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冷たい土の感触に、全身が震える。それでも、禎理はそっと、地面に開いた細長い穴に、手にした湿った土を置き続けた。この浅い穴を掘ったのも、禎理自身。そして、穴の底に横たわっているのは。
そっと、穴の中を覗き込む。穴の底に横たわった兄の大柄な身体は、既に殆ど土で覆われていた。その兄の、まだ土で覆われていない顔に、そっと自分の顔を近づける。紫色に変色したその薄い唇からは、何も聞こえては来なかった。……息は、無い。更に確かめるように、土で汚れた自分の太い指を、兄の太い首に這わせる。冷たさの他には、何も感じなかった。……脈も、無い。
ぽろぽろと、涙が零れ落ちる。さっきまでは確かに、家族の墓の前で泣き続ける禎理の横に居て、「泣くな」と叱るように言ってくれた兄なのに。禎理を抱き締めるや否や崩れ落ちて、気が付いたら息をしていなかった。
その兄の、眠っているような静かな顔に、土をかけるのを躊躇う。生き返るかも、しれない。いや、死んでしまった者は、生き返らない。……ともかく、このまま埋葬しないわけには、いかない。禎理はぎゅっと目を瞑ると、ありったけの土を両手に抱え、兄の墓へ放り投げるように、注ぎ込んだ。
はっとして、目覚める。夜の帳の中、見渡さなくとも、自分の下宿の箱ベッドの中に居ることは、分かっていた。
横になったまま、そっと、両手を両目の上に持ってくる。星明かりで見る自分の手には勿論、土塊など付いてはいない。毎晩寝る前に洗っているのだから、当たり前だ。だが、夢の中での土塊の、湿った冷たい感覚が、両手にリアルに残っている。禎理は思わず目を瞑った。そして。脳裏に残っているのは、一つの疑問。兄を埋葬する為に土塊を抱えた禎理の両手は、確かに、土の色より暗い色に染まっていた。あの赤黒い色は、……兄の血、なのだろうか?
兄はどうして亡くなったのだろうか? うーんと唸りながら、頭を抱える。父が亡くなった時に、兄が埋葬を手伝ってくれたのは、覚えている。その時は、兄はぴんぴんしていた、筈だ。なのに、何故?
家族が亡くなった時の状況を、実は曖昧にしか覚えていない。子供の頃の生活についても、記憶は怪しい。苦しく辛い思いをしたのだから、当然だ。そう片付けるのは、容易い。しかし、片付けられずにいる何かが、禎理を捉えて放さない。
と。扉の開く音に、はっと上半身を起こす。箱ベッドの扉を、人差し指で音を出さないように開け、外を見ると、赤い髪を持つ細い影が揺れていた。
「七生?」
首を傾げつつ、箱ベッドの扉を広く開ける。こんな夜中に、何の用だろうか。禎理がそう、尋ねるよりも早く。
「九朗」
箱ベッドが、揺れる。気が付くと、禎理の身体は七生の両腕の中に、あった。
「九朗」
泣いている、七生の声が、耳を打つ。禎理の身体を強く抱き締める七生に、禎理は何もできなかった。
七生が、誰を思って泣いているのか、禎理は知っていた。七生も、禎理と同じ『流浪の民』出身。禎理と同じように、『蛇神の森』――但し、森の奥で暮らしていた禎理と違い、七生の生活場所は人里に近かった――で、家族と共に暮らしていた。そして、ある年の夏、禎理と同じように、家族全員を流行病で亡くした。
『九朗』とは、七生と一番仲の良かった、すぐ下の弟の名。普通の姉弟以上に、七生は九朗を愛していた。禎理と七生が姉弟のような関係でいるのも、禎理の面影が九朗に似ているから。そのくらい、七生は九朗を想っていた。その九朗の、夢を見たのだ。自分が兄の夢を見たように。七生の言動から、そう察する。七生の哀しみが分かるから、禎理は七生が泣き止むまで、そっと七生の赤く細い髪を撫で続けた。
「……ごめん、禎理」
そう言って、七生が禎理の身体を離したのは、随分経ってから。禎理の思った通り、七生は九朗を埋葬する夢を見て、混乱して禎理の所へ来たようだ。
「今朝、禎理が一霜草の花束を持って来てくれたから、思い出したのかな?」
九朗も、時々薬草の花束を作っては、ぶっきらぼうな態度で七生に差し出していた。少し微笑みながら、七生は禎理にそう告げた。
「それは」
七生に悪い事をした。悔悟の念が、胸に広がる。だが。
「謝る必要無いわ」
不意に、七生は再び禎理をぎゅっと抱き締めた。
「私は、嬉しかったし、嬉しいの。……九朗が、夢に出て来てくれて」
そういう、ものなのだろうか。
「九朗を埋める前に、九朗の唇に口付けした夢だったから、尚更、かな?」
囁くような七生の告白を、禎理はただ静かに、聞いていた。




