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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

自殺芸

作者: ドナルド・バーダック


@1

「今もっとも注目を集める新人『チコリンズ』、超絶面白かったですね~ゲストの皆さんどうでしょう」

 年に一度の笑いの祭典「PマンGP」決勝。司会者のヤンベが居並ぶゲスト、お笑い界の重鎮達に感想を聞いた。

「さすが飛ぶ鳥落とす勢いの『チコリンズ』おもろいでんな~優勝はイタダキやん」

「レベル高いわ~毎年、芸のレベル上がってる。俺ら今出場したって予選落ちや」

「ワーキャー」

 会場も歓声に包まれていた。お笑い界の超新星『チコリンズ』は話芸もさることながらアイドル顔負けのルックスで女性にも大人気。お笑い界の重鎮達もこの人気者にあやかろうと褒め讃え、自分の今後のポジションの安定を図る。

 人気とは、人気が人気を呼び膨らんでいくものだ。いちど勝ち馬に乗って転がり出せば便乗しようと人が群がる。巨大な転がる雪だるまは周囲をどんどん巻き込んで実力以上の評価を与え伝説を作り上げ、そうやってスターが産まれるのだ。

「さあ次は芸歴二十年の大ベテラン、敗者復活でチャンスをつかんだ、今回初の決勝進出、そして年齢制限によって最後の挑戦にもなります…最後の最後で錦を飾れるかウメボシ芸能所属『七転八倒』の登場です」

 ステージの赤いカーテンが開いた。八谷は緊張で漏らしそうだ。つい5分前にトイレに行ったばかりで出るわけは無いのだが、なんだか先っちょがムズムズする。相方の七沢を見ると顔面蒼白でまるで死人。表情は無く目は正面に固定されて動かない。まるで狸の置物。

「おいおまえら、とっとと出て来い。どうせ誰も期待しとらん。予選通過もお前らんとこの社長に最後の思い出にって頼まれたからお情けで通したったんや。どうせ滑るんやから派手に滑ってきー」

 カーテンの裏でもじもじしている二人をヤンベがせかす。

「くそ、七沢行くぞ!!」

 意を決して八谷は七沢の背中を押した。

 スポットライトを正面から受けて観客席は真っ暗だ。審査員席も真っ黒で見えないが、そこは業界の重鎮達が座っているはずだ。今まで小さなステージでしか芸を披露したことの無い八谷達からすれば、ここが人生で最大の舞台であるのは違いない。

「おお、おれは、クマだ~クマったな~」

 八谷は緊張しながら用意したネタを始めた。

「……」

 七沢はさっきと同じで緊張で微動だにしない。目が正面に固定したまま動かない。

「おい、鮭じゃないねん…や」

 八谷は七沢のセリフを促す。

「しゃ、シャケ、じゃ、ない…です…」

 シーン

 会場は無反応。七沢はセリフの続きをボソボソと続けている。

(あ、あかん!!)

 全国放送されている超人気番組でこれでは放送事故だ。芸が面白い、面白く無い以前にこんなもの放送できない。きっとテレビ画面は「しばらくお待ちください」ってなってる。

 八谷の脳裏には事務所の社長や司会のヤンベ、重鎮達の怒った顔が目に浮かんだ。スポーツ刈りに揃えた頭には汗がビシャビシャ出て流れ落ち、目に染みて何度も瞼をしばたいた。

「なにアレ~」

「うわダッサ」

「早く引っ込めよ」

 ボソボソボソ

 余りの静けさに観客席からのヤジが聞こえる。

「なんや、あの人アレに似てるな…えーと、そうやカメムシ!!」

 客席から誰かの声が聞こえた。大声でも無かったがヤジの合間で静まった所だったので声が通った。

「ふっふふ」

「わっははは」

「ギャハハ!!」

 会場は一気に爆笑に揺れた。

(笑われてる…おれら、笑われてるんや)

 八谷は芸人の先輩に言われた言葉を思い出した。

「芸人は笑われたらあかん、笑わすのが芸人なんや…」

 お笑い二十年やって来て未だに笑われてる。俺は本当にセンスが無いんか。八谷は悔しくて悔しくて、もう訳が分からなくなってきた。相方は相変わらず硬直したまま動かない。白いワイシャツに青いネクタイがブラブラ揺れていた。

