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 人に時が及ぼす効果は、天使であるティートが思うよりもずっと大きかった。


 初めての恋の相手がろくでなしだったために、その後は異性に積極的にはなれなかったミーナが二度目の恋をしたのは18歳の時。

 今度の相手は、特に財がある訳でもなく見た目が麗しい訳でもなく、地位を持っている訳でもずば抜けた才能があるわけでもない極々普通の男だったが、ティートはミーナの相手として合格を出した。


 天使から見た彼は、人に持っていてほしい誠実さと堅実さを持っており、なによりミーナへの愛が零れんばかりに溢れていたのだ。

 一度目の失敗で懲りたミーナは、兄の満足そうな頷きを見て安堵し、その一年後には結婚となった。


 結婚式では満面の笑みを浮かべていたティートだが、その夜に号泣しつつ神に寂しさを訴えていた。


 ミーナに黄金の檻の中で暮らすようなまねはさせたくないと、教会にも王家にも渡すことを肯わず市井で暮らすことを強行したのだから、幸せの象徴ともいえる愛し愛される結婚は大変喜ばしい事の筈なのに、自分が15年間守ってきた妹が己の庇護から抜けていくことに猛烈な寂寥を覚えるのも仕方ないことかもしれない。

 例えミーナたちの新居が、今住んでいるところから徒歩10分であっても、寂しいものは寂しいのだ。


 そして、結婚しても彼女が守るべき存在であることに変わりはない。


 ティート個人の感情とは全く別の問題で、誰も知らない事とは言えミーナはこの世界の浄化を一手に担っている、なくてはならない存在なのだ。


 時は流れる。

 ティートから見たら瞬きのうちにと言ってもいいようなスピードで、人の生は進んで行く。


 ミーナに初めての子が生まれたかと思ったら、いつの間にやら4人に増えている。その子供らが結婚し、子が産まれておばあちゃんとなっても、ティートにとってミーナは可愛い妹だった。

 幸い、ミーナもその夫も子らも孫らも健康で禍に遭うことなく幸せに過ごしている。


 ミーナが年を経るに合わせて外見をそれなりに変化させていたティートは、もちろん結婚などすることもなく、伯父として大伯父として一家に関わっている。


「伯父さん、母さんの体調があまり良くないの」


 元々ミーナと二人で暮らしていた家に一人で住んでいるティートにそう告げに来たのは、ミーナが最初に産んだ娘だった。

 ミーナと人界へ降りて70年が経つ。

 最近は寝付くことも多くなったミーナに最期の時が迫っていることを、ティートは随分前から理解していた。彼女を一途に愛していた夫も、もう他界して久しい。


「そうか……、すぐ行くよ」


 涙目の姪の頭を撫で、もう子どもじゃないのにと返される。何度も繰り返したこのやり取りも、おそらく最後だろうと、ティートは目を瞑って思う。ミーナの子ども等も孫等も可愛いが、彼女がいなくなった人界に留まる理由にはならない。


「兄さん?」

 ベッドの中からティートを見上げるミーナは、痩せて、黒かった髪も真っ白になっているが、ティートから見れば可愛い可愛い妹のままだった。


 ティートがベッド脇の椅子に腰かけると、それまで彼女の傍についていた家族が黙って部屋から出て行った。それを不審に思ってミーナに目をやると、青白い顔で、それでもふんわりと微笑みを湛えていた。


「どうした?何か兄さんに懺悔したい事でもあるのか?」

 ミーナの目があまりにも真剣だったので、ティートはそう茶化して笑った。しかし、いつもならそれに合わせて笑うミーナは、ただ静かに謝罪の言葉を述べた。


「何を謝ってるんだ。ミーナが俺に謝る事なんか……」

「兄さんが今もここにいるってことは、瘴気が浄化しきれていないからよね?私、お役目を果たせないままに逝くことになりそう――だから、ごめんなさい」

「え?役目!?瘴気って……ミーナ」


 父母を恋しがっていた幼い頃はともかく、成長するにつれて元の世界の事は忘れたはず。ましてやわずかな時間過ごしただけの神界のことなど記憶にも残っている筈がないと、ずっとそう思っていたティートにとって、ミーナの発言は耳を疑うをまたぬものであった。


「覚えていたのか」


 呆然とそう呟いたティートに、ミーナは呆れたように笑う。


「当たり前。だって、あの時もう4才だったんだよ?」

「たった4才じゃないか。そんな幼い頃の記憶なんか残ってると思わないだろう」

「あら、サラのお兄さんなんて、お母さんのおなかの中にいた頃の記憶もあったんだから」


 この地に降りて最初に友達になったサラとその兄を思い出しているのか、懐かしむように遠い目をするミーナ。


「そりゃ、お前が揶揄われたか、本人がそう思い込んでいるか、どっちかだろう」

「もうっ。兄さんは天使だから分かんないのよ」

「……それも、覚えてるのか」

「覚えてるよ。白いお髭のおじいちゃんや雲のベッド、お姫様にしてくれるって言われて泣いたこと、この世界にある筈のない瘴気を浄化するために私が連れてこられたこと。正直、言われているときは何の事なのか分かってなかったけど、ずっと覚えてた。大きくなって、ああ、そういうことなんだなぁって納得したから、なるべく長生きしようと頑張ってたんだけど……もう、駄目みたい」


 ごめんねと更に謝るミーナの前で、ティートは覚えていないだろうと高をくくってミーナの決意にきずかなかったこと、一人で瘴気の浄化を全うする覚悟が見えていなかったこと、そもそもこちらの世界に有無を言わさず連れてこられた事を恨むでもなく完遂できずに終わることを悔やんでいることに忸怩たる思いである。


 なぜ、彼女一人に背負わせてしまったのか。彼女が覚えていることとその気持ちを知っていたのなら、その意気に寄り添う事も出来ただろうに、ただただ一人の人間として幸せになって欲しいとしか考えていなかったことを後悔するティートは、ひたすら涙を堪えている。


 ここで泣く訳にはいかない。


 ミーナは笑っているのだから。





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