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ティートとミーナが暮らし始めて三ヵ月。
最初は毎日のように泣いていたミーナも、環境に慣れたのか友人が出来て毎日遊びまわっているせいか、両親を呼んでぐずることもなくなった。
「それは良かったのぅ。みーちゃんが毎日泣いているかと思うだけで、切なくて胸が張り裂けそうだったからのう」
ティートから神への立体映像通信による定期報告は、瘴気の経過観察よりもミーナに関することの方が占める割合は大きい。
「サラちゃんっていうお友達も出来て、毎日楽しそうです」
「ほうほう。みーちゃんはいい子じゃからのう。友達が出来て何よりじゃ」
神はティートから報告に顔をほころばせた。
「あ、あと、猫を飼い始めました。猫アレルギー治してくれたんですね。わちゃわちゃになってたからてっきり忘れちゃったかと」
母親が飼っていた猫を自分のアレルギーのせいで手放してしまったことを憂いていたミーナは、神が願いをかなえてくれると言った時に「猫アレルギーを治してほしい」と言った。子猫を拾ってきたミーナに、元の世界の家族を思い泣くかもしれないとティートは飼う事を躊躇したが、わがままを言わない幼い子供の初めてのおねだりに負けて頷くしかなかった。
幸い、ミーナはその猫を可愛がっても元の世界をもい出して泣くことはなく、ティートは安堵したのだ。
ティートは妹を連れて町に移住してきた治療師と言う触れ込みで暮らしている。
上級天使であるティートは、その気になれば治せぬ病などないし癒やせぬ怪我も無い。しかし、人界で暮らすにあたって人の理を無視して片っ端から治療し衆目を集める愚を犯すことなく、人として優秀な治療師として施療院を営んでいた。
ティートの目的は瘴気の浄化とミーナの幸福だ。国の偉い人に目を付けられて、瘴気発生源に近いこの町から中央へと招聘されては意味がないのだ。
あまり大きな町ではないし、瘴気の気配のせいか今までいた治療師が去ってしまっていたために彼らは町で歓迎されたため、優秀な治療師の妹であるミーナも温かく迎えられ周囲の優しさに包まれている。
幸先の良いスタートと言えよう。
◇◇◇
ティートとミーナが暮らし始めて一年。
「か……神様ぁ……」
定期連絡を寄越してきたティートが滂沱の涙に塗れているのを見て、神はすわミーナに何かあったかと体を強張らせ身構える。
「何じゃ!何があったのじゃ!?」
立体映像のティートに触れることは出来ないと分かっていても、神は彼の半透明の姿に手を伸ばす。
ぐずぐずと泣いているティートを揺さぶりたい気持ちでいっぱいだが、もちろんそれは叶わない。
「ミーナが……ミーナが……」
やはり――。神はティートの涙の理由が自分の想像通りであった事を知り、話の続きをティートに促す。
「ミーナが、大きくなったら俺のお嫁さんになるって……」
「自慢か――――いっ!いや、やらんぞ、ティート。可愛いミーちゃんはお前なんぞにやら――んっ!」
ミーナの身に何かあったのかと思いきや、あにはからんや。まさか、ティートが羨ましがらせに来るとは神は予想だにしていなかった。
「それでなんじゃ。その涙はうれし涙と言う訳かの」
「違いますっ!だって、俺天使ですよ!?人間のミーナと結婚なんて出来る訳ないじゃないですかっ。いや、出来るにしたって、俺はミーナをそういう目で見た事なんか……」
当たり前である。5歳の幼女に劣情を抱くようでは通報案件だ。
「それに、何て言うんです?俺は天使だからミーナとは結婚できないって言うんですか?兄として慕ってくれているミーナに、本当は兄弟でも何でもないと伝えるなんて出来ませんっ。ミーナはこの世界に寄る辺なく連れてこられて、それでも浄化の任を嫌がることなく下天してくれて。お手伝いも一生懸命してくれるし、優しいし、可愛いし、いい子だし」
「おい、ティート」
「そんなミーナに、本当は他人……他天使?だなんて言えない。でも、結婚する訳にもいかないし」
「ティート」
「ミーナを泣かせたくないんですっ。俺が泣く分にはいいけど、ミーナを泣かす奴はたとえ俺だとしても許せんっ!」
話しているうちに激昂してきたティートは自分を呼ぶ声すら耳に入っていないとみて、神は彼を落ち着かせて話を聞かせるべく脳天に鉄槌を下す。
先ほどまでとは違う、痛みに悶絶するが故の涙。どのみち泣いているだから問題ないと、神は涙については放置である。
「落ち着くのじゃ、ティート。結婚できない理由は”兄妹だから”でいいんじゃないんかの?」
「あ……」
ティートはそんな事を思いつきもしなかったようである。
「さすが神様!これで、ミーナを泣かせなく済みます」
「そもそも、ちいさな女の子が”パパと結婚するぅ”なんて言うのは幼児期だけで、そのうち臭いのウザいの邪魔だの邪険にされるもんじゃ。みーちゃんだって、あと5年10年するうちに――」
「俺は臭くないですっ」
ウザい兄になることは否定しないようである。
「そういうことじゃない。小さな女の子は父親のような身近な相手のお嫁さんになりたいと言うが、5年経ち10年経つうちに周りに目がいくから心配せずともお前さんの嫁になりたいと言ったことなんか忘れると言ってるんじゃ」
「え……それはそれで悲しい」
自分と結婚すると言われても困るが、かといって他所の男の方がよくなるのも寂しい。我ながら勝手な事を言っていると思いつつ、これがティートの本音であった。
「それにしてもティートよ、そんなに泣き虫で本当にみーちゃんを守れるのかの」
自身がミーナの立場だったら、いくら実力があろうと泣き人形のような兄は頼りにしたくも無いと神は思う。
「ミーナの前じゃ泣きませんよ」
「泣いておったろう」
ミーナがこちらの世界に連れてこられた日、あれほど盛大に泣いたのを忘れているのかと神は呆れる。
「人界に降りてから、ミーナの前じゃ泣いてないです。俺は頼りになる兄ちゃんになるんですから!」
己の意思で涙を止められるのなら普段からそうしておけ――と神は思った。