 八谷はそのネクタイを思わずつかんだ。七沢が目を見開いてユックリと振り返る。

「七沢おまえ、おまえのせいやからな!!」

 そう言って八谷は七沢のネクタイを引き抜いた。そして、

「おお、俺、死にまーす!!」

 大声で叫ぶと、八谷はネクタイを自分の首に巻き付け思いっきり引っ張る。

「ぎゅーんんん、ぐぎぎぎっぎぃいぃぃ!!」

 意識が何度も暗くなり、白くなりして瞬いた。

「んぎゅーん、ぎゅーん!!」

 苦しい。しかしそれ以上に悔しかった。俺の、俺の20年間…。

 ジョバババー

 何度もトイレに行ったのに、もう出ないと思っていたのに尿が漏れた。

「あ、ああ…」

 そして八谷は死んだ。

 相方の七沢も司会のヤンベも、審査員の重鎮達、そして観客も誰一人口を聞くことができなかった。ステージで芸人が自殺したのだから。ややあって…

「パチパチパチ」

 どこからか拍手が聞こえてきた。ステージの脇から姿を現したのは人気絶頂コンビ『チコリンズ』。

「先輩…芸人魂、見せて貰いました」

 二人は感動で泣いていた。

「芸や、コレは芸なんや!!」

 審査員席からも声がした。若手の人気に便乗する重鎮芸人だ。

 そして…

「なんだ芸か。すごい芸だ」

「斬新!!」

 客席からも賞賛の声がもれ、最後に七沢が泣きながら言った。

「八谷、なに死んでんねーん!!」

 七沢は八谷の頭を思いっきり蹴っ飛ばした。力の抜けた八谷の首は変な方に曲がり、肺からガスが押し出されて音が出た。

「ぴゅ~っ」

 間抜けな音に会場は大爆笑に包まれた。

 笑いはとどまることが無く続いた。七沢は死体を担ぎ踊りを踊ったりプロレス技をかけたりして、さらに笑いを繋げた。笑いのチェーンは止まることは無かった。二人の持ち時間はとっくにオーバーしていたが誰も止めることは無かった。司会者も他の芸人も一緒にステージに上がった。誰もが八谷の死体に群がった。八谷は新しい転がる雪だるまだった。誰もがその人気にあやかろうとした。今この瞬間、お笑い界に新たなスターが誕生したのだ。

 八谷の葬儀は盛大だった。国葬に…そんな声も聞かれた。葬列にはファンが詰めかけ、霊柩車が通るとビルから次々と人が飛び降りて道路に葬送の赤い花を咲かせた。

 その後「PマンGP」は開かれる事はなかった。誰が一番面白いのか競う意味が無くなったからだ。ステージ上で自殺、誰にも真似できない芸だ。最も面白い芸人は『七転八倒」の八谷、それは揺るぎの無い事実になった。そして八谷は伝説になった。

@2

 八谷は目を覚ました。

「俺は、確かに死んだはず」

 ステージでの顛末を思い出す。テンパって相方のネクタイで自分の首を絞めた。自殺したのだ。

「それに、ここは俺の部屋だ」

 四畳半の安アパート、いつもの見慣れた天井に慣れ親しんだ布団のニオイもそのままだった。あれから大して時間も経っていない。

「そうだ、九太郎!!」

 猫の九太郎が見当たらない。名前を呼んだが出てこない。どれだけ時間が経ったか分からないが九太郎は腹を空かせてるに違いない。部屋を探したが見つからなかった。四畳半で物も限られて隠れる場所なんて無い。九太郎はこの部屋にはいないのだ。少し安心して、もしかしたら七沢が引き取ったのかもと思った。

 スマートフォンはすぐに見つかった。電話も通じて契約もまだ止まっていなかった。

「もしもし七沢? 九太郎知らないか?」

「お、何だよおまえ、おまえ生き返ったのか? ビックリしたぜ、おまえの名前が表示されて幽霊かと思ったよ。九太郎? 知らねーな。それよりおまえ、大変なことになってるぞ、とにかく事務所来い!!」

