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傷一つない階段を、辺りを見回しながら降りる。
禎理がいた部屋は三階にあり、階段はそこで途切れていたから、この家は三階建て。壁も天井もまだ汚れていないから、最近新しくした建物なのだろう。家の感じが細長い気がするのは、都市特有の切妻造りだからだろう。
二階は寝室らしく、見るものも食べられそうなものもなかったので、一階に下りる。台所は奥の方だろう。そう見当を付けて一歩踏み出した禎理の耳に、人の声が二人分入ってきた。数の声でも、珮理の声でもない。あの二人の他に、誰か居るのだろうか? 禎理の足は自然と、声のする地下の方へと向いていた。
と、その時。
「誰っ!」
鋭い声と共に、禎理の首筋がひやりとなる。おそるおそる下を向くと、ナイフの鋭い光が、禎理の首筋ギリギリのところにあった。
「誰っ!」
もう一度、鋭い声が辺りに響く。禎理の目の前には、青銀色の髪を一分の隙もなく揃えたおかっぱにした、鋭い瞳の女性が立って、いた。
「あ、その……」
突きつけられたナイフよりも鋭いその瞳に圧倒されて、声が出ない。禎理は思わず目を瞑った。
と。
「ダメだよ、百七」
もう一つの声が、穏やかに響く。
「その人は珮理様の客人だぞ」
その声と共に、ナイフの鋭さが消えたのが、気配で分かった。
そろそろと、目を開ける。禎理の目の前には、鋭い瞳の女性とは別の、黒髪黒服の背の高い青年が立っていた。
「やあ。初めまして……でいいのかな。森からここまで君を運んだのは俺だけど」
青年は親しげに禎理に向かって右手を差し出すと、禎理が手を出すより早く禎理の手を握った。
「五日も寝てたから、もう生きてないのかと思ってた」
あっけからんとした青年の言動に、しばし言葉を忘れる。五日? 五日も、眠っていたのか? その驚きだけが、禎理の脳裏を通り過ぎた。
「俺の名は九七一。そっちの冷たそうなのが百七」
そんな禎理の戸惑いには全く構わず、青年は右手で禎理と握手をしたまま、左手で地下室へと去っていく青銀色の髪を指差し、それぞれの名を告げた。
「971? 107?」
『この世界』では、数字の入った名前は普通に付けられているが、数字だけの名前は珍しい。禎理は目を丸くした。
「エミリプ隊での名前だよ。本名は別にある」
禎理の当惑を見抜いたのか、九七一と名乗った青年は簡単に説明を入れた。エミリプとは、魔界に棲む魔物の中から選ばれ、魔王の警護や命を受けての探索にあたるいわゆる『代理人』の事、らしい。彼らは大抵番号で呼ばれ、二人一組で行動しているそうだ。
「と、いうことは、魔物なの?」
「そうさ。百七は剣の魔物で、俺は黒犬の魔物」
九七一は至極当然といった顔でそう言うと、ぱちんと指を鳴らした。次の瞬間、九七一の姿が消える。その代わりに。
「えっ!」
禎理の目の前には垂れ耳の大きな黒犬が立っていた。黒犬は尻尾を愛想良く振ると、一瞬にして元の背の高い人の形に戻る。
「ね」
笑う九七一に、禎理はこくんと頷くしかなかった。
「そんなペラペラと喋ってると、お館様に怒られるわよ」
地下室から、百七の高い声が鋭く響く。その声に向かって、九七一はぺろりと舌を出した。
「百七だって、珮理様の客人にナイフ突き付けたことがばれたら……」
「どっちもどっちだ」
不意に、威厳のある声が割って入る。この、声は。
「あ……」
開いた九七一の口が一瞬更に大きく開かれ、そしてすぐに閉じた。