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三階の部屋では、珮理がベッドの上に上半身を起こして待っていた。
「やっと、捕まえたのね」
万感の想いで呟く珮理に、禎理は思わず目を伏せた。
その珮理の前で、ずっと握っていた左手を開く。痺れていた左掌にあったのは、血の色と同じ光を放つ、しかし普通の宝石と何ら変わらないように見える『石』。その石だけ見ていると、これがこれまでの吸血鬼騒動の原因だという実感は全く湧かなかった。
「……さて」
禎理の背後からその石を見やった数が、深い溜息をつく。
「本当に、やるのか……?」
心底嫌そうな数の言葉に、風神がこくんと頷いた。
「本当、に?」
もう一度、数が風神に尋ねる。その問いに、もう一度こくんと頷いた風神の顔も、歪んでいた。
風神を禎理に憑依させ、珮理の身体にある『場』を用いて『吸血石』を滅する。これだけで数と珮理の目的は全て完了する。しかし、それを行うと、珮理の肉体ばかりでなく魂までもが滅びてしまう。それは、ここにいる皆が知っていること。そして、ここにいる皆が、望んでいないこと。皆の気持ちが分かっているから、誰からも言葉が出ない。
「……もう、なんで男ってこう、意気地無しばかりなの!」
その沈黙を破ったのは、珮理だった。
「吸血石を滅するのが、あなた達の目標だったんでしょ!」
鋭い声と、同じ鋭さの視線が、禎理を圧倒する。珮理の声は高圧的で、なのに悲しみが迸っていた。
「このまま放っておいて『吸血石』の犠牲者を増やすつもり? そんなの、私は嫌よ!」
「で、でも……」
顔を伏せたまま、珮理を見る。禎理の視線に気付いた珮理の、涙の無い瞳がきらりと光った。
「お願い、禎理。……私は、あなたを殺したくない」
淡い口づけの感触と、噛まれた傷の疼きが、禎理の心を揺り動かす。自分と同じ想いを、珮理も持っている。だからこそ、……珮理の苦しみが、禎理には痛いほど、分かった。珮理が苦しまないように、自分か苦しもう。そう思い、禎理は顔を上げて風神に言った。
「……やろう、風神」
禎理の声に、風神が一瞬だけはっとした表情を見せる。しかしすぐに、風神はすまなそうに笑った。
「ありがとう、禎理」
「お、おい……」
数の戸惑いが、禎理の耳に響く。しかしすぐに、数は何も言わずに珮理を抱き上げ、禎理と風神の目の前に連れて来た。
数と珮理に頷いてから、風神が禎理の手を取る。途端に、風神の姿は禎理の前から掻き消えた。と同時に、禎理は自分の意識の座の半分が風神に支配されたのを感じた。
〈これが、憑依……?〉
自分の意思に関係なく、自分の身体が、珮理の胸に光る吸血石の欠片を掴むのを、禎理は戸惑いと不思議さと共に感じていた。
右手に持った珮理の吸血石と、左手に持った吸血鬼の吸血石を、風神が禎理の手の中で一つに合わせる。一つになった石を珮理の胸にかざすと、風神の記憶の中で見たものと同じ文様が、珮理の胸に現れた。『場』だ。これから、珮理をあの『痛み』が襲うのだ。悪寒と共に、禎理は意識の座から滑り降りた。自分の身体が珮理を殺す瞬間など、見たくはない。だが。闇の中に消えようとしていた禎理の意識はすぐに、強い力で無理矢理光の方へと引っ張り出された。
〈嫌……〉
闇の方へ戻ろうと、必死にあがく。その時。
「……逃げないで。しっかり見て」
突然、誰かの囁き声が禎理の耳に、響いた。この声は、聞いたことがある。夢の中で泣いていた子供の声だ。闇の中、灰茶色の髪をした子供の姿がはっきりと見えた。
「明日を生きる者として」
その声に、禎理の意識は何故か抵抗するのを止めてしまう。そしてそのまま、禎理の意識は光と闇の間に留まった。その禎理の目の前で、禎理に憑依した風神がその手に持った『吸血石』を珮理の胸元にかざす。次の瞬間、石と珮理の身体が血のように赤い光に包まれた。その光の中で、目を閉じた珮理が満足そうに微笑っている。光は一瞬だけ強く光るとその後は徐々にその色を薄めていく。と同時に珮理の姿もゆっくりと掻き消えて、いった。
「珮理さん!」
光が全て消えた瞬間、禎理の周りは一瞬にして暗転した。