 七沢は慌ただしく電話を切った。八谷は着替えて部屋を出た。出かけに大家に出会ったが九太郎の行方を聞くわけにいかない。ペット禁止なのだから。大家も八谷の復活に驚いたが部屋の賃貸契約を更新するのか事務的な質問をした。とりあえず状況が分からないので有耶無耶に応えた。

「おお八谷、待っとったでー」

 事務所に入ると社長が手を広げて迎えた。

「なんや、ほんまに生き返ったんかー。おまえ、おらん間に大変なことになっとんでー」

 社長は腕にはド派手な金時計がはめられてスーツも新品で高そうだ。ずいぶん羽振りが良さそうに見えた。

「おまえが売れたおかげで、うちの事務所も大繁盛や。何しろ伝説の大芸人を輩出したウメボシ芸能や。おまえに憧れて新人や売れっ子の中堅芸人までがうちの事務所に入りたがっとる。DVDやこれまでの動画もテレビ局が欲しがって金が雨あられのウハウハよ。じつはもう次のライブの予定も決まっとる。武道館でおまえの追悼ライブの予定やったんやが、本人が生き返ったとなったら…」

 大変なことになる…といのは、もう八谷にも分かってきた。事務所に到着するまでにタクシーの運転手やらボディーガードやらがてんやわんやして事務所にたどり着いたのだ。八谷に出会って卒倒して救急車で運ばれていくファンも沢山いた。

「おお、やっぱり幽霊からの電話じゃ無かった!!」

 ようやく七沢が到着して言った。

「お笑い界初の武道館単独ライブ、俺達は伝説になるんや!!」

@3

 ライブの日は日本中が熱狂していた。ライブのチケットを手に入れることができなかった人もライブの興奮を味わおうとSNSで自殺予告をしたし、会場に並ぶ人の中には興奮を抑えきれずにその場で命を絶つ人もいた。花火が大量に上がってドローンが上空から映像を送った。映像は衛星で世界中に配信される。すでに海外の有名サッカー選手は「七転八倒」の熱狂的なファンになっていて、そのフォロワーにも人気が伝染した。言葉を介した話芸では人気は日本国内に限られる。しかし自殺は現代社会では万国共有のタブー。それを笑いに昇華した八谷の芸は、国境も宗教も越えて世界中の人を魅了した。

「どんまいどんまい、おまえはもう大スターだ。どんなに滑っても冗談で許される。弱みすら魅力としてファンには写るんだ。それがスターダムに乗るって事なんだからな」

 七沢は八谷と違って余裕だった。すでに八谷が死んでいる間にいくらかのライブやテレビで滑り倒していた。しかしそれで人気が落ちたことは無く、ちょとした茶目っ気という感じでベテランがフォローしてくれるのだった。だから七沢は味をしめて調子に乗っていた。

「さあ今日も滑り倒そうぜ!!」

 八谷はそんな七沢とは対照的に震え上がっていた。何しろ生き返って初めてのライブが武道館。しかも自分の追悼ライブという触れ込みで、サプライズで復活して登場するのだ。そんな事が許されるんだろうか? やはり八谷は尿意が湧いてきてしょうがなかった。

「レディース&ジェントルマーン、ついに待ちに待った『七転八倒』の単独追悼ライブ、開催だー!!」

 ショーが始まった。人気DJが場を盛り上げ、巨大スクリーンには首を絞めてけいれんする八谷の姿が何度も何度も、曲に合わせてリピート再生された。七沢が飛び出し、一人漫談を披露する。3D再現された八谷が七沢の動きに合わせて受け答えして、やがて例のシーンが再現された。観客は沸きステージのボルテージが最高潮に達したとき、いよいよゴンドラで八谷が登場するという段取りだ。

 八谷は紐に宙づりになって待っていた。オシッコに行きたくてしょうが無い。

「おい、ちょっとコレ外してくれないか?」

「ダメですよ。すぐ出番なんですから」

 係の者を呼び止めたが無理だった。舞台は反対側で音声が反響してるせいで状況も分からない。それが八谷の不安をいやが上にも煽った。

「せ、せめて、タバコを…」

 震える手でタバコを咥えて火を…

「ビュアアアア」

 クレーンで体が引っ張り上げられた。

「ぎゃーーー」

 股間がギューンとして八谷は耐えられずに失禁した。上空高く舞い上がり、オシッコをまき散らしながらステージ上で回転している。ファンは歓声を上げながら八谷のオシッコを浴びた。

