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気が付くと、禎理は荒野の真ん中に立っていた。
禎理の目の前には、首の無い、醜悪な感じのする爬虫類系の生き物が横たわっている。首があったと見える、刃物でばっさりと切られた切り口からはまだ血が流れ出していた。
〈これは、『僕』の記憶〉
風神の声が、禎理の頭の中から聞こえる。
〈二百年程前。僕が『風理』という『担い手』だった時の記憶〉
これから時系列的に、風神の記憶を体験してもらう。風神の声が静かに響く。風神の意志で動いているのか、それとも自分の意志で動いているのか全く分からないまま、禎理はそろそろと、目の前で血を流し続けている首の切り口に近づいた。正確には、切り口に微かに見える黒い光に向かって、だ。
血の色よりも遙かに暗い、そして禍々しい光を放っているそれに、手を掛ける。体力が無いからか、かなり時間を掛けて引っ張り出したそれは一抱えもある大きな、黒地に金色の粒が散っている石だった。
〈『黒の石』。……魔力発生の源さ〉
風神の声が静かに響く。と、すると、これは『魔法革命』の時の記憶なのか? 母から聞いた昔話を思い出しながら、禎理はその『黒の石』と呼ばれるものを静かに抱き締めた。途端、石が光りだす。次の瞬間。禎理は身体中に名状し難い痛みを感じた。身体が、いや魂までもが千々に砕け散ってしまうような、そんな痛みだった。
「や、やぁーっ……!」
思わず叫ぶ。だが禎理の身体は『石』を抱いたまま放さない。痛みの中、思い出したのは、母の話す物語。『風理』と言う名の『担い手』が、自分の命と引き換えに『黒の石』を封じ、世界を破滅から救ったという、伝説。
物語は、あくまで物語だと思っていた。薄れゆく意識の中、禎理を包み込んでいたのは、満足感、だった。
再び、景色が変わる。自分が空を飛んでいることに、禎理ははたと気付いた。禎理の目の前、少し下の方には、見たことの無い森が広がっている。『蛇神の森』と違い、木の一本一本が鋭い。
〈天楚市の更に北、直和地方の森さ〉
再び、頭の中で風神の声がする。
〈ちょっと、腕を見て〉
風神の声に誘われ、禎理は飛びながら自身の腕を目の前へ持って来た。そして瞠目する。風神の記憶を体験しているのだから、風神の神としての格好――薄い貫頭衣を腰の帯で止めただけの姿――をしているのは当然だ。だが、驚いたのはその点ではない。風神の腕が、肘から先で消えていたのだ。
〈な、何なの?〉
よく見ると、足も膝から下が無い。戸惑う禎理の頭の中で風神が笑った。
〈大丈夫だよ。この時はちょっと力が足りなくてね、身体を完璧に保てなかったんだ〉
そして突然真顔になる。
〈『黒の石』を、滅した為に、ね〉
〈どういうこと?〉
その変化に戸惑いながら、質問する。禎理の質問に風神が答える前に、突然、男女の争う声が聞こえてきた。
「渡しなさい!」
「渡すわけにはいかない」
男の声はその落ち着き具合からかなり年をとっているようだが、女の声はまだ少女だ。何を争っているのだろう? 禎理は声のした方へ向かって行った。
「運命の糸は既に切れているのよ!」
「それでも、駄目だ」
近づくにつれ、言い争っている男女がはっきりと見えた。男は黒い服に白のネッカチーフを身に付け、女は紡錘竿を握っている。黒服の男の素性は、すぐに分かる。魔王数だ。女の子の方も、持ち物から禎理にはすぐに誰だか分かった。紡錘竿から運命の糸を引き出し、この世界の全ての生命の運命を司る神、運命神プロバビルだ。更に近づくと、男がぐったりとした女の人を抱いているのが見えた。
〈珮理だよ〉
風神の声がそう言う。
禎理はすっと加速をつけると、言い争っている二人の間に割って入った。
「あ、風神!」
地面に足を着けるや否や、運命神が飛びかからんばかりの勢いで近づいてくる。
「あなた、数に何てこと言ったのよ!」
禎理の襟首を掴み、運命神は乱暴にその身体を揺すった。
「珮理を生かすために吸血石を使っても良いだなんて!」
そっと数のほうを見る。数の腕に抱かれた珮理の胸には確かに、赤い石が光っていた。
「言っとくけど、一番力のある神様だからって、そんなこと言う権利なんて無いんだからね!」
運命神は今度は拳で禎理の胸を叩きだした。
「やめろ、プロウ」
数の静かな声が聞こえたが、運命神は止めようとしない。それどころか更に強く禎理の胸を叩く。心に響くその痛みに、禎理はしばらく黙って耐えて、いた。そして。
「……プロウ」
不意に禎理は運命神の腕を掴んだ。そしてそのまま数の前まで引っ張って行く。
「見てて」
しゃくりあげている運命神にそれだけ言うと、禎理は珮理の胸に右手をかざした。禎理の右手がぽうっと光る。と思う間に珮理の胸に複雑な紋様が浮かび上がった。
「これは……!」
運命神の真っ赤な目が驚きに見開かれた。
「吸血石の『場』だ」
〈……『場』?〉
聞いた事の無い言葉に禎理は思わず首を傾げた。
〈……『石』を滅するのに必要な物を知っているかい?〉
その頭の中で風神の声がそう聞き返してくる。
〈ううん〉
昔、母から聞いた『担い手』の話の中には、そんなものは全く出てこなかった。
〈『担い手』と『石』と、その石に合った『場』さ〉
戸惑う禎理の心に風神の声が響く。
〈えっ?〉
その言葉に、禎理は不意に理解した。と、すると、珮理が生きている『理由』とは……!
〈そう〉
禎理の考えを読んで風神が頷く。
〈『場』の、為なんだ〉
全ての原因は、吸血石を消滅させ、その『力』を『世界』に還元する為に必要な『場』が珮理の肉体に刻まれていることにあった。魂は輪廻転生を繰り返すが、肉体は同じ物を作り出すことが事実上不可能である。しかも、珮理の身体に有るこの『場』は、珮理の魂によって活性化されているので、下手に運命神に魂を渡してしまうとこの『場』は失われ、吸血石は永久に滅することができなくなってしまう。
〈だから僕は数に珮理を守り、生かすように言った〉
淡々と告げる風神の声は本当に平静だった。
〈どんな手段を用いても良いから、と、ね〉
風神の言葉に従い、数は吸血石を使って珮理を生かした。そして珮理は吸血鬼となった。
「……分かったわよ」
諦めた声で運命神はそう言うと、風神の手を振り切って空へと飛び上がった。
「でも、忘れないで!」
上空から叫び声が聞こえる。
「一番辛いのは珮理なんだからね!」
〈……そう、こうする事で一番辛かったのは珮理なんだ〉
風神の声が頭の中で響いた。
〈辛い思いをするのも〉
〈え?〉
風神の最後の言葉に引っかかりを感じ、思わず、聞き返す。
〈風理が、何故『黒の石』を抱き締めたか〉
その風神の答えは、あくまで淡々としていた。
〈『場』、だったからだよ。風理自身が、『黒の石』の〉
その理由の為に、風理は命を賭して『黒の石』を滅した。と、すると。
〈ちょっと待って!〉
ある推測に、思わず、叫ぶ。叫びながら、禎理の意識は闇の中へと落ちて行った。




