3-10
連れて行かれた先は、禎理の見知らぬ場所だった。いや、場所の雰囲気だけなら、知っている。天楚で人を助ける為にならず者達と一戦交える度に、天楚の治安を守る第九平騎士隊に捕まって入れられる牢獄に、この場所は似ていた。違うとすれば。
「共犯者を吐け!」
鋭い鞭の音と、火に焼かれたような痛みが、禎理の背中で響く。
この場所に連れて来られた禎理は、下履き一つの裸にされ、部屋の隅にある柱に腕と身体を括り付けられた。そしていきなりの鞭打ち。しかし何故鞭打たれるのか、禎理にはさっぱり分からない。いや、分かることが、一つだけある。鞭を持つ刑吏の後ろに居るのが、天楚国でも最高レベルの力を持っている貴族、華琿公だということ、が。そんな高位の貴族がこんな所にいる理由が、分からない。
「王を弑逆しようとした不逞の輩だ。遠慮は要らぬ」
自分に言われている、言葉の意味も。
鞭打ちが、何度続けられたのだろうか?
「強情な奴め」
憎々しげな言葉と共に、禎理の頬に、華琿公の唾が飛ぶ。
「しかしこいつがやったことは分かっている」
しばらく放っておけ、その言葉と共に、華琿公が部屋を去る気配を、禎理は遠く感じていた。鞭で叩かれ続けた背中の感覚は、既に、無い。身体を柱に固定されたまま、禎理の意識は急速に遠退いた。
どのくらい、経ったのだろうか。
「……り、禎理!」
聞き知った声に、物憂げに顔を上げる。霞む禎理の視界に入って来たのは、かつて一緒に武術道場で修行した後輩であり、禎理の友人の一人である高位の貴族、六角公須臾の姿、だった。
「なんて、酷いことを」
須臾とは違う、別の大きな手が、禎理を縛られた柱から外してくれる。
「仕方が無いだろう。王を暗殺しようとした疑いが掛けられているのだから」
そしてその後ろから、二人とは違う、老人特有の低い声が聞こえて来た。
禎理を抱き上げた大柄な身体を、そっと見やる。第九平騎士隊の隊長、大円の姿が、禎理の目に映った。
「しかし」
「禎理が王を殺そうとしているのを見た。そう言っているものは何人も居るのだぞ」
「禎理に似た者、でしょう。因帰伯」
須臾と老人の言い争いに、大円が割って入る。
「とにかく、ここにこのままこいつを置いておくわけにはいかないでしょう」
「う、ん」
「そうだな。逃げられても困るし、王城内の牢獄に留め置いて再び王を襲っても困る」
須臾と老人の意見を確かめてから、大円が禎理の身体を肩に担ぐ。大円の肩に揺られるまま、禎理の身体は牢獄を抜け、いつの間にか外に出ていた。
星明かりが、瞳に痛い。夜の寒さも、大円が途中で身体に巻いてくれた布が背中の傷に当たる痛みも、感じない。禎理はただただ呆然と、大円が自分の身体を運ぶに任せていた。
「さて」
不意に、大円が立ち止まる。
「禎理、お前は本当に王を暗殺しようとはしていないんだな」
「勿論」
唐突な大円の質問に、禎理はか細いながらもしっかりとした声で、答えた。昨夜は七生と一緒に居たし、昨日の昼間は九七一達と一緒に居た。それに。庶民寄りの政治をしている天楚王、活破七世のことを、禎理は心から尊敬していた。王自身に助けて貰ったことも、何度かある。そんな王を暗殺しようとする理由が、禎理には無い。第一、王城の警護は厳重を極めている。そんな所に、自分のような者が侵入するのは厳しいだろう。
「それを聞いて安心した」
しかし、因帰伯を始めとした多くの者が、今朝、禎理(に似た者)が眠っている王を弑そうとした現場を見ている。そう、大円は禎理に話した。因帰伯は公正な貴族として知られているから、彼の言葉に嘘は無いだろう。それを知った華琿公が禎理を犯人と決めつけ、自身の指揮する騎士達を使って禎理を捕らえた。今朝の顛末を、禎理はようやく理解した。
「王は、大丈夫なのですか?」
心配になって、尋ねる。
「ああ」