「なんとなんt、八谷復活しちゃいましたー」

「え、ええ、朝起きたら、なんか、生き返った…みたいで」

 着地しながらようやく答える。

「おまえ、ほんま適当やなぁ」

「ぎゃははは」

 もはや何を言っても面白い。お笑い芸人は面白いから笑わせるのでは無い。この人は面白い人だから笑っているのだ。人気者で笑えない事はセンスが無いという事になるのだから人間的な欠陥と捉えられる。

「ほんで、ペロペロ…」

「だから、えへらえへら…」

「わーわー」

「えーそれでは続きまして…」

 ステージは続き、総理大臣の祝辞も終わった。いよいよクライマックスだ。

「それじゃあ八谷さん、アレやってくれるかなぁ~?」

 支持率低迷している総理大臣はここぞとばかり人気者にすり寄ろうとしてきた。出しゃばってネタフリまで。

「うわ、総理大臣じきじきにネタ振りや~」

「ザワザワザワ」

 会場がどよめき、期待に満ちた目が八谷に注がれた。

「八谷、俺はちゃんと用意してるで」

 ギラリ

 七沢は懐から小刀を取り出して八谷に手渡した。

「何だよ、これ…」

 七沢はマイクに拾われないように小声で答えた。

「小刀やんか、これで割腹自殺をするんや。これだけのステージやからこの間みたいな地味なんじゃダメだろ。火だるま自殺の方が派手やけど、ガソリンの持ち込みは警備上の問題あるし、今回はこれで我慢してくれ」

「我慢って」

 八谷はタジタジした。

「割腹自殺は絶命するまで時間かかるんだろう。死ぬまでに記念写真良いかね? こう、はらわたをガバーッと」

 総理大臣は八谷との記念写真のSNSでの拡散を狙って言った。

「勿論、勿論ですよ総理」

「さあ、さあ」

「さあ、さあ、さあ!!」

 会場中の期待が一身に八谷に注がれた。

「こ、これが笑いなんか? これが新時代の笑い…おれが、新時代の蓋を開けてしもうたんか」

 八谷は震えながらつぶやいた。

「そうや八谷、おまえが開いた扉や、おまえがパイオイアなんや」

 七沢に手伝われながら八谷は衣装を脱いでいった。そして震える手で小刀を持ち上げ…

「だあぁぁぁ、りゃあああぁぁ!!!」

 腹に刺さった小刀は死ぬほど痛かった。しかし致命傷にはならない。出血多量で死ぬまで10分や20分はかかるだろう。

「もっと、もっとや八谷、頑張れ!!」

「頑張れ、頑張れ!!」

 会場中がコールした。

 観客に煽られ八谷は小刀を縦に引き上げて、広がった傷に手を突っ込んだ。中に痛みは無いが引っ張られるような感覚がある。

「どおぉぉぉぉりゃあああーーーー」

 八谷は手を引き抜いて自分の臓物を引っぱりだした。

 ビチチチッ

 手にはよく分からないピンクのグニャグニャが握られていた。

「笑って笑って」

 総理大臣が八谷の肩に手をかけてスマホで撮影している。

 八谷の意識はユックリと遠のいていった。

@4

 八谷が目を覚ますとまたも自分の部屋だった。目に入ったのはいつもの天井。

「何故だ? 毎回このベット。この部屋は賃貸だし、引っ越したら変わるのか? いや俺は復活出来る事は確定? 回数制限は、残機は?」

 分からないことだらけだ。九太郎も相変わらずいない。出かけると相変わらず大家は賃貸の更新をするのか聞いてきた。八谷はやっぱり答えられなかった。

 街をさまようと人々に声をかけられ歓声が上がった。興奮してそのまま道路に出てトラックに轢かれる奴もいたので気が滅入り、しょうがなく変装した。

「俺は死んだ。生き返った俺は、死んだ俺と同じ俺なんだろうか? 俺の体は火葬されて遺骨になって墓に入っているはずだ…」

 自分の墓が見たくて墓地にも行ってみたが、弔問に訪れる人の列を見て諦めざるおえなかった。パニックになるに決まっている。八谷はフードを被り直してマスクとサングラスを確かめると、その場を去った。

