3-1
突然、大きく響いた羽音に、はっと顔を上げて立ち止まる。
鳥……ではない。そう、思考するより早く、禎理は目の前に降り立った、背中に翼を持ち、暗い瞳で槍を構えた大柄な人影三体のうちの一体に飛びかかった。怯む人影から槍を奪い取ると同時に、腹に肘を突き当てて気絶させる。奪った槍を禎理が構えるより早く、左右から同時に槍が繰り出された。
「ちっ!」
繰り出された槍は身を斜めに逸らして避けたが、ほぼ同時に禎理の背後に降り立った一体が繰り出してきた斜め後ろからの槍は避けきれない。奪った槍で何とかその攻撃を止めた禎理の身体を、鋭い痛みが走った。
『天の輩』の、味方でさえ殺しかねない、密集した状態での容赦ない槍の攻撃に、舌打ちするより呆れてしまう。しかし四本――遅れて降り立った一体が繰り出した前方からの槍は、奪った槍の柄で何とか怪我無く止めた――の槍に囲まれては、流石の禎理でも身動きが取れない。今は禎理が槍を止めているので膠着状態だが、周りにいる敵の誰かが槍を動かせば、禎理を殺すことは簡単だろう。どうすれば、良い? 禎理は正直途方に暮れた。
だが。
「失せろっ!」
聞き知った声に、顔を上げる。あっという間に、禎理を囲んでいた四体の翼持つ影も、禎理が気絶させた奴も、禎理が持っていた槍さえも、綺麗さっぱり空中に掻き消えて、しまった。
「大丈夫か、禎理?」
消滅の素早さに唖然とする禎理の横に、大柄な黒い影が立つ。禎理の知り合いで、まだ禎理が子供だった頃に天楚市内で起こった『吸血鬼騒動』で知り合った魔界の青年、九七一だ。
「あ、ありがとう」
何とかそれだけ、口に出す。禎理の頭の中を占めていたのは、疑問。……何故、天空神の眷属である『天の輩』が、禎理を襲う? 天空神の命を受け、『この世界』を支配する『自然の理』を破る者達を成敗するのが『天の輩』の職務。だが、禎理は今の所、『自然の理』を脅かすようなことは、何もしてはいない。『自然の理』を保つ手助けなら、した覚えは有るが。痛みと共に過去を思い出し、禎理は思わず下を向いた。
「禎理? 大丈夫か?」
その禎理の耳に、九七一――この地上界で人型を取っているときは本名である『千早』と呼ぶべきか――の慌てたような声が聞こえてくる。
「腕、怪我してるぞ」
あれだけ大変な攻撃で、怪我をしたのは腕だけだったか。上着のポケットから出した黒い布を左腕に巻いてくれる九七一の行動を感じながら、ほっと息を吐く。疲れている所為か、最近、身体の動きが鈍いような気がしていたが、まだまだ、大丈夫だ。禎理はもう一度、ほっと息を吐いた。
と。
「……あ」
地面に落ちている、土とは違う色の粉末に、頭が真っ白になる。慌てて背負っていた葛籠を下ろすと、おそらく背後からの攻撃で傷付いたのであろう、葛籠の側面がぱっくりと割れて、中に入っていた薬草の粉末が零れているのが見えた。
「わわわっ!」
大急ぎで、肩掛け鞄から布を出し、零れた薬草の粉末を拾う。わざわざ南部諸国まで行って購入したもの。多量に買い付けたが、おそらく天楚では幾ら有っても足りないだろう。
零れた薬草の内、土で汚れていないものを集めた布の端をきつく縛り、肩掛け鞄にしまう。側面が割れた葛籠はどうしようか。葛籠が背中にあったからこそ命を落とさずに済んだのは分かっているが、それでも、側面が割れた状態で葛籠の中の薬草全部を持って帰るのは大変過ぎる。全く、『天の輩』も面倒な攻撃をしたものだ。そんなことを考えていると、九七一の黒い手袋をした手がにゅっと葛籠を掴んだ。
「持ってやる」
「あ、ありがとう」
葛籠をがっしりとした両腕で横抱きにした九七一に、頭を下げる。
そういえば、……何故九七一は、突然禎理の前に現れたのだろうか? 人型に変身できる魔界の黒犬であり、魔界の大王数の下で働く九七一は、仕事が休みになる度に禎理の許へ現れては冒険者である禎理の冒険に参加してはいる。今回も、たまたま休暇で来たのだろうか? だが、それにしては九七一の瞳は暗過ぎる。
「お館様に、言われて来た。……『天の輩』から禎理を守るように、って」
禎理の疑問に答えるように、九七一が静かに呟く。九七一の言う『お館様』とは、魔界の大王数のこと。禎理とは、やはり禎理がまだ子供だった頃に天楚市内外で起こった『吸血鬼騒動』で知り合った。数の依頼なら、九七一が此処に居ることに納得できる。そして。
「お館様が言うには、風神が『禎理を守れ』と言ったそうだ」
更なる九七一の言葉に、不意にピントが合う。『天の輩』達が、禎理を襲った理由は、おそらく、今の天空神が偽物だということを禎理が知っているから。五年ほど前、禎理は風神と共に、天楚の地下に『力有る石』と共に封じられていた天空神を、『力有る石』を滅することによって解放した。今の天空神が、風神によって任命された『偽物』だということは、その時に風神から過去の事情と共に聞かされていた。禎理が『秘密』を知っていることを知った今の天空神が、禎理を抹殺しようと『天の輩』達を派遣したのだろう。暗澹とした思いが、禎理を襲う。面倒な事柄は、一つだけで十分なのに。
「九七一は、知ってるの? 風神が俺を守れと言った理由」
はっと気が付き、九七一に尋ねる。
「いいや。お館様の命令だけで、十分だ」
だが、九七一の答えに、禎理はほっと胸を撫で下ろした。魔界の大王であり、この世界の神々の一柱でもあるのだから、おそらく数は、禎理が『天の輩』に狙われる理由を知っている。それを九七一に話さなかったのは、賢明だ。もし話してしまったら、九七一もあの『天の輩』達に襲われてしまう。それは、嫌だ。
「とにかく、禎理を一人にするなと、お館様には言われている」
『天の輩』は、関係の無い者に姿を晒すことは無い。九七一は魔界で何度か彼らを見ているから禎理を襲う抑止力にはならないと思われるが、それでも、居ないよりマシだろう。だから当分、四六時中禎理について回るが、良いか? 一気に捲し立てる九七一の言葉に、禎理は首を縦に振った。今は、……殺されるわけにはいかない。
そっと、腰のベルトに配したポーチに触れる。ポーチの中で惰眠を貪っているのは、禎理の相棒、魔物であるキイロダルマウサギの模糊。模糊も、あの冒険で封印された天空神を見ているから、模糊のことも、しっかり守らなければ。禎理は固く、心に誓った。
そして。ふと、自分に似たもう一人を思い出す。風神は、どうしているのだろうか? 数に禎理の事を頼んだことは九七一の言葉から分かったが、頼んだ後、何をしているのだろうか? この世界に『居ない』とされている神だから、だからこそ、少しの胸騒ぎが、気になる。禎理が言うのもどうかと思うが、風神も、結構無茶をする。同じ気持ちを持っているから、分かるのだ。
だが。西に傾く日を目にして、禎理はこれまで考えていた事を振り切った。今は、やるべき事がある。禎理は九七一に頷くと、禎理が暮らしている天楚市に向けて再び歩き始めた。




