戦争忌避者
レイクウッド地区の近傍には、高くなだらかな丘があり、工場街の煙突郡を見下ろす。
その頂上にはモスボール状態の飛行戦艦が一隻鎮座している。
艦名をウォースパイトといい、この丘が地元住民から『戦艦の丘』と呼ばれる由来だ。
ここは、アネットとクロムの憩いの地であり、訓練の無い休日には、ここで日が落ちるまで漫然と過ごす。
「この船は、いつ見ても綺麗だよね」
アネットがウォースパイトの船体に触れて言った。
ウォースパイトは、飛行戦艦にしては、少し独特な外観をしている。
通常の飛行戦艦が箱舟型なのに対し、ウォースパイトの船体には流線形が多く、尖った箇所が少ない。いってみれば、まるで巨大な瓢箪のような造形。
「ウォースパイト級飛行戦艦、一番艦ウォースパイト。全長一九〇メートル、二連装二五糎主砲二基搭載。刃栄戦争の開戦直前に竣工。共和国空軍きっての大出力機関と、数々の最新鋭技術を施した快速飛行戦艦です」
クロムは、人差し指を立て得意げに述べる。
「よくそんなすらすらと性能について言えるね。さすがは士官候補生様様だ」
アネットが、クロムの深い知識に感嘆すると同時に、不思議そうな顔をした。
「でもさ、なんでそんなすごい飛行戦艦が、戦争の真っ只中に、モスボール状態で放置されているの?」
刃栄戦争は、総力戦の様相を呈している。
食料は配給制。魔石は魔導兵器の傾斜生産にあてがわれ、市場には殆ど回ってこない。
多くの飛行商船が、軍用に徴発された。十八歳以上の男子は徴兵され、最低限の訓練を施されて戦線に赴く。
かくも国家の全力を挙げて戦に及んでいる最中に、軍艦たるこの船は、何故ここにふんぞり返っていられるのか。
「それは、この船を動かせる者が誰もいなかったからです」
「え、この船を動かせなかったの……誰も?」
アネットは、可愛く小首を傾げた。
「はい。ウォースパイトは、空力学的に優れた船体構造と大出力機関で、本来両立しえない速力と、機動性をも重視するという、貪欲な設計思想で建造されました。まさに新進気鋭の飛行戦艦。しかしいざ竣工したときに、この快速飛行戦艦には、致命的な欠陥が存在することが判明しました」
悩まし気な顔をする、クロム。
「速力と機動性を重視するあまりに、この飛行戦艦には操舵性が決定的に欠けていたのです」
「えっと、つまり?」
「大出力機関は、その作動に膨大な魔力を要します。並大抵の魔導技師ならば、この船を動かすことすらできないでしょう。さらに、空力学的に優れた船体構造は、機動性に資するものではあるかもしれませんが、同時に船体姿勢の不安定性にもつながります」
クロムは、ウォースパイトの流れるような船体を見上げる。
「だから、空軍のどれほど優れた魔導技師でも、この艦を操舵することは不可能でした。処女航空では、危うく墜落しかけたらしいですよ。まあそのあと、何度か改修が行われたらしいのですが、操舵性の改善は適わず、遂にこの艦は国家予算を圧迫するだけの存在と見なされ、モスボール状態という名の下で、投げ捨てられるに至ったわけです」
ウォースパイトの船体は、新造戦艦であるにも関わらず、錆や欠損が目立っていた。
おそらく劣化防止のための、整備が一切行われていないのだろう。
この戦時下において、こと政府や空軍にとっては、戦えぬ戦艦など養うに値しないのかもしれない。
「なるほど。この船は動かないんじゃなくて、動かせないんだね」
「どちらも実質的には変わらないとは思いますが、まあそういうことです」
アネットは瞑目して、ウォースパイトの船体を撫でる。
そして、クロムの方を振り返り、宣した。
「じゃあ私が、この船を動かすよ」
「……私の話を聞いていましたか?」
心底呆れた様子のクロム。それに対してアネットは、発奮して語る。
「うん。だってさ、この船は古くなったからとか、弱いからっていう理由で放置されたわけじゃないんだよね? 新しくて凄く速いけど、操るのが難しいから捨てられちゃったんだよね? なら、もし私がこの船を動かすことができたのならば、きっと大きな戦力になると思うの」
クロムは、窘める。
「アネット、まだ空軍魔導技師ですらないあなたが、この暴れ馬を操ることなど不可能だ」
「うん。だから、まずは明日の操艦試験に合格する。合格して、空軍の魔導技師になる!」
これで皆の役に立てる。アネットは、そんな淡くて若輩な希望を瞳に輝かす。
「明日の試験で落ちたら、例外なく退学処分なんですってね」
「そうなんだよ。私、操艦の成績あんまりよくないから、不安だなぁ……」
クロムは、アネットから目をそらして答える。
「大丈夫ですよ。あなたは他の訓練兵の何倍も努力をしてきました。努力は結果を裏切らない。だから、きっと受かります」
「あ、嘘ついてる、というよりかは、気を使ってるなぁ~」
アネットは、いじ悪そうに笑う。
「クロムはいつも嘘をつくとき、目をそらすんだよ。わかりやすいよね~」
「そ、そんなことはありません!」
クロムはそう否定しながらも、なお顔を背けていた。
「努力は裏切らない、本当にそうだったらいいなぁ~」
「ええ、そうですね……」
二人は見つめあって、微笑む。
「あ……明日の試験に使う、装具の準備し忘れてた!」
唐突にそう言うなり、アネットは寮に駆ける。
クロムも、慌ててそれを追って丘を下る。その途中で、何と無しに身を翻す。
第七空中艦隊の飛行戦艦の出陣していく姿が、遠い空。またその雄姿とは裏腹に、この丘に断固として鎮座し、動かぬ飛行戦艦が一隻。その様は、まさに戦争忌避者〈ウォースパイト〉の名に相応く思えた。