操艦試験
当小説をご覧いただき、誠にありがとうございます。素人ながらに執筆した作品ではございますが、最後まで御覧いただければ幸いです。
◇アネット・スピアーズ
地元の空軍学校の訓練兵で、十六歳。癖の強い黒髪に、幼くも端正な顔立ちをしており、豊かな表情がなんとも愛らしい。小柄な体躯に、深緑色の詰襟の兵服を纏う。
◇クロム・オルティス
大人びた口調をしており、丸眼鏡を掛けている。
アネットの関係は古い幼馴染で、歳は彼女の一つ上の十七である。
「総員、傾注!」
レイクウッドの工場地帯から少し離れた場所に、ヴァレリアン共和国空軍のエディンバラ基地がある。基地の北には空軍学校の校舎が併設されており、中央には、飛行巡洋艦クラスまでなら離発着が可能な中規模飛行場が広がる。
その一画、訓練用の小型飛行船が泊まる駐機場に、数名の訓練兵が一列に整列する。中にはアネットの姿もあり、その正面には教官達が対峙していた。
先任教官が、声を張る。
「ただいまより、操艦試験を実施する。なお、以前から伝えている通り、本試験で十分な成績を残せなかった者は、退学処分となる! いいか、空軍の航空魔導技師になる最初で最後のチャンスだ! 全員が合格することを願っている」
そう宣すると、教官は一人の訓練兵を呼ぶ。
呼ばれた訓練兵は、緊張の面持ちで恭しく教官に敬礼すると、訓練機に搭乗した。間もなく訓練機はプロペラを回転させ、滑走路から飛び立つ。
そのまま機は高度を上げ、基地上空を反時計回りに一周すると、滑走路に着陸して駐機場に戻ってくる。機のハッチが開き、降りてきた訓練兵に、教官は「合格」を告げる。
そうして一名、また一名と訓練兵の名が呼ばれ、その全員が合格を言い渡されていく。
アネットの顔は、すっかり不安と緊張に染まっていた。
実機を用いた飛行訓練は、もう二十回以上も行ってきた。だが、アネットが離陸できたのはそのうちの半分程度であり、それも何時間も掛けてやっとこさ飛んだものだった。ましてや試験には二十分という、制限時間がある。
アネットにしてみれば、今までで一番良いフライトをしても、及第点を得られるか否かという次第だ。
「次、アネット・スピアーズ訓練兵!」
アネットはぎゅっと唇を噛んだ。それから、一歩前に出て、教官に敬礼。高鳴る鼓動を感じながら、いざ機体へ。
訓練機は、飛行駆逐艦よりも二回りほど小さな箱舟型。武装が一切取り付けられておらず、側部に二基の回転翼と、背部に尾翼を備えている。
船内は鋼鉄の壁と木目調の床の操舵室のみで、機関が動いていないため照明が点灯しておらず、嫌な静寂だった。
アネットは操舵版の前に着き、前方の窓から外にいる教官に双眸を向ける。伝声管が鳴る。
「それではスピアーズ、機関を始動し速やかに離陸せよ。離陸した後は飛行計画に従い、進路三三〇、高度二○○に付けよ」
それ以上の指示は来なかった。
いよいよここから試験が始まる……、ということだ。
アネットは、幾つかの計器類が取り付けられた操舵版を見つめる。そして大きく長く息を吐くと、そっと中央の操舵魔石に右手を添え、呼称する。
「……機関始動!」
全霊を集中させ、操舵魔石に魔力を送る。目を瞑って、集中して。
軍の飛行軍艦、民間の飛行艇問わず、飛行船は魔導機関を原動機として空を飛ぶ。
また、操舵版の操舵魔石から、魔導回路を通じて魔力を送ることによって艦の操縦全般が行われる。人間の体で例えるならば、魔導機関が人間の足であり、魔導回路が神経に相当する。けだし、操舵魔石を操る航空魔導技師は、さながら飛行船の脳である。
故に、魔導技師は飛行船の万事を操ることができる反面、優れた魔導的技量が要求される。
とかく空軍の魔導技師などといったら、その白眉である。
軍艦は、航空駆逐艦ですら全長一○○メートル以上もの大きさがあり、それが飛行戦艦では二○○メートルにも及ぶ。そんな巨体すべての機微を知覚し、挙動し、我が身とする。
