。
「あ、これは……その……」
「まあ、聖獣族の方は、こんなふうに素敵な聖獣様にもなるのですね」
「こ、怖くないの? 気持ち悪いとか?」
「何故? モフモフでとっても素晴らしい触り心地で、愛くるしいと思っていますわ」
「かわ――っ!?」
膝をついて四足獣と向き合う。
露草色の美しい毛並みに、宝石のようなキラキラしたサファイアの瞳は、見ていて癒される。思わず頭と顎を撫でるとモフモフと愛くるしさが増した。
「なんて綺麗な毛並みでしょう。それに可愛らしい」
「わ、私は可愛くなんてない!!」
わああん、と脱兎の如く走り去ってしまった。
やってしまったと思ったが、もう遅かった。
(……ハッ! 王太子に対してなんてことを! 不敬で何らかの罰を受けるんじゃ!?)
しかしいくら待っても、衛兵や大臣らしき文官がやってくる気配はない。いやそれ以前にこの国は、何かが可笑しい。
急な結婚式。
参列者のいない大聖堂。
生活音のない静かすぎる国。
その理由は大聖堂を出てすぐにわかった。
《3》
(これは……)
王城と隣接している通路には、衛兵や侍女たちが居たのだが、全員が氷漬けの氷結魔法がかかっている。どれも《冬の魔女》様の使う冬の季節魔法の一つだ。
クリスタルのように美しい氷の棺で、仮死状態になっている。
静寂すぎる国。
自分以外は誰もいない。
「──っ」
脳裏に過去の映像が浮かび上がる。誰も彼もが倒れる中、自分だけ生き残った地獄の日々。
知識も、経験も魔法すら使えなかった幼い過去。
大好きだった人が次々死に絶えていく間、私は──。
「はぁ……はぁ……」
心臓がバクバクと音を立てて煩い。
体がこわばって上手く動けず、呼吸も浅くなる。過去の記憶に押し潰されかけた瞬間、『キュウ』と愛くるしい声に、現実に引き戻された。
(だ、大丈夫。……私の故郷と同じにはならない。あの悪夢とこの国は違う)
気を引き締めて、氷漬けにされた人たちを観察する。
(どうして仮死状態に? 《冬の魔女》様は凜として近寄りがたい雰囲気かつ、愛情表現が乏しい不器用な方だと《秋の聖女》様が話していた……。この国の人たちが大罪を犯した? それとも……?)
ふと氷漬けされている人たちを見て周り、その体に橙色の斑点がいくつか発見した。最初は黄色、次に橙、それから色が紫に変色して、全身に痣のようなものが広がる。
(そうだ、このままなんの対処もしなければ死に至る、夏の幻獣国で栽培禁止となった《夏宵蔓毒》!)
秋の法国では夏の幻獣国とは隣同士なので柑橘系の輸入は多く、その時に中毒や毒による被害など耳にしたことがあった。
(檸檬に似た形をしていて、果実を口にすると病にかかるというけれど……。どこから入手したのかしら? ……ううん、それよりもこの国で情報が集まる場所、……執務室に行けば何か分かるかもしれないわ)
それから王城の中を歩き回って、執務室に辿り着く。ヴォルフ様の姿はない。執務室には、武官らしき人たちが氷漬けになっている。
(あら?)
中央の机に座って判子を押そうとしている青年に気付く。ヴォルフ様とそっくりの露草色の髪に、狼の耳で、外見は二十代前半だろうか。服装はどう見ても他の文官と異なり上質なものだ。
(ヴォルフ様のご親族の方かしら?)
執務室の書類に目を通すが《夏宵蔓毒》に関しての記述はなかった。ただ国境付近の村から氷漬けになる者が出たという報告書がいくつか届いている。
(《夏宵蔓毒》の解毒は秋の薬草で作れるし、季節氷結魔法も解除はできる。あとはヴォルフ様に協力して貰えば……!)
王城を探し回ってもヴォルフ様の姿はなく、雪がしんしんと降り積もっていく。
城下町に降りた可能性も考えたが、足跡などはない。
(あと探していないのは……)
カーン、カーン。
唐突に大聖堂から鐘の音が響いた。鐘は国の祝福と加護を与えるので毎日ならす必要がある。心地よい響きの鐘は国の加護を促す。
(自動式の魔法で鐘を鳴らしている? それとも手動なら──あ!)
