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「駄目なんて言うな……」


 ミーナも自身の最期が近い事を悟っているのだろうと分かっていて、それでもティートは言った。


「また、元気になるさ。今はちょっと調子が悪いから気も弱ってんだろう」


 天使であるティートは、最期を迎えた魂が天に登っていく美しい光景も、天界で輪廻を待つ穏やかな佇まいも、新たに生まれいく力強い光も知っている。彼にとって死とは節理や理といった当然のものであり重く苦しいものではなかった筈なのに、ただ目の前の妹が儚くなることが辛い。


「うん、元気になりたい。私が死んだら浄化が……」

「そうじゃない。浄化はどうでもい――って言うと語弊があるか。お前の浄化の力は子どもにも孫にも受け継がれている。そもそも、瘴気だって残りわずかだ」

「え……子供たちにも?」

「そう、孫たちにも」


 瘴気の浄化が済んでいないまま死ぬことが、よほど心残りだったのだろう。

 ミーナは自分の血を分けた者たちにその力があることを知って安堵のため息を漏らした。


「良かった……。あ、でも、いいのかな。この世界に無い力を持った人間が増えてしまっても」

「問題ないさ。そもそも瘴気が持ち込まれるなんてことが想定外で、瘴気が無ければその力も無用の長物だし、そもそも神様もそれを人に告げてない。その力を持っている本人だって知らない事だ」

「うん、そうだね。私も、浄化している実感なんてまるでなかった」


 ティートの言葉はミーナへの慰めではなく真実だ。


 神も予想外であったことであるが、彼女の血を引く者たちには彼女と同じ浄化の力が備わっている。ミーナが初めて産んだ娘が、赤子の頃から瘴気を吸収している事を知ったティートは赤子の無事を心配してすぐに神に報告し、神による精査で子にミーナと同じ能力があるゆえに当人に影響なく浄化が出来ることを確認し、安堵したものだ。

 それは初めての子だけでなく全ての子に備わった力で、更に孫にも受け継がれていた。

 浄化の力を持った人間が増えたことで、ミーナ一人では到底成し得ない速度で浄化は進み、残りはあとわずか。それすらも、子等孫等がいることで終わりが近い。


「兄さん」


 後顧の憂いが無くなったからだろうか、ミーナの体から急速に力が抜けていく。

 この世界の為に長生きしなくてはという気持ちは、彼女の生にしがみつく力になっていたのだ。


「何だ?」


 有無を言わせずにつれてこられたことに恨み言を言う訳でもなく、血の気を失った頬に笑みを浮かべているミーナの髪をティートはそっと撫でた。

 幼い頃から数え切れないほどに撫でてきた。それも、あと何度出来るのか。これが最後か。


「また、会える?」

「ミーナが望むなら。お前が俺を忘れても、俺は決して忘れない。幾度輪廻を繰り返してもお前を見まごうことは決してない。ずっと見守る」


 ミーナの魂は元いた場所の輪廻から逸脱して、この世界に根付いた。ここで死を迎え、魂は天に昇り、そしてまたこの地に廻る。廻った魂に記憶が残らなくても、ミーナが望むならまた会おうとティートは言う。


「ありがとう……。兄さんの妹になれて良かった。私、この世界で幸せだったよ。兄さんがずっと守ってくれたから。兄さんが愛してくれたから。夫に出会えて、子どもたちに恵まれて、可愛い孫たちもいて――4才で終わりになる筈だった私に幸せな一生をくれてありがとう」


「……ミーナ?」


 感謝の言葉を述べて、そのまま目を瞑ってしまったミーナから生者の気配が失われて行く。ティートは再度ミーナの髪を撫で、最期の別れを自分が一人占めすべきではないと判断して部屋を出た。

 ミーナの子どもたちが部屋に入っていくその背を眺めてティートは大きく息をつく。


「礼を言うのはこっちだ、ミーナ。俺の妹になってくれて、一緒に暮らせて、本当に幸せだった」


 そう独白する彼の目に涙はない。



 家族に囲まれてミーナは静かに息を引き取った。


 葬儀に現れないティートを心配して彼の家を訪ねても、すでにそこは無人。その後、彼を見たものはいなかった。


 地上に降りた天使は、浄化の役目を務めた娘の魂と共に天に昇る。

 数え切れぬほど天に昇る魂を見たことのあるティートだったが、これほど輝く魂を見たことがないと感じた。


「ティート、ご苦労じゃった」

「神様……」


 魂を抱くようにして戻ったティートを神は労い、不思議そうに尋ねる。


「泣かぬのじゃな」

「何故でしょうか、涙が出ないのです」

「そうじゃな……何故じゃろうな」


 涙腺が壊れているのかと思えるほどに泣き虫だった天使の目は乾いている。


「瘴気の浄化は」

「ミーナの血を引く者たちの力で、完全に浄化しきるのも時間の問題かと思います」

「そうじゃな。……ミーナはそなたとおれて幸せそうじゃったな」

「幸せにして貰ったのは俺の方です」

「ああ、そなたも幸せそうじゃった」


 ミーナの死後数年で世界の瘴気は綺麗に浄化された。


 浄化を担った彼女の魂は、輪廻の時を迎えるまでの微睡みたゆとうており、その傍らには時々天使の姿があった。


 天使はいつも優しく微笑みを浮かべていたという。





読んで下さってありがとうございました

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