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明日の風に・中世心火編  作者: 風城国子智
第三章 君を聴す風
42/60

3-3

 再び、歩き出す。向かうのは、禎理ていりと同じ『流浪の民』一族が拠点としている官許の歓楽街、一柳ひとつやなぎ町。


 全く人気の無い大通りから横道に入り、一柳町で働く人々が暮らす、少しごたついた一角へ入る。この場所も、普段なら子供達が戯れ、年増のおかみさん達が洗濯や内職をしながら笑いさざめいている場所であるが、今は死の匂いに満ちていた。その通りの真ん中に建つ、大きめの建物の扉を叩く。


「禎理! 遅かったじゃないの!」


 扉を開けていきなり抱きついてきた柔らかい影に、禎理は思わず微笑んだ。


「でも、無事で良かった」


 だがすぐに、七生ななおは禎理から身体を離し、禎理の顔をまじまじと見つめる。


「薬草、買って来たよ」


 その七生に、禎理はもう一度微笑んで、後ろで何も言わず禎理と七生を見詰めていた九七一くないの方を振り返った。


「あ、千早ちはやさん」


 九七一に気付いた七生が、羞恥で顔を真っ赤に染める。その七生に、禎理は九七一から受け取った葛籠を渡した。


 七生は、禎理が所属する冒険者宿『三叉亭』の二階で診療所を開いている優秀な医師弦ゆづるの助手をしている女性である。禎理と同じ『流浪の民』出身で、ずっと森の中に暮らしていた為薬草術に長けている。だから今回も、薬草で病を癒す為に、臨時で病棟になっているこの建物に詰めている。だが。七生の表情から、薬草がほぼ役に立っていないことに禎理は気付いた。


 だからこそ。


「足りなくなったら、また南まで行くから」


 禎理より少しだけ背の高い、七生の肩を、叩く。


「南部は疫病が無かったから、薬は安く買えたし」


「う、うん」


 禎理の言葉に、七生は顔を曇らせ、そしてこくんと頷いた。


 七生の力に、なりたい。心から、そう思う。しかし今の禎理にできることは、少ない。


 と。


「七生! ちょっと来て!」


 この病棟を切り盛りしているおかみさん達の一人が発する声に、我に帰る。


「禎理も、帰ってすぐで悪いけど、お願い」


「はい」


 とにかく、感傷は後だ。禎理は葛籠を抱えた七生の背を見送ると、自身も煎じられた薬草が入った壷を持って、病棟の一室に入った。普段は一柳町の運営会議に使われるその部屋には、今は幾つものベッドが置かれていた。禎理は傍らの小さな机の上に置いてある小皿に壷の中の薬草を注ぐと、ベッドの一つに近付き、苦しそうに息をする子供の背に手を当てて子供を抱き起こした。


「良い子だから、全部飲むんだよ」


 咽せないように、少しずつ、小皿の薬草を子供の口に含ませる。子供が薬を全部飲み切ったことを確認してから、禎理はそっと、子供の身体をベッドに寝かせた。苦しんでいる子供全てに、この動作を繰り返す。病人達の苦しみを悪戯に長引かせているだけなのかもしれない。薬草を飲ませながら、そんな思いが心を過る。今の所、薬草は、熱を少しだけ下げる効果しか無いのだから。だが、何もしないで、人が苦しむのをただ黙って見ていることは、できない。


 そして。呻き声を上げていない子供の、ぐったりと動かない身体を、禎理は唇を噛み締めながらそっと抱き上げた。そのまま、建物に囲まれた中庭へ向かう。中庭にある井戸の水で、禎理はその子供の汚れた顔を拭くと、途中で拾って来た少し汚れた敷布でその熱の無い身体を包んだ。この子は、知っている。この夏に、禎理が歩きながら食べていたパイの半分を盗もうとした子供。「とてもお腹が空いている」という子供の言葉に呆れながら、禎理はこの子を三叉さんさ亭に連れて行き、大きめのパイと、子供ができる小さな仕事を世話した。その子供が、今は。この子だけでは無い。部屋で呻いていた子供も、いや一柳町の子供も老人も大人も全て、禎理は知っている。その人達が、何の罪も無く苦しんでいるのに、禎理には何もできない。禎理の心を空虚が過った。