慌てて大聖堂の階段を駆け上がる。螺旋階段の先には七つの鐘を吊した場所に出た。そこにヴォルフ様の姿を見つける。
彼は一人で鐘を鳴らすことで国の加護を維持しようとしていた。愚直なまでに一生懸命で、その姿は幼い頃の自分の姿と重なった。
「(誰も助けに来ない絶望の中で、私の故郷は間に合わなかったけれど、この国の人たちは……)ヴォルフ様!」
「メリッサ」
ビクリと体を震わせたヴォルフ様の耳は、なんだか更に垂れて凹んでいるように見えた。服装は青年だった時と変わらないが、年齢は十二歳ぐらいだろうか。
同じ目線になろうと腰を屈めた。
「この国で何が起こっているのか、おおよそのことは把握しました。ご安心ください、必ずこの国をお救いいたします」
「──っ」
「ただ……他国出身である私だけではできないことがあります。殿下のお力をお借りできませんか?」
「君は怒ってないのか? いや私に失望してはいないと? こんな危機的状況で巻き込んで……姿を偽って、挙げ句の果てに中途半端に逃げ出してしまう……こんな駄目な王子を」
自分を責めるヴォルフ様の姿に、私はできるだけ口元を緩めて微笑んだ。
「ヴォルフ様……」
困惑するヴォルフ様の手を両手で包んだ。彼の指先は凍てついたように冷たい。ずっとこの場所に居たのだろう。
よく見れば手が荒れているし、顔色も良くない。ずっと一人で無理をしてきたのがわかった。グッと唇を噛みしめて、できるだけ明るくヴォルフ様に声をかける。
「婚姻契約の依頼は今までもありましたし、今よりも複雑かつ政治絡みや土地の魔素が淀んで魔法が使えないなどもありましたし、そもそも人族というだけで目の敵にする地域も……」
「え」
「それに私は流行病で故郷を失いました」
「メリッサ……」
「だからこそ、私はこの国を助けたい。それに氷漬けされているのは、《夏宵蔓毒》の症状を緩和するためですし、薬だってすぐに作れます!」
「毒!?」
「はい」
ヴォルフ様は声を荒げた。もしかしたら氷漬けになっている原因も分かっていなかったのかもしれない。
「《冬の魔女》様は《夏宵蔓毒》に掛かった者たちを救うために、仮死状態にすることで毒の侵攻を防ごうとしたのだと思います」
「では……《冬の魔女》様の怒りや、呪いでもないと?」
「その通りです。この《夏宵蔓毒》という毒は、そもそも夏の幻獣国にしか生息しません。また栽培禁止になっているのです。行商かが知らずに冬の国に売ったのか、あるいは事故だったのかは不明ですが、私の四季豊穣魔法であれば薬草を生み出して薬を作ることは可能です。問題は……」
「何だ?」
「ご存じかもしれませんが、四季豊穣魔法はその土地の魔素を使い影響をおよぼします。そのため《冬の魔女》様の怒りを買わぬように、その国の者と協力して術式を作り上げる必要があるのです(最悪半径二メートル以内にいてくれれば発動するし、魔法陣を描くまで耐えて貰えば……)」
緊急事態なのでできるだけ協力して欲しいと思ったのだが、私の掴んだ両手をヴォルフ様は強く握り返す。
「ヴォルフ様?」
「もちろん、何でも協力する。四季魔法は魔女あるいは聖女に連なる者だけが使えると聞いている。それで私は何をすればいい?」
「では秋の薬草を生成する広い土地が欲しいです。次に氷結を解除する順番ですが、薬のストックができてから、季節豊穣魔法が使えそうな方、あるいは薬師の方を数名ほど教えてください。その方たちから優先して起こしたいのです」
「わかった!」
ヴォルフ様の決断力と実行力は素晴らしかった。
王城の裏にある畑だった場所を提供してくれて、季節豊穣魔法を使える王宮魔道士と薬師のリストアップも迅速だった。
「ではこの畑を一時的に《秋の聖女》様の恩恵を得るための場所にします」
「ああ、わかった。よろしく頼む」
《4》
それからは時間との勝負だった。魔法陣を描くのもヴォルフ様に手伝ってもらい、複雑な幾何学模様を書き上げた。初めて誰かと一緒に作る魔法陣は何だかキラキラと輝いて見える。
