3-18
まだ夜明け前だからだろうか、天楚の王城は、闇のような静けさに包まれていた。勿論、王が眠る寝室も、薄い闇の中だ。
そっと、辺りを見回す。だが、禎理の目では、どうしても『力有る石』を見つけることができなかった。
このままでは、脱出する前に、眠りの薬草の効果が消えてしまう。口を覆った布の中で、息を吐く。急いでいたので、薬草は十分集めることができなかった。折角頑張って、王城のつるりとした石壁を昇り、ここに忍び込んだのに。このまま、『石』を見つけることができずに、誰かが起き出して来てしまったら、今度こそ禎理は大罪人だ。今は、……それは、困る。
覚悟を決めて、口を覆っていた布を外す。そして禎理は、王が眠るベッドの帳を開き、王の傍らに立つと、王の肩をそっと揺すった。
「……!」
目を開いた無言王、活破七世が、飛び起きるなり傍らの剣を掴む。装飾が施された、それでも古代の魔法金属ポリノミアルが鋭く光る剣の切っ先が自分の方へ向けられても、禎理は身動き一つしなかった。
「お願いがあります、王」
禎理を見詰める王を見詰め返してから、頭を下げる。
「申し訳ありませんが、御前の枕元を、探させて下さい」
禎理を見据えた、王の瞳が、驚いたように動く。それでも、ベッドの端に移動してくれた王に禎理はもう一度頭を下げると、王のふわふわした枕を裏返した。……あった。枕の下、折り曲げられた敷布のその僅かな隙間に、赤黒い『石』を見つけ、ほっと息を吐く。この『力有る石』を回収すれば、王の病は快方に向かうだろう。禎理はそっと『石』を掴むと、王のベッドからするりと降りて立ち去ろうとした。
と。禎理の左腕が、不意に後ろに引かれる。よろめきながら再び目にした王は、禎理ににっこりと微笑みかけると、書かれたチョークの字がまだ新しいスレート板を禎理に示した。
『死ぬな、生きよ』
スレート板に書かれた言葉に、息が詰まる。
次の瞬間、禎理の身体は王の部屋の外に、あった。
夜明け前の天楚市を、歩く。
病が終息に向かっているからだろうか、広場で屋台の準備をしている人々の数は、禎理が罪を着せられて華琿に逃げる前よりも格段に増えている。良かった。禎理はほっと息を吐いた。
天楚の北側に位置する丘の上で体が見つけ、臨時の封印を施していた『石』は、既に回収している。他に、天楚ですべきことは。
まだ開いていない三叉亭の入り口に、ベルトに付けっ放しだったポーチを外して置く。ポーチの中の模糊は、まだ薬草が効いているのか、幸せそうに眠っていた。その模糊の額を、一度だけ撫でてから、あとは振り向かずに立ち去る。これから、『力有る石』を滅するまで、誰にも迷惑を掛けるわけにはいかない。勿論、模糊にも、だ。だから禎理は、模糊を三叉亭に置き去りにすることに決めた。三叉亭なら、常に美味しい物が食べられるし、同じ魔物である六徳が世話をしてくれるだろう。天空神の秘密を知っている模糊だから、六徳経由で魔界の大王数の庇護下に置いて貰った方が、模糊も安全だし、禎理も安心できる。そう考えての、処置。
そう言えば。不意に、赤い髪を思い出す。先日の拒否について、七生に謝っていない。しかし。踵を返しかけた禎理は、少し考えて思い留まった。七生は、禎理ではなく、誰かもっと堅実な人と一緒に居るべきだ。その方が、七生にとっては幸せだと、思う。だから禎理は、七生には会わないことに決めた。
一日掛けて、六角郷に辿り着く。まだ暗い、森の中に佇む六角公の屋敷に、禎理はそっと忍び込んだ。
向かうのは、病で苦しんでいる禎理の名付け子、開理の寝室。六角郷には『力有る石』の気配は無かったし、苦しんでいるのは六角公の屋敷に出入りしている人々だけだったのでもしやと思ったのだが、禎理の予感は悲しいほどに当たっていた。
苦しげに眠る開理のベッド横、ベッドとサイドボードの影に、赤黒い光を見つける。拾い上げた『石』をそっと、首に掛けた巾着袋にしまうと、禎理は開理の額に口付けをし、その場を離れようとした。
と。
「てーり」
幼い声が、禎理の足を留める。
「名付け親のお土産、持って来てくれた?」
そう言えば、開理は禎理に逢う度に、『世界で一つしかないもの』を名付け親としてプレゼントするよう、しつこくせがんでいた。熱があっても、禎理に頼むほど、この子は禎理からのプレゼントを欲しがっている。涙が出そうになり、禎理は慌てて目を擦った。……こんな、自分なのに。
だから。再び目を閉じた開理の傍に、自分の短剣を置く。禎理自身が守ることができなくても、この短剣が、『世界でたった一つしかない』開理の命を救いますように。そんな、願いを込めて。




