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しばらく行くと、広い空間に出る。その場所に、机や椅子が無造作に置かれているのが、闇に目を凝らすまでもなく禎理にはすぐに分かった。森に育った身だ。暗闇には、慣れている。……最近は、怖く感じても、いるが。
「牢の見張り人の詰所かな。……誰も居ないが」
そう言いながら、机に転がっていた蝋燭と火打石で六角公が火を作る。闇に目が慣れたのか、六角公の仕草は的確だった。
「無防備だな。敵の武器を転がしておくとは」
床の端に転がっていた長剣を拾い上げ、六角公が笑みを漏らす。これでならず者が来ても何とかなる。六角公のほっとした声が、禎理をもほっとさせた。
「これを持っているといい」
六角公が禎理に冷たいものを渡す。蝋燭立てに乗った太い蝋燭の光で見るまでもなく、渡されたそれが短剣だということは、禎理にはすぐに分かった。自分に、これが使えるだろうか? 自信の無さが、首を擡げてくる。短剣の使い方は父や兄に習ったが、血が足りない上に暗闇にすら恐怖を覚えてしまう今の自分に、短剣をうまく扱うことができるだろうか。
「あとは……、やはり、そのマントは君には長過ぎる」
禎理が短剣に付いて思い悩んでいる間に、六角公が禎理の肩からマントを外す。その六角公の動きが止まったことに気付くのに、禎理は数瞬、掛かった。
「あ……」
六角公が、禎理の左首筋を凝視している。禎理は慌てて、右手で傷を隠した。しかし、その動作が遅すぎたことは、六角公の瞳の動きが痛いほど暗示していた。吸血鬼は人に危害を与える恐ろしい人魔だ。まだ兆候すら無いとはいえ、その吸血鬼になる可能性を、左首筋の傷は語っている。この場で六角公に殺されても、何も言えない。
と。六角公が素早く上衣を脱ぎ、禎理の頭にかぶせる。
「……早く出口を探さなければ」
突然の行為に戸惑う禎理の上から、優しい声が降ってきた。
「あの方なら、何とかしてくれるだろうが……」
六角公の声を聞きながら、六角公の上衣に腕を通す。大きすぎて裾が地面すれすれのところにあったが、温かいので文句は無い。しかし、……六角公の、この行為は。
「私は、君を知っている。森で罠を壊すのを二度見かけたことがある」
一度目は後ろ姿と髪の色だけ。二度目は夕方でシルエットだけ。それでも、あの暗い部屋で禎理を見ただけで、六角公にはすぐに魔物を助けている『仲間』だと気付いたという。
「だから、君を殺すことだけは、したくない」
大急ぎで脱出するから、付いておいで。六角公の力強い言葉に、禎理は胸を撫で下ろし、そしてこくんと頷いた。