(雪の上に書いたから、そう見えるだけかもしれないけれど……誰かと一緒に作業するのは、胸が躍る)
「書き終えたあとはどうすれば良い?」
「私からできるだけ離れず傍に居てくれれば嬉しいです」
「わかった!」
「!?」
そう言うなりヴォルフ様は私に抱きつく。年下とは言え思い切り抱きつかれたことに危うく詠唱呪文を間違いそうになった。
少年に抱きしめられている女性――という構図は、第三者が見たら眉を顰めそうだ。次に魔法を使う時は手を繋いで貰おう。もっとも手を繋いで貰えるか分からないけれど。
「秋麗の満たす大いなる杯に収穫と豊穣を形と成して、この土地の者たちの助けとならん。古き時の霊脈と魔素の恩恵により、我らに僅かばかりの慈悲を――錦秋の豊穣」
金色の光によって雪が溶けて、大地から青葉が芽吹き、植物はあっという間に実りを付ける。その成長速度は凄まじく、過去最高の仕上がりだった。
秋特有の薬草、食料となる木の実やら果実が一瞬で収穫できるまで成長したのだから驚きだ。
「メリッサはすごいのだな!」
「え、あ……いえ、私もこんな早く実るなんて今までありませんでした。ヴォルフ様が一緒に作業をしてくださったからかもしれません」
「であれば、嬉しい。夫である私もメリッサの役に立てているのだから!」
「夫!」
「あ、……急に身内面されるのは嫌だったか」
しゅん、と尻尾まで垂れ下がって凹んでいた。何だか可愛らしくて頭を撫でてしまう。これでは夫どころか子供扱いなのだが、ヴォルフ様は思いのほか嬉しそうに頬を染めた。
「妻に頭を撫でられるのは存外良いものだな」
「そ、そうですか?」
「ああ。聖獣族は番を大事にする。触れ合うことや、食事を食べさせ合うことも愛情表現だ。……しかし、私は君より、その、今はまだ背は低いが……あとニ、三年すれば追いついて追い越す」
(二、三年……。この方はあっさりと三年後も私が隣に居ることを望んでくださるのね)
一時でもそう言ってくれるヴォルフ様の思いやりに胸が温かくなった。陽だまりのような明るくて優しい王太子。
この幸福が一秒でも長く続くことを柄にも無く願ってしまった。
***
「今日の収穫はここまでにしよう」
「え。でも薬を少しでも作ったほうが……」
「それも大事だけれど私たちが倒れるわけには行かないだろう。今日はメリッサもこの国に来たばかりで大変だっただろうし、食事の準備や寝る場所の案内もしたいから」
私の手を掴んでヴォルフ様は王城の生活区域に向かった。部屋の掃除などは魔導具を使っているらしく、埃っぽい感じはない。
「あのヴォルフ様、私の部屋は……」
「ここだが。もちろん隣の部屋は私の寝室に繋がっている」
「と、隣の!? 寝室!?」
私が驚愕の声を上げると、ヴォルフ様はムッとした様子で眉をつり上げた。
「私がいくら子供だったとしても、すでに婚姻は終わっているのだ。妻として扱うのは当然だし、……そ、それに添い寝ぐらいはしてもいいだろう!」
(この方は本当に私を妻として扱ってくださるのね。それが契約だったしても、大切にしてくださるなんて……)
「それともメリッサは、こんな子供では嫌か?」
垂れ耳が更にへにゃりと項垂れているように見えて、慌てて首を横に振る。
「そ、そんなことありません。ヴォルフ様にそこまで言って頂けるなんて嬉しいですわ」
「じゃあ、決まりだな」
どこまでも真っ直ぐに私を見て、率直な気持ちを口にしてくださる。ヴォルフ様の優しさは強張った私の心を優しく解きほぐしてくれる。
(でも……あまり深入りしては駄目ね……)
そう、ヴォルフ様がいくら素晴らしい人でも、彼は王族なのだ。彼が私を優遇することで他の側室や妃の座を狙うご令嬢はいるのだから。そんな人たちに目を付けられたら、後ろ盾のない私なんてあっという間に居場所を奪われる。
(シクル国と同じような状況にならないようにしなきゃ……)