アネットは、操舵魔石から機関室へと続く魔導回路を知覚。その回路に魔力を流すイメージをする。そうして少しずつ魔力を流し続ければ、数十秒で機関が始動する――のだが。
――船はいつまでも、動かない。
アネットは、他の生徒を遥かに凌駕する魔力総量を有している。
すなわち、体外に放出できる魔力量が多く、また長時間の魔力放出が可能という利点を有する。この体質は、一聞すると長所に思えるかもしれない。
しかし、魔導回路を介しての操船に寛容なのは、放出する魔力を細かく操作する能力、すなわち魔力操作の技術だ。むしろ、魔力総量が多いと、体から放出される魔力が多くなるので、それをコントロールするのも必然的に難しくなる。然るに、アネットの魔力総量の膨大さは、魔導技師としては短所そのものだった。
現に、アネットが機関を始動するのに手こずっているのは、魔導回路にうまく魔力を向けることができていないせいだ。
離陸して帰ってくるまでの時間を加味すると、少なくとも五分以内には離陸しなければ間に合わない。試験開始から、もう三分余りが経過していた。
――いや、大丈夫だ。私ならやれる。時間を掛けてもいい。
――ゆっくり、ゆっくりと魔力を送るんだ。
冷静さを欠けば、魔力の流れが乱れる。魔力の流れが乱れれば、必然的に操艦も乱れる。そうならぬために、アネットは沈着を保とうとする。
しかし、それでも機関は熱を灯さない。長い操舵室の沈黙と暗闇が、徐々にアネットを焦らせる。
「なんで……動いてよ……」
試験開始から四分を超え、いよいよ離陸のデッドラインが見え始める。
アネットの脳裏を、不合格の未来が掠める。
「どうして! 動いて!」
焦燥がアネットの口唇から零れる。自若を失いかける。
――ダメだ、冷静になれ。
――機関さえ動けば、多少遅れていても、少し速度を出せば制限時間にはギリギリ間に合う!
アネットは操舵魔石に翳した掌を、ぎゅっと握る。大きく三度息衝く。また拳を開いて、手を翳す。
すると、先ほどよりも多くの魔力が安定して、機関室へと流れた。
――いける、いける。
一刻を経て、唐突に機関が唸りを上げる。照明が一斉に点灯。船体が大きく揺れる。アネットは、僅かに笑みを浮かべた。
漸次、船体が前へと滑る。
尾翼を曲げ、船は蛇行しながらも、なんとか滑走路へと向かう。
「機関よし、降着装置よし、滑走路よし、離陸支障なし!」
上ずった声で、規定の台詞を言う。
これまでの飛行訓練のなかでも、一番良い駆け出しであった。あとは、離陸して少し早くフライトを済ませれば、なんとか制限時間内に収めることができるはず。
だが、滑走路へと進入し、回転翼を上向け、機関出力を一気に最大にしたところで、異変が起きる。
突如、船内に巨大な炸裂音が響いた。途端に操舵室が暗転し、機関出力を示す計器が、零に触れる。船はゆっくりと静止。
「なに? なにが起きたの?」
計器を確認し、機関の再始動を試みるが、回路に魔力が全く流れない。
「……試験終了」
試験時間終了を前にして、教官が宣言する。
全く事態が理解できていない、アネット。
――なぜこうなったのか。
離陸をするには、尾翼に加え、回転翼やブレーキの解除などという複数の操作を行う必要がある。斯様な操作には当然魔力を複数の魔導回路に差し向ける必要がある。
その作業にアネットの意識が分散し、機関に送る魔力流量を一定に保つことを失した。
結果、魔導回路に流れる魔力量が規定量を大幅に超えて、魔導回路が損傷したか、機関がオーバーヒートしたのだろう。結論を言ってしまえば、アネットの完全なる技術不足であった。
「スピアーズ、試験は終了だ。速やかに退艦せよ」
アネットは、操艦試験に落ち、その後に訓練学校の退学を言い渡された。
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