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明日の風に・中世心火編  作者: 風城国子智
第二章 虚の見る夢
21/60

2-1

 目を開けると、騒めく木々の向こうに澄明な空が見えた。


〈ああ……〉


 背中が感じるじっとりとした冷たさと、目の前に掲げた両手にこびりついた黒土の塊が、禎理ていりが今何処に居るか教えてくれる。


 ゆっくりと、視線を横に向ける。視界に入って来たのは、濡れた土でできた、小さな山々。最初は、姉。そして小さな従弟妹達。母、叔母、大叔母、そして父や兄までも、不意に襲って来た流行病に斃れてしまった。これまでずっと楽しく穏やかに暮らして来たこの地に、禎理は家族全てをその小さな手で埋葬した。


 春なのに冷たい風の痛さと、拒む大地の冷酷さを背中全体に感じながら、もう一度、目を閉じる。


 このまま、自分も。……消えてしまえば、どんなに楽だろうか?




 はたと、目覚める。少しだけ明るい、普段通りの天井が、禎理を出迎えた。此処は。少しだけ、混乱する。此処は、自分の下宿の、箱ベッドの中、だ。……森ではなく。


 夢を、見ていたのだ。ようやく理解する。でも。……一族全てを亡くした時の夢は、かなりの頻度で、見る。だが、今朝の夢は、風の感覚も土の感覚も、現実味を帯びていた。こんな夢は、……嫌だ。「消えてしまいたい」。そう思ってしまった、自分も。


 毛布を撥ね除け、起き上がる。横木に掛けた服を着、革鎧を装備する。箱ベッドから抜け出し、汲み置きの水で顔を洗い、灰茶色の髪を手櫛で整え、腰のベルトに短剣と手斧、そして食事時以外は常に惰眠を貪っている掌サイズの魔物、キイロダルマウサギ族の子供である模糊もこを入れたポーチを配し、そして椅子に無造作に掛けてあった肩掛け鞄と厚手のマントを肩に掛けてから、禎理は静かに下宿を出た。


 向かうのは、森。禎理が十二の頃まで暮らし、親しい者を全て葬った、場所。




「……忘れてた、わけじゃないんだ」


 森の奥に小さく広がる、不思議と木が生えない広場に、佇む。此処が、禎理が家族と共に楽しく暮らしていた、思い出の場所。禎理が必死の想いで作った土の山は既に無く、枯れ草と枯れ葉が、荒涼とした音を立てていた。


 人が棲んでいた形跡は、既に跡形もなく消え去っている。だが、心の中の感情は、消えない。消える訳が無い。ただ、思い出すのが辛いだけ。


 禎理はただ首を垂れ、祈ることしかできなかった。




 禎理が現在暮らしている大都市天楚てんその、大河四路しろを挟んで西側に広がる広大な『蛇神の森』に、禎理は家族と共に暮らしていた。


 禎理の出身は、『流浪の民』。大陸を放浪する定めを持ち、鍛冶や芸能、巫覡などを生業として生きている一族である。禎理の父と母は、その『流浪の民』の内部にある些細な掟を破ったという理由で、人が好んで立ち入らない『蛇神の森』の奥深くに逃れ、そこで禎理達を生み育てた。たまに父や大叔母に連れられて、天楚市やその周辺にある村々に行き、森で捕獲した獣の毛皮や蔓又は木皮で編んだ籠などを行商したり、祝祭の手伝いで音楽を披露したりしたことはあるが、その時以外はずっと、もう少しで十三になる頃まで、禎理はずっと森の中で、温かい家族と共に暮らしていた。


 しかし幸せは、流行病に消えた。春先に襲って来た病は、まず禎理のすぐ上の姉――『風神の花嫁』として捨てられていたところを母が拾って育てていた――を散々に苦しめた上、殺した。次に襲われたのは、まだ頑是無い従弟妹達。彼らを看病していた叔母――父の妹――も、姉と同じように苦しみながら世を去り、彼女を埋葬する前に父と母と、禎理に文字を教えてくれた母方の大叔母が斃れた。そして最後に、もうすぐ結婚する筈だった頑丈な兄が。


 どうして自分だけ、生き残ってしまったのだろうか? 晩秋の色に染まった森の中を歩きながら、何度目かの問いが胸を去来する。自分は確かに、古代の魔法文字である『嶺家れいか文字』の読み書きができるし、作曲も歌唱も得意だ。でも、博識に関しては大叔母には敵わなかったし、歌に関しても父の方が上手だった。石投げと料理に長けた母や、籠編みも武術も何でも上手な兄、包容力のあった姉に比べると、自分はどうしても小さく見えてしまう。自分ではなく、兄や姉が生き残っていた方が良かったのではないか? その想いが、禎理を苛む。


 だが。瞳を上げた先に、緑の物を見つけ、ふと微笑む。霜が降りる頃に花を咲かせる薬草『一霜草』が一叢、冷たい風に頼りなげに揺れていた。傷に効くこの薬草を、冒険者宿の二階にある診療所で助手をしている七生ななおに渡したら、きっと喜ぶ。禎理はふっと腰を屈めると、小さな緑の茎をそっと摘んだ。




 少なくとも。ふと、思い直す。少なくとも一人には、自分は役に立っているのかもしれない。それで、許してくれるかな? 再び立ち上がり、懐かしい広場を見回し、禎理は再び、祈った。

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