***
それからヴォルフ様と収穫を行い、解毒薬を作る日々が続いた。食事も二人で作り、作業効率を上げるためにも役割分担をして、薬のストックと充分な食料を用意する。
「薬は魔法を使わなくても作れるのだな」
「魔法でも出来ないことはないですけれど、今は魔法陣に魔力を使っているので効率的に手作業で作ったほうが早いのです」
「なるほど。……秋空ギンモクセイと七星のヒシの実、夕暮れのオミナイシ、竜香のナツメ、七草のクズ……どれも秋の薬草ばかり使うのだな」
「はい。《夏宵蔓毒》は夏の毒果実ですから、癒すのは秋に収穫される薬草が良く効くのです。春や冬の薬草でもいいですが効き目などを考えると、春の毒は夏、夏の毒は秋、秋の毒は冬、冬の毒は春――という形で巡るのです。ただ秋の季節の薬草は育てる者の熟練度で、どの四季でも素晴らしい効果が得られると言われています!」
「メリッサのように?」
「わ、私などまだまだ!」
「そんなことない。解毒薬を作るメリッサは生き生きしていたし、真剣で……とても凜々しい」
「り、わ、私が!?」
ヴォルフ様の賛辞にドギマギしてしまう。しかしヴォルフ様は天然の褒め上手なのか、私への称賛は続く。
「それに昨日のクリームシチューはとても美味しかった。パンも表面はサクサク、中はもちっとしていて、今まで食べていたどの料理よりも美味しかったぞ」
「そ、そうですか? その王宮ではもっと素晴らしい料理がでるのでは?」
「妻が作る料理が世界一美味しいに決まっているだろう。それに素朴かつ優しい味わいで私はメリッサの味がいい」
「そ、それは……光栄です」
ヴォルフ様はしきりに夫婦であることを口にする。それが何だかこそばゆい。
一週間分の薬のストックも増えて来たところで、薬師や秋の季節魔法を使える人たちの氷結魔法を解除していく。
秋の季節魔法の使い手なら、今ある魔法陣に魔力提供してくれるだけで作物の成長も早くなる。そうすれば薬を作る量も増えるからだ。
一人一人順々に氷結魔法を解除して、薬を飲んで貰う。その際に、ヴォルフ様から事情説明を行って貰った。よそ者の私が出しゃばるよりもスムーズに運ぶからだ。
症状の軽い人なら一日か二日で復調するだろうと思っていたが、聖獣族は頑丈なのか初日で完治する人たちが出てきた。
「助かりました、メリッサ殿」
「メリッサ殿と殿下の声は仮死状態でも聞こえておりまして、勇気づけられました!」
「あ、その……いえ……」
「メリッサは私の妻だからな」
「ヴォルフ様!?」
「分かっております、殿下」
「よき方を妃に選ばれたようで、嬉しいです」
(こ、この国の人たちはみんな褒め上手だわ)
今まで感謝されたことが殆ど無かったので握手を求められることや、お礼と言って菓子や花を貰うことなんてなかった。
驚くことに私に侍女が付き、リースが日常生活のサポートをしてくれた。
リースのおかげで自分の仕事に集中もできるようになり、料理も私とヴォルフ様が一緒に作ることもなくなった。少しだけ寂しかったが、今までが非常事態だったのだと理解する。それでもヴォルフ様は私との食事を楽しみにしてくれていて、食べ合いっこは続いた。
(もしかして妻というよりも、母親的な好かれようなのかしら?)
「メリッサ?」
「そ、そういえばヴォルフ様のお母様との食事はよいのですか?」
「なぜ母上が出てくるのだ? 私は自分の妻と食事する時間が楽しみだというのに……」
子供扱いされたと察したのか途端に不機嫌になる。青く美しい尻尾が逆立っているので、怒っているのだろう。
「すみません」
「謝るぐらいなら後で私の頭を撫でてくれ」
可愛らしい要求に私は「喜んで」と答えた。
《5》
ロッカで暮らして一年が経った。
侍女のリース、料理長のロハス、騎士団の面々も復帰を果たしてからは、氷結魔法を解除して国民たちの救護が急ピッチに行われるようになった。
国王、王妃の復調したのも大きいだろう。