 雨が降り出してた。事務所には電話をしたくなかった。どうせ次のライブの予定を決められるに決まってる。また自殺させられる。

 ふと高校時代の恋人、スズ子の事を思った。お笑い芸人を目指して上京して以来、まともに女と付き合った事は無い。遊び相手には欠かなかったが、あの頃のような純粋な気持ちで人を好きになったことは無かった。気が付くと電話ボックスに入って記憶にある彼女の実家の電話番号を押していた。雨をしのげるし一人になれる。スマホを使ってカフェで電話するよりも今の気分に合っていた。

「トゥルルルル、トゥルルルル…」

 コールを聞きながら今更本人が出るわけ無いと電話を切りかけたとき…

「はい、鈴鹿です」

「あ、え…スズけ?」

「…もしかして、八谷くんだっぺ?」

 彼女は離婚して実家に戻ったのだそうだ。彼女の声を聞いてると自分が今まで生きてきた人生と、死んで復活した今の自分との繋がりを確認できる気がした。

「八谷くんが活躍する姿がテレビで見れて嬉しい。夢が叶ってんだしね」

「あ、あへ、どうだべかな…」

 しかし、受話器の向こうで涙ぐむ彼女の声を聞いてると、八谷はじょじょに覚悟が決まったような気がした。

 その後、八谷の自殺芸のレパートリーは増え続け、水死、焼死、毒死、轢死、あらゆる死に方を経験した。気持ちも余裕さえ生まれ今日も求められるままにヘラヘラと自殺してみせる。そしていつものベットで目覚めた。高級マンションに引っ越したが、やはり生き返るのはあの部屋のベットだった。大家に口止め料として数百万払おうとしたが大家は何故か興味を持たなかった。まあ、金を与えて部屋を立て替えでもされたらどうなるか分から無い。八谷は部屋をそのままにして賃貸料だけを払い続けた。

 それから十年の月日が流れた…。


「ンギャアアアァァァァゴゴォォゴォォ」

 八谷はブルドーザーに挽きつぶされるという自殺芸を見せていた。

「パチパチパチ…」

 しかし客達からは昔のような熱狂は感じられない。復活して事務所に顔を出しても誰の出迎えも無い。久しぶりに録画で観客の反応を確認して愕然とした。

「いつから、いつからこんなに客は覚めてしまったんだ…」

 七沢が答えた。

「飽きたんだよもう…おまえの芸は時代じゃ無いのさ」

 ホワイト社会が到来していた。世の中はクリーンで上品な方向にシフトした。芸人も、誰も傷つかない、傷つけない芸が主流。暴力的なドツキはおろか誰かを馬鹿にしたり容姿いじりも言語道断。ましてや自殺などもっての他だ。自殺は罪だ、という社会風潮が復活していた。ロミオとジュリエットは演劇から姿を消し、歌舞伎の心中物も御法度になった。人類の積み重ねてきた文学の3分の1は焼き捨てられた。

 八谷は二度とテレビに出れなくなり再放送でもCGで消され、もはや犯罪者扱いだ。ある日、事務所にドラマや映画の巨額賠償請求が来て社長は破産だと叫んだ。

「おまえは疫病神だ。首だ首だ、出てけ!!」

 部屋に帰ると高級マンションのだだっ広い空間が寂しさを増幅させた。棚に飾られた無数のトロフィー。首を吊った金の置物は全部、自分の為に作られた賞だった。

 クローゼットからネクタイを取り出して、しげしげと眺めた。首締め自殺なんて最初の一回きり。あんな地味で面白みの無い自殺はプロのステージではやらない…。

「グギギ、ギィィィ、エヘェエ」


 次の瞬間にまた目覚めた。いつもの天井。

「やっぱり…俺は死ねないのか……え!?」

 カリカリカリ、網戸をひっかく音が聞こえた。

「九太郎!!」

 九太郎が帰ってきた。泥まみれ傷まみれだ。九太郎を抱きながら八谷は思った。

「二十年下積みを続けてきて、今更失ったからって何だってんだ!!」


 了

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