ウズメとサルタ――古事記奇譚
私は稗田阿礼と申します。名前ぐらいは歴史の教科書などで見たことがあろうと思われます。日本史では天武天皇の勅命を受けて太安万侶殿と2人で古事記を編纂したことになっております。巷では、私の性別がが男だとか女だとかいろいろ言われております。さらにひどい話では私自身が存在していなかったなどと言われておりますが、この際それは置いておくとして、さて、実際、世に出回っております古事記には、まだ記載されていない話があるのでございます。最初にそれを元明天皇の下に献上したところ、その部分は没にされてしまいました。きっと朝廷には都合が悪かったのでしょう。しかし私はどうしてもそれを世に知らしめたいのです。なぜなら、私こそ、アメノウズメ神の末裔だからでございます。我が稗田の始祖であるウズメ様やその他の神々の活躍を歴史から消し去りたくはないのでございます。ずいぶん前置きが長くなりました。ではよろしくお願いいたします。
序 章
私は稗田阿礼と申します。
名前ぐらいは歴史の教科書などでお目にかかったことがありましょう。日本史では天武天皇の勅命を受けて太安万侶殿と二人で古事記を編纂したことになっております。
巷では、私の性別が男だとか女だとかいろいろ物議をかもしておるようです。さらにひどい話では私自身が歴史上存在していなかったのではないか? などと言われておりますが、そんなことはありません。
そしてこっそり告白いたしますと、実は私、見た目は殿方でありながら心中は姫なのでございます。ああ、とうとうカミングアウトしてしまいました。
ま、まあこの際それは置いておくとして、ただ私には自慢ではございませんが、稀有な能力がございまして、一度見たり読んだりしたものはすべて完璧に覚えているのでございます。
さてここで少し歴史のお勉強のおさらいをしたいと思います。「これラノベだよねー」と期待しながら読み始めた方々は今、ちょっと嫌なお顔をされたことでございましょうね。
しかしなぜ私がこのお話をさせていただいているのかについて重要な点でございます。お話は少々長くなりますが、どうぞお聞きくださいませ。
さて、古事記が世に出ましたのは、七百十二年のことでございました。それを遡ること六十七年前の六百四十五年のこと。世を騒がせた大事件が起こりました。
時の権力者である蘇我氏を後の天智天皇であります中大兄皇子や後の藤原氏の始祖であります中臣鎌足らによる蘇我入鹿暗殺事件、いわゆる、乙巳の変でございます。
まあこれは歴史小説ではございませんのでもう少し詳しくお知りになりたい方は、ウィキペディアでもご覧になってくださいませ。へたれの、おっと失礼、気の弱い鎌足のことも載っておりますのでおもしろうございますよ。
さて問題はここからです。息子である蘇我入鹿を天皇の御前で殺された、その父。蘇我蝦夷は、もはやここまでと悟り、その次の日に自害。しかもよほど天皇家に対し恨みを抱いていたのでしょう。自害したときに天皇家の書庫もろとも邸宅に火をつけ、【天皇記】』や【国記】など多くの歴史書も失われることとなったのでございます。
以後、天智天皇の即位と共に一連の大改革であります「大化の改新」の激動の中で長く放置され、結局、天武天皇が即位された六百七十三年以降に、新たな国史『古事記』の編纂が命じられたのでございます。
ではなぜ一介の役人である私ごときにそのような大役をお任せになったかでございますが、それは先に申しました通り、私のたぐい稀な記憶力にあるのでございます。
私の記憶力の良さを噂で知り及んだ天武天皇が、直々に天皇家の系譜である「帝紀」と歴史書の一つであります「旧辞」を私に暗誦を命じたのです。もちろん私はそのすべてを記憶いたしました。
そして天武天皇の没後に、女性天皇であります元明天皇の命令で、私の記憶にありますそのすべてを太安万侶殿が、原文の漢文ではなく、かな遣いで文章に起こしたのでございます。つまり私の記憶力と太安万侶殿の才覚をもってして編み出されたもの、それが古事記なのであります。
さて、何を隠しましょう、このたぐい稀な私の記憶力こそ我が始祖、アメノウズメ神のものなのでございます。しかしながら、実際、世に出回っております古事記には、まだ記載されていない話があるのでございます。
最初にそれを元明天皇の下に献上したところ、「安万侶くぅん、これはダメよ~」とその部分は見事に没にされてしまいました。きっと朝廷には都合が悪かったのでしょう。
しかし私はどうしてもそれを世に知らしめたいのです。なぜなら、私こそ、アメノウズメ神の末裔だからでございます。
というわけで、我が稗田の家に古くより伝わるウズメ様やその他の神々の活躍を歴史から消し去りたくはないのです。
ずいぶん前置きが長くなりました。ああ、それと私、時々本編に語り部として顔を出しますのでどうぞよろしくお願いいたしますね。
第一章
ウズメとサルタ
――満月であった。
空一面、群青の暗幕に覆われていた。その中央にぽっかりと開いたまん丸い穴から、外の世界の光が差し込んでいるように思われた。
白い光は、海も山も見渡せる世界のすべてを包み隠すことなく昼間のように照らし出していた。
今宵は月に一度の大潮の晩である。普段ならば、海の底に沈んでいて、ほとんど見ることのない岩礁帯が眼下に大きく広がっていた。よく目を凝らして見れば、何か小さな生物が蠢いている。無数の磯蟹たちだ。この大潮の晩に蟹たちはその命の炎を燃やすのであろう。しかしそれは蟹ばかりではない。満月の夜、あらゆる生き物たちがその命の炎を燃やそうとするのだ。もちろん人間も例外ではない。
数本のかがり火の周りで一心不乱に神楽を舞う二人の姿があった。
一人は身の丈八尺(二メートル四十センチ)はあろうかと思われる巨人である。性別ははっきりとはわからないがその筋骨隆々とした体つきから男であろうと思われた。白銀の仮面を被り、首から下は腕も胴も足も濃い血のような赤色で統一されている。
そしてもう一人の方はおそらく五尺(一メートル五十センチ)もないと思われる。相手の大きさとは対照的に小柄な女である。女と断定したのには理由がある。
その上半身には何もつけてはいなかった。細く華奢な体の割に、二つの胸の膨らみは大きく、腰はいい具合にくびれている。その腰を大きく強く振る度に、手にした神楽鈴が神秘的な音色を奏で、下半身の薄衣さえずり落ちてしまいそうに思えた。こちらも赤い鳥の嘴のような被り物をつけているので顔はわからなかった。
二人の舞う神楽は見事なものだった。
大男は猛々しく舞い、女は目を見張るほどに妖艶に舞った。神楽は神々の交合の儀式である。集まった群衆たちは時を忘れてその二人の舞いに見とれていた。
やがて時は満ち、男たちは、一人、また一人と、自分の気に入った女の手を掴んで月光の及ばない漆黒の森の中に消えて行った。
あちこちから女の嬌声が聞こえ出していた。こうして人間たちも生命の炎を燃やすのである。
――シャラン……。
神楽鈴は最後の音色を奏で、宴は終わった。大男と小さな女はすべての演目を舞い終えて宴の場を後にする。
続く