本来なら国王と王妃に挨拶をすべきなのだが、薬のストックを作るため連日忙しく働く私とヴォルフ様を鑑みて、改めて場を設けると言ってくださった。
私の仕事を見て判断してくれる国王と王妃の気配りが嬉しかった。他国では自分たちの都合で何度も呼び出しを受けて、作業が滞ることがあったのだ。
そのたびに当時の契約者だった王子、あるいは公爵から酷い仕打ちを受けた。
(そういえば、執務室にいたのはヴォルフ様のご親戚の方かしら? それともあの方が国王? ……にしては若すぎるわよね)
「メリッサ?」
食事を終えてソファで寛いでいると、ヴォルフ様が私の隣に座る。いつの間にか私の隣に座るのが当たり前のようになっていた。
「あ、いえ……。執務室で氷漬けになっていた方は、ヴォルフ様とよく似た髪の色をしていたのを思い出しまして、ご親戚の方でしたか?」
「――っ」
その話をした途端、ヴォルフ様は動揺を見せた。目が泳いでいたし、尻尾もいつも以上に逆立っている。王族の継承者問題はどの国でもいろいろあるのだろう。虎の尾を踏んでしまっただろうか。
「……メリッサは、あの者に惹かれているのか?」
「え? あ、いえ……。そう言うわけでは……」
「そうか。……メリッサ、色々と落ち着いたら今回のことも含めて話がしたい。それまで待っていてくれないだろうか」
ヴォルフ様は私の手の甲に手を重ねる。指先は温かくて、彼の言葉はいつも優しい。
「はい。今は薬の生産スピードも順調ですし、このスピードならあと二ヵ月から半年で国民全員を救えると思います」
「ああ。それが終わったら。それに――結婚式もちゃんとあげなければな」
「――っ!?」
甘い言葉に夢のような話だ。
今は季節豊穣魔法の拡張と、収穫、薬作りがメインで動き回っているが、ヴォルフ様はできるだけ私と一緒の時間を作って作業を手伝ってくれる。
王族が率先して動く姿は目に付き、周囲はもちろん国民からもヴォルフ様の人気が高まっていった。
その忙しさも《夏宵蔓毒》の薬が不要になったことで、一年と三ヵ月で終止符が打たれた。目まぐるしくも走り回っていたのが嘘のように、王城には活気に溢れた声が満ちていた。
(ああ、あの静けさが嘘のよう。……今まで二つの冬の国を訪れたけれど、この国が一番雪や町並みが綺麗だわ)
毛皮のコートを羽織りながら、この国の町並みを眺める。最初に来たとき、街灯の明かり以外、家に明かりは灯っていなかった。
それが今では夜でもオレンジ色の家の明かりが目に付く。
(この国を救えてよかった……)
今回はヴォルフ様が尽力してくれたからに限る。私一人ではもっと時間が掛かっただろう。
いや私一人では誰一人救えなかった。
(今回は間に合った……。間に合って良かった)
私は今までの功績を称え、休養する時間を得た――だが、どうにも落ち着かなくて気付けば王城の図書館に足を運んでしまう。
図書館内は静かなのだが、その通り道には温室の庭園があり、貴族令嬢たちの賑やかな声が聞こえてくる。
「ヴォルフ様、本日はお茶会にご参加ありがとうございます」
「いや。……それよりもメリッサ、私の妻の姿がないのだが?」
「ああ、あのお方は私どもと話すよりも本を読むのがお好きなようで」
「ええ、何度お声がけをしても、色よい返事を頂けたことがないのです」
初耳だ。
彼女たちの声は丸聞こえで、図書館の入り口まで聞こえていた。
(前回と同じように陰口が増えるのは、いつものことだわ。だって私はよそ者だもの)
前回は気にせず無反応でことを荒立てずにいた。
悪い噂というのはその日のうちに国中に駆け巡る。下手に反論すればさらに傷は深まるし、王子や公爵も取り合ってはくれなかった。
(ヴォルフ様は、片方だけではなく話を聞いてくれるかもしれない)
「そうか。メリッサにそのような手紙が届いた記憶は無かったが、私の勘違いだったか」
「え」
「そ、そんなことありませんわ。ちゃんと――」
「メリッサへの贈物や手紙は全て私が管理している。変な虫が付いても困るからな」
(それも初耳ですが!?)
