3-21
九七一が辿り着いた時には、無傷の禎理の身体は既に微動だにもせず、地面に仰向けに横たわっていた。その横には、風神が呆然と佇んでいる。
九七一の肩に居た模糊が、ポンと飛び出して禎理の胸の上に乗る。それでも動かない禎理に驚いたのか、模糊はもう一度ポンと飛び、禎理の頬をぺろりと舐めた。それでも、禎理は動かない。
「九七一」
風神がつと顔を上げ、九七一を見る。珮理が亡くなった時と同じように、その目には、涙は、無い。だが、風神の心が哀しみと後悔に沈んでいることは、九七一には痛いほど分かった。自分も、辛い。禎理に対して、自分は何もできなかった。
「天空神の雷霆から、僕を庇った」
去ろうとする風神の薄い影が九七一と擦れ違った瞬間、囁き声が九七一の耳を打つ。
「後は、頼んだよ」
その言葉を残し、風神が消えるのと、ほぼ同時に。
「九七一!」
別の甲高い声が、九七一の耳を打った。
「禎理居たか?」
息を弾ませながら問うエクサは、しかし九七一の向こうに禎理の身体を見つけ絶句する。そしてすぐに、エクサは禎理の身体に飛びつき、その上半身を抱き締めた。
虚ろに開いた禎理の口から、赤黒い血が零れ落ちる。
「禎理! すぐ治すから」
「無駄だ」
早速右手に光の玉を作ったエクサを、九七一は言葉だけで止めた。伊達に魔物としての『力』を持っている九七一ではない。禎理の魂が、珮理に導かれて冥界に向かったのを、九七一は心痛と共に感じていた。
「いや」
対して、エクサはまだ諦めてはいない。
「まだ、温かいのに。怪我だって、どこにも……」
そのエクサの横に膝をつくと、エクサが抱く、禎理の首筋に、九七一はそっと自分の手を当てた。そして、口元にも。どちらからも、冷たい感覚しか伝わって来ない。禎理が生きている徴は、九七一の指には感じ取れなかった。だから。もう一度、エクサに向かって首を横に振る。
「いや、禎理が死ぬなんて、そんな、ことは……」
その九七一に、エクサは禎理を抱き締め、もう一度首を横に振った。
エクサの気持ちは、分かる。しかし、禎理の魂は既に冥界の中だ。冥界に入ってしまった魂は、二度と、元の身体には戻らない。戻ってしまったら、『自然の理』を破ってしまうことになる。『自然の理』を破ることは、不幸しか生まない。珮理の件でそれを痛いほど分かっている禎理だから、自分やエクサがどれだけ悲しもうと、自分達の許へ戻って来ることは、無いだろう。九七一はもう一度、エクサに向かって首を横に振った。
「見つかったか?」
禎理を探していたもう一人、須臾の声に、はっと我に帰る。九七一の後ろに現れた須臾も、エクサに抱かれた禎理の血の気の無い顔に絶句した。
「そ、んな……」
へなへなと、須臾がしゃがみ込む。
「でも、誰が……」
須臾の言葉に、九七一は強く首を横に振った。『犯人』を捜してはいけない。捜し、見つけてしまったら、今度は須臾が命を狙われる。それは、……禎理の心を痛めるだけだ。
何時に無く取り乱した須臾を見たエクサが、不意に禎理の亡骸を九七一に預け、立ち上がる。そしてそのまま、エクサは枯れ草だらけの広場の真ん中へ向かい、傍らにあった棒を引っ掴むと地面を掘り始めた。
「何、を」
「知れたこと」
禎理が何処で野垂れ死にしても、エクサが探し出して埋葬する。そう、禎理と約束したんだ。須臾の問いに、エクサは穴を掘り続けながらそう、答えた。
「貸せ」
禎理をそっと、地面に横たえてから、エクサから棒を取り上げる。
「何を」
「お前が掘ってたら、何年掛かるか」
九七一を見上げて怒りを露にするエクサに、九七一は素っ気なくそう、言い放った。
「エクサは、禎理の傍に居てくれ」
そのエクサに、須臾が自分の緋色のマントを脱いで渡す。
「まだ地面は寒いから、これを、着せてやってくれ」
傍らに落ちていた棒を持ってから、須臾は俯いたままエクサにそう、言った。
九七一と須臾で、広場の真ん中に深い穴を掘る。そしてその穴の底に、九七一は須臾のマントを羽織った禎理の亡骸をそっと横たえた。
「禎理」
名残惜しそうに、エクサが禎理の青色の頬を撫でる。おそらく禎理の顔を拭うのに使ったのであろう、そのエクサの、フビニの神官であることを示す灰色の肩掛けは、所々土の茶色と血の赤黒に染まっていた。
と。
不意に、黄色の塊が、禎理を横たえた穴に落ちる。模糊だ。九七一がそう、認識するより先に、土で汚れたエクサの手が、模糊の小さい身体を掴んでいた。
「ダメだよ、模糊」
何時に無く優しい声と共に、エクサが模糊をそっと抱く。
「もう、禎理は、お前を守ってくれる奴は、いないんだ」
模糊に、というより自分自身に言い聞かせるような、エクサの声を、九七一はただ黙って聞いて、いた。