 人手も、余裕も無いので、正式な葬送の手順は踏めない。遺体の顔を拭い、その身体を布で包み、抱きかかえて墓地へ運ぶだけ。それでもまだ、遺体の顔を拭いて布で包むだけマシだと、禎理は人伝に聞いていた。着の身着のまま、あるいは裸で、路上または無人の部屋に放っておかれる遺体もある。


 おかみさん達の一人に断ってから、遺体を抱き上げて病棟を出る。向かうのは、天楚の北西、市門を出て川沿いに少し歩いた所にある、新しく出来た墓地。疫病で死んだ人の遺体は、新たな疫病の発生を防ぐ為に火葬にする必要がある。天楚国ではそう、定められていた。その為に新しく作られた墓地の入り口では、黒いくたびれた服を着た墓堀人が、新しい穴を掘っていた。


「禎理、久しぶりだな」


 疲れた声でそう、声を掛けて来た墓堀人に、禎理はそっと頷いた。


 墓堀人が掘った、遺体の重なる穴に、運んで来た遺体をそっと横たえる。穴にもう少し遺体が集まってから、穴に火を入れるらしい。


 穴の中に横たわる遺体の列に、昔の光景が重なる。十二の時の春、同じような流行病で、禎理は家族を一度に亡くした。始めは姉、次に父方の叔母とその幼い子供達、そして父も母も母方の大叔母も、元気だった兄も、禎理は自身の手で森に埋めた。あの時も、苦しむ家族に自分は何もできなかった。そして、今も。


「今日はもう、良いか」


 落ちかけた夕日と、市門の方を見やり、墓堀人が呟く。遺体が折り重なる穴に火を付ける墓堀人を、禎理はただ黙って見詰めていた。


 穴から立ち昇る煙が、北から吹く風に乗って天楚市の方へ向かう。焼かれる遺体にかつて宿っていた魂が迷うことなく冥界に落ち着き、またこの世界に戻って来ることができますように。禎理はそう祈らずにはいられなかった。


「長く苦しむ、ってのは、いただけないな」


 不意に、背後で声がする。その時になって初めて、禎理は九七一の存在を再びすっかり忘れていたことに気付いた。


「ごめん」


 思わず、謝りの言葉が口をつく。


「何故、謝る?」


 しかし九七一は、禎理の言葉にきょとんとした表情を、見せた。そして。


「相談、してみるか」


 突然の九七一の言葉に、まじまじと九七一を見詰める。この辛い流行病を終息させる術を、九七一は知っているのだろうか?


「期待はするなよ」


 魔界の副王(けい)の娘の一人であり、魔界の医師でもあるたいならば、解決策が見いだせるかもしれない。九七一は呟くように、そう、言った。


「俺は、体を連れて来る。……だから、約束してくれ」


 そう言ってから、九七一は禎理をじっと見詰める。何時になく真剣な九七一の表情に、禎理は正直緊張した。一体何を、約束させられるのだろうか?


「一人では絶対に無茶な行動をしないでくれ」


 だが。次の九七一の言葉に、拍子抜けする。多少の自覚はあるが、それでも自分は、言われるほど「無茶な」行動はしていないつもりだ。なのに、何故そんな約束を? 確かに、禎理は他人を助ける為に自分の身を危険に晒すことが、ままある。だが、禎理にとって『人助け』とは、衝動のようなもの。助けたい、そう思ってしまうのだ。それを『偽善』だと言われたことも、何度かある。しかし、偽善でも、善は善だ。


 禎理の疑問に気付いたのか、不意に九七一は禎理の両肩を強く掴んだ。


「俺は、お館様に言われたから、此処に居るんじゃない」


 強い言葉が、禎理の耳を叩く。


「俺自身が、お前を失いたくないから、此処に居るんだ」


 九七一の言葉に、正直戸惑う。九七一の言葉は嬉しいが、自分は、そこまで大切にされる存在ではない。『吸血鬼騒動』の頃のことが、脳裏に蘇る。九七一が尊敬していた『珮理はいりさん』を殺したのは、禎理だ。なのに。浮かびそうになった涙を、堪える。とにかく、疫病を終息させることができるのなら、九七一と約束することは簡単だ。禎理は無理矢理心を整理すると、九七一に向かって、ただ静かに、頷いた。

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