「彼女は私の妻、つまりは王族の一員でもある。その彼女に対して嘘をついたのなら不敬罪が適用されるが、君たちが正しいというのなら調べても問題ないな」
「い、いえ……殿下」
「あ、ああ。思い出しましたわ。私としたことがうっかり手紙を送り忘れていたようです」
「ああ、そうか。間違いなら致し方ない。…………だが、次はない。今回の件は各家にそれぞれ抗議文を出させて貰おう。国を救った恩人の顔に泥を塗り、私の妻を貶めようとしたのだから覚悟するといい」
低く冷たい声音だった。
けれど私にはヴォルフ様の言葉が嬉しくて、浮かれていた。
初めて私を守ろうと動いてくれた――それだけではなく、心から夫婦であろうとすることが幸福で息が詰まりそうになる。
(できることならこのまま、ヴォルフ様の傍にいたい)
けれど、その願いは脆くも崩れ去った。
***
春先の国交を再開した途端、冬の国の一つミツキの公爵家嫡男バイロン・ソーンダイク様と、シクル国の第三王子クラーク・コニックフォード様が王城に乗り込んで来たのだ。
表向きは復興支援の使節団だが、先触れもなくほぼ強引な形での入国だったらしい。聖獣族は温厚で義理堅い種族なようで、自国の立て直しが忙しい中、使節団を歓迎した。
数日後、舞踏会を開く――と言う話をヴォルフ様は不満気に語った。
「あれはメリッサを讃えるための祝賀会であり、私の妻として公表するつもりだったのに……」
そう寝室でプリプリと怒るのは、四足獣の姿をした愛くるしいヴォルフ様だ。
お風呂上がりでハーブの香りが鼻孔をくすぐる。サラサラの毛並みをブラッシングするのが最近の日課だったりする。
「毛繕いするのも夫婦と家族だけの特権なのだ」
「ふふっ、光栄です。モフモフでヴォルフ様はいつも良い匂いがしますし、温かい。誰かと一緒に寝るってとても心地よくて安心できるって、最近すごく思うのです」
ピクリとヴォルフ様の耳が大きく揺らいだ。尻尾も逆立っているのだが、これは怒っているのではなく、驚いているのだろう。それが分かるぐらい一緒に居たのだと思うと少し嬉しい。
「…………メリッサ、その、私以外に誰と……? き、君が婚姻契約でその他国でも奉公しているのは……聞いたのだが……」
「え、あ。一緒に寝ていたのは両親ですよ。……ミツキ国の公爵様、シクル国の第三王子とも婚姻契約は結びましたが、契約者としてで、夫婦らしいことは何一つありませんでした」
「そ、そうか。……両親。……メリッサはこんなに可愛らしいのに、見る目がない。いやそのおかげで私の妻になって居るのだから、喜ぶべきなのか?」
途端に元気に尻尾を振るので、その姿も愛くるしい。
ヴォルフ様は秋の法国の婚姻契約をご存じが無かったようで、今回の使節団が来る際にお伝えしてから私のことを大事に、そしてできるだけ一緒に居ようとしてくれる。
「パーティーでは絶対に独りにならないように。私もずっと傍にいるし、ダンスを五、六回すれば他の者も察するだろう」
(ダンスをたくさん踊るとどうして牽制になるのでしょう?)
一応秋の法国では伯爵令嬢という肩書きはあるが、テーブルマナーとカーテシぐらいしかしらない。ヴォルフ様の隣に居続けるのなら、そういった知識や教養も必要になってくる。
(この先、三年後もヴォルフ様の隣にいても……いいのでしょうか)
欲張りだと分かっていたけれど、そう願ってしまう。
ヴォルフ様が何か隠しているのは何となく分かっているけれど、それは私を貶めるようなものではないし、この国の人たちはお日様のように温かい。
私が人族でも、よそ者でも、同じ輪にいれてくれる。
(ヴォルフ様とは年が離れているけれど……、私は……。この気持ちを伝えてもヴォルフ様は喜んでくれるかしら)
今度の舞踏会でヴォルフ様に、自分の気持ちを伝えたい。
そう、思っていたのに想いを伝えることも、ダンスをすることも、何一つ叶わなかった。
《6》
白と淡い青のドレスに、ヴォルフ様の瞳の色のティアラに、耳飾り、首飾りなんて瞳と同じくらい大きなサファイアと真珠で作られた一級品だという。リースを含めた侍女の人たちが美しく着飾って、魔法をかけられたかのよう。
(これならきっとヴォルフ様も……)
ヴォルフ様の元へ向かおうとした矢先――窓硝子が唐突に割れて、猛吹雪が私を襲った。
私の意識はそこで途切れた。
***
凍てつくような寒さの中で、声だけは鮮明に聞こえる。
上も下も分からなくて、目も開けられない。
『まったく、王太子であられるサガライア・エーベルハルトと婚約するのは、《冬の魔女》様の一番弟子である私、アナベルだというのに、お前のせいで何もかもがめちゃくちゃよ! お師匠様が留守の間を狙ってサガライア様との婚約を果たそうとしたのに、《秋の聖女》め、あんな藁のよう小娘を派遣しちゃって!』
(藁……私の……こと?)
『そう言わないでください、尊き魔女様。メリッサは女としては魅力に欠けますが、季節豊穣魔法に関しては、他の者よりも抜きん出た才を持っているのです、是非我がシクル国に頂けないだろうか』
(シクル国……、まさか第三王子が?)
『いいや、ミツキ国に来ることが幸せに違いない。これは国王陛下もお望みになっていることだ』
(ミツキ国まで……)
『どっちでもいいわ。サガライア様の前から居なくなってくれるのなら』
(サガライア? ヴォルフ様ではなく?)