大円の答えは、禎理を安心させるに十分だった。しかしながら。禎理(に似た者)に襲われた後すぐ、王は高熱を発し、今は予断の許さない状態が続いているらしい。
大円の言葉に、胸騒ぎを覚える。しかし今の禎理には、確かめる術は、無い。
華琿公が禎理を犯人と決めつけていることも、気になる。華琿公は、禎理のような低身分の者が活躍することを好んでいないから、これ幸いと禎理を虐めているとみることも、できなくはないが。
「ま、それはともかく、だ」
大円が独り言のようにそう呟くと同時に。
「禎理!」
聞き知った小声が、禎理を慌てさせた。この、声は。
「エクサ!」
友人である破戒神官の名が、禎理の口からか細く出て来る。すぐに、禎理の身体は大円の大柄な肩からエクサの、禎理より華奢な腕の中へと移った。
「大丈夫か、すぐに治してやるからな」
エクサの言葉と、急に発生した背中の痛みがすぐに抜ける感覚に、正直戸惑う。おそらく、六徳又は九七一が、素行には問題が有るが怪我を治す魔法を使うことができるエクサに応援を頼んだに違いない。しかしながら。正直な所、エクサには、この事件に関わって欲しくなかった。
エクサは元々、大陸南方にある神殿国家フビニに暮らす、高位の神官だった。そのままフビニに暮らせば安穏な生活が約束されていたエクサがフビニを追われたのは、エクサが『自然の理』を破る術を行おうとしたから。魔法のみならず錬金術――これも『自然の理』を破るか破らないかのギリギリの行為である――を操るエクサは、実験の失敗から死なせてしまった友人を蘇らせる為の実験を繰り返し、その為にフビニを追われ、つてを頼って天楚に来た。そんなエクサに『力有る石』の話をすれば、エクサが『石』の研究を始め、その結果『石』に取り込まれてしまうことは簡単に予想できる。そんな残酷な運命を、エクサに負わせるわけにはいかない。だから、禎理はそっと、エクサから離れた。
だが。
「逃げるな」
禎理の肩を、いつの間にか現れた九七一が掴む。おそらく、禎理が考えたことを全て考えた上で、九七一はエクサに手助けを頼んだのだろう。星明かりに見える九七一の厳しい顔が、全てを物語っていた。
そして。
「やってくれ」
奇妙な大円の言葉が、闇を震わせる。
次の瞬間、目にした光景に禎理は思わず叫んだ。
「大円!」
九七一の拳が、大円の左頬を思いっきり殴る。よろけた大円に、九七一は更なる拳を浴びせ、大円を地面に打ち据えた。
「九七一!」
何故、こんなことを。大円は禎理を助けてくれたのに。だが、禎理の心に起こった怒りは、大円自身の言葉に掻き消された。
「良いんだ、禎理」
禎理が逃げたのに大円が無傷では、大円が故意に禎理を逃がしたと世間の人は理解する。だがそれでは、大円は王を暗殺しようとした大罪人を逃がした隊長として、これまで培って来た信頼を失うだろう。そして大円のみならず、信頼の喪失は巡り巡って、六角公を継いだばかりの須臾にも疑いが及ぶだろう。須臾は禎理の友人なのだから、逃がすよう大円に指示したと疑われるのは、自明の理。特に須臾は、六角公の地位に就いたばかりである。地位が安定しない今の時期に、友人とはいえ王を暗殺しようとした大罪人を逃がしたという評価が付き纏えば、須臾の今後に傷が付く。そこまで考えた六徳が、大円を容赦無く殴っておくよう、大円と九七一に指示したのだ。
「そ……」
真相に、絶句する。自分は、ここまでして守られる存在では、絶対に無い。なのに……。
「お前が死んだら、七生はどうなるんだ?」
不意に響いた、エクサの言葉が、禎理の心を揺り動かす。それでも、自分は。
「良いことじゃないか」
石畳に伸びたままの大円が、呟くように、言う。
「お前に生きて欲しいって思っている奴は、沢山居るんだぜ」
その大円の言葉も、禎理の心を絶望から救うのに十分では、無かった。
「ま、禎理の意見は聞かないってことで」
不意に、エクサがそう嘯く。
その声と同時に、禎理の身体は九七一の肩へと移された。