ヴォルフ様は自分で王太子だと名乗った。彼が王太子ではないのか。
記憶を遡ってみるが、周りもみなヴォルフ様あるいは殿下呼びで『王太子』とは読んでいなかった。それでも彼は王族の部屋を使っているし、誰も何も言わない。
名前や身分を偽って婚姻契約はできない。悪用を防ぐために術式が施されている。
婚姻契約を結ぶ時だって――。
『――ここ冬の国の一つロッカの地において、万物の神々と四大魔女の一人、《冬の魔女》に告げる。ヴォルフ・エーベルハルトはメリッサを我が妻として生涯でただ一人愛することを誓う』
ふとヴォルフ様が王太子だと名乗ったのは、私を出迎えた時だけだ。
(あれ……? でも、どうして?)
『なるほど。俺と婚姻を結ぶために《夏宵蔓毒》を国にバラ撒き、困ったところを助けるという自作自演をするつもりだったようだな』
(ヴォルフ様よりも……低い声)
『誰!? ……ッ、サガライア様!?』
その場の空気が一変した。
見えはしないけれど、騎士の甲冑音が複数聞こえる。この場所を取り囲んでいるのだろう。
『残念だったな、魔女見習いアナベル。《冬の魔女》様の氷結魔法によって先手を打たれたことで、同系統の冬魔法を使うことを封じた。何せ使えば即座に《冬の魔女》様に勘づかれるからな』
『サガライア様。まさか……』
『そう、俺は秋の法国に助けを求め、婚姻契約を申請した。弟ヴォルフに頼み、敵を炙り出すため王太子としての役どころもしっかりと果たしてくれた』
ヴォルフ様は、サガライア様の弟。
敵を炙り出すため――王太子として演じていた。
(ああ……そうか。全部、演技だったのね。今回の一連の事件の犯人を捕まえるため……)
仲睦まじい夫婦を演じて、ヴォルフ様はお兄様のために王太子を演じて国を救った。ずっと感じていた違和感や、周りの皆が私を大切にしてくれる理由も解けた。
(そうとも知らず、浮かれていたなんて……)
『魔女見習いアナベル、お前を魔女教会から破門。さらに冬の国から国外追放とする』
『お、お師匠様! そんな』
それからは目まぐるしく様々な声が聞こえてきた。シクル国の第三王子やミツキ国のバイロン公爵が何か私に話しかけてきたが、私の心は深い深海に溶けて消えていく。
利用されることに疲れてしまった。
現実に戻れば、シクル国やミツキ国、ロッカまで私を良いように使おうと考えて画策しようとする。
(これ以上、心がすり減って壊れてしまう前に私は――)
深い眠りが幸福だった頃の記憶を呼び起こす。
緑豊かな小さな領地。
銀杏の木々が見事で、私と両親は紅葉が近づくと楽しみにしていた。
「銀杏は食用、薬などにも使えるから便利だぞ」
「ほら、メリッサ。これが秋の七草よ。覚えておくといつか役に立つわ」
「はい! お父様、お母様」
伯爵家の領地は薬草にも恵まれて、幸福だった。
けれど《銀竜の毒》によって、土地は腐り、大切な人たちもろとも私は故郷を失った。
たった一人だけ生き残ってしまった。
でも――この世界は、そんな悲劇が起こる前の世界を再現してくれる。
失った記憶から構成された夢の産物。
両親との幸福な時間は心地よくて、それ以外のことはどうでもよくなった。
(ああ、そうだ。ここが私の居場所……)
ふと美しい青空から青い雪が降り注ぐ。この土地に幸福の青い雪なんて珍しい。
『嘘をついてすまない』
『ずっと本当のことを言えなくて、騙して本当にすまない』
『いいや、今回の計画立案は王太子である俺が計画したこと。メリッサ嬢、申し訳ない。本当にすまない』
『メリッサ様、戻ってきてくださいませ!』
『そうです、まだまだメリッサ様から受けたご恩をお返ししくれていないのですから!』
『メリッサ、戻ってきて。私の妻は君だけだ』
『メリッサ嬢、もしそなたが望むのなら息子との婚姻契約を永続してくれないだろうか』
『ようやく娘ができてお話しするのを楽しみにしていたのですから、どうか戻ってきて』
『メリッサ、一人で眠り日が続いて、君がいないだけで私はどうにかなってしまいそうだよ』
声が何処までも降り注ぐ。
私のことを思ってくれる声。
この声は――誰だっただろう。
「ヴォルフ様……」
「メリッサ」
「お父様、お母様……。私は」
「ようやく羽根を休めることができる場所ができたのに、それを自ら捨てては駄目だよ」
「私たちの可愛い子。行ってあげて、ほんの少しだけれど、あなたと一緒に居られて嬉しかったわ」
両親に背中を押されて私は駆け出す。
(ああ、そうだ。……私はヴォルフ様と出会って……)
「メリッサ」
幼かった子供から、大人の姿に戻る。
どうして忘れていたのだろう。
ずっと帰りたいと思っていた場所は、もう見つけていたのに。
手を伸ばしても良いのだろうか。
許されるのなら、私は――。
「ヴォルフ様と一緒に、生きていきたい」
「私も、メリッサと一緒に生きていきたい。一緒じゃないと困る」
その声はすぐ傍から聞こえて――、目映い光と共に、氷が砕けた。
《ヴォルフ視点》
僕だけ氷漬けにはならなかった。だから最初は兄サガライアの計画に沿って、犯人を炙り出すつもりだった。だから婚姻契約も兄の名サガライアで行うつもりでいた。
でもメリッサと出会った瞬間、心臓がバクバクと煩くて、自分でもよくわからない感情でいっぱいになった。
(この人と一緒に居たい。離れたくない!)
本能でそう思ったのだ。だから婚姻契約は自分の名前にして、伴侶にしかみせない獣姿も見せた。
外堀をせっせと埋めて、メリッサを囲んでいく。メリッサはほわほわしているけれど、誰よりも一生懸命で、責任感が強い。薬草や珍しい物が好きで、宝石やドレスなどには興味もない。
(貴族令嬢らしくないけれど、そんなメリッサが好きだ)
三日間、寝室で添い寝することで「きせいじじつ」も完璧だ。大好きだって気持ちをたくさん伝えていった。好きな気持ちが膨れ上がると同時に、罪悪感も増す。
みな今回の計画を知っているから、色々と配慮してくれた。
(メリッサに本当のことを……。でも初対面の時から失態ばかりして、その上、私が第二王子で、計画に利用しようとしていたと知ったら失望どころか嫌われてしまう。そんなのは嫌だ)
怖くて本心が言えなかった。
でも、メリッサを失うかもしれないと思った瞬間、幼稚な言動のツケが回ってきたのだ。
氷漬けになっているメリッサを見た瞬間、血の気が引いた。
「メリッサを寄越せ」と言ってきた他国の王子と公爵は、サガライア兄上が追い返した上、今後文句を言われないよう手を打ってくれた。これでメリッサは、あの二つの国に関わらずに済む。
メリッサの氷結魔法を解きたくて、《冬の魔女》の知恵を借りようとしたが、彼女は人見知りらしく、小鳥を使って声だけを届けてきた。
『我が弟子がかけた氷結魔法は《忘却の氷夢》。ここに囚われてしまったら最後、幸福な夢を見続けて目覚めることはない。……それでも、寝覚めるのを待つのか? 第二王子』
《冬の魔女》様の言葉に私は「はい」と答えた。待つだけなんてしない。方法を探すんだ。
メリッサはいつだって、そうやって無理を覆してきた。
だから何度でも声をかけるし、解決方法を探し続ける。
「メリッサ、愛している。君じゃないと駄目なんだ……戻ってきて」
***
「ヴォルフ様と一緒に、生きていきたい」
「私も、メリッサと一緒に生きていきたい。一緒じゃないと困る」
声が返ってきた。
薄らと人影が見える。目が覚めるような天色の長い髪、宝石のような瞳、目鼻立ちの整った青年が私を見返す。垂れた長いうさ耳は何処か覚えがある。
けれど少年ではない。
彼は――。
「……ヴォルフ様?」
「ああ、そうだよ。メリッサ。君が眠っている間に、私は君と同じ年齢になってしまったけれど、これでもう子供扱いはしないよね?」
ヴォルフ様は最初に出会った頃と同じように、ポロポロと涙をこぼす。美しい姿に成長を遂げたヴォルフ様に息が詰まりそうになる。色っぽさが増していた。
「ふふっ、そう……ですね」
「メリッサ、もう一度最初からやり直しても良いだろうか。告白から結婚式まで全部」
「ヴォルフ様、ずっと、待っていて……くださったのですね」
「当然だろう。私の妻はメリッサだけなのだから!」
ボロボロと泣き崩れるヴォルフ様は可愛らしくて、そっと唇にキスをする。
温かくて、心臓が脈打つ。
私の見つけた居場所はここだと、微笑む。
「ええ、私も。私の夫はヴォルフ様だけです。――愛しています、ヴォルフ様」
END