引きこもり少女は今日もたゆたう
連載するかわからないので短編で投稿です。
日本青少年少女更正センター。
社会の輪から外れ、家にこもりきりになってしまった少年少女の完全更正を目指す怪しげな機関である。
俺がその機関に頼ったのは、なんとも単純な理由。
金羽振りが良かったから。それ一点のみである。
この怪しげな機関は人が足りていないのか、バイトのチラシや求人広告で大々的に宣伝していた。
広告宣伝は動画サイトの邪魔になるし、内容も怪しげということで嫌悪していたのだが、高校生の一人暮らしとなって困窮してくると、なんだかいつも目につくその広告がまるで自分に与えられた天啓のように思えてきた。
ということですんなり信念を曲げ、電話して、三ヶ月の契約を結ぶ。
面接はすんなり通り、今日、俺の配属先が決まる予定だ。
センターの場所は都内の駅に設置された区画を間借りしたところだった。
俺は初めてのバイトの感覚に緊張を抑えきれず、目をキョロキョロと忙しなく動かしてセンターに入った。
「こんにちは、あなたが番号641ですね?」
「ああ、はい」
自動ドアが開くと、待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべた狐目の女性が、つかつかと歩み寄ってきた。
スーツを着こなす様は、商売が上手そうな女性の印象を俺に与えてくる。
狐目の女性に受付前の椅子へと案内され、俺はすごすごと腰をおろした。
向かい側に女性が座り、タッチパッドを取り出して甲高い声で淡々と仕事の説明を済ませていく。
「えー私ども日本青少年少女更正センターはですねぇ、問題を抱えて家にこもりきりとなってしまった中高生を対象に、奥様方へ声かけをしまして。更正させたいというお子様がいましたら私どもがそれの対処にあたるということです。この度足を運んでいただいた641番さんにはとても感謝しておりまして、はい、共に仕事を全うしましょうねぇ」
「あー、その、お金が沢山貰えると聞いて来たのですが、その、俺なんかがいいんですかね」
「俺なんか、とは」
「俺、まだ高校生なんです。その、相手は思春期真っ盛りだったりするでしょう? そういうところ、大丈夫かなぁって」
俺の抱いていた一番の疑問はそれだ。
求人広告には、高校生から大学生を中心とした学生に焦点を当てていた。こういう更正の仕事って、しっかりとした大人のほうが務まるのでは、と俺は思うのだ。
事実、テレビではよく見る光景として、経験豊富そうな職員さんが、母親の隣で優しげに声かけや扉を叩く様子が映し出されているのだが、高校生のような若者がそういう仕事に就いている姿はあまり見ない。
「あー、641番さんはそこが不安なのですねぇ」
俺が疑問を投げ掛けると、狐目女は合点がいったというように気を良くして、再びマシンガンのごとき言葉を連ねた。
「私どもの意向とは、引きこもりの中高生には、むしろ共感しやすい同年代のほうが良いのではと考えた次第でございます、ええ。おじさんおばさんでは、結局のところ保護者的な観点でしか結果を見出だせず、真の理解は育めないのでは、と。寄り添いあい、支えあう、これらを実感させやすい友人関係のようなものをあなたに築いていただければ私どもとしては嬉しい限りでしてぇ」
「は、はぁ……」
会話の半ばから言葉が耳から耳へと通りすぎるようになった。まあとにかく、俺が更正の任を担えばいいのだろう。
やり方は友人関係を築く、というなんだかフワッとしたものであるが。
「日給は示された通りです。一ヶ月に一度実施される評価記録にて更正対象からの満足度が高かったと記録されれば、これに更なるボーナスが付きます。よろしいですねぇ」
「よろしいです」
しかもボーナスが付くのか。日給の時点で他のバイトとは一線を画すというのに、これに上乗せ分が積まれると思うと、俄然やる気が出てくる。
上手くいけば今月末に発売するゲームとフィギュア以外にも、最近流行りの漫画を大人買いできそうだ。
「641番さんは高校生ですのでぇ……業務は五時からでお願いしますね。部活等はお控えください。契約条件ですので。そして641番さんの担当する家なのですが……こちらです」
狐目の職員さんはタッチパッドで住所を示す。俺はそれをメモし、職員さんから更正対象の家の鍵を受け取った。
「更正対象、松葉ランプ。年齢は13。性別は女性。問題は中学に上がってから苛めにあい、なんの対処もしてくれない教師への不信感を募らせ不登校となりましたぁ。641番さんにはこの方を更正させてあげてください」
「女の子、ですか」
「……先ほどは友人関係を築けと言いましたが、もっと広義的な関係を築くことも私どもは推奨しています」
「広義的な関係?」
なんだか嫌な予感がした。
「依存関係、恋愛関係、様々です。とにかく更正してください。登校させるきっかけを作るのです。説明は以上。さあ、仕事は明日からです。私ども日本青少年少女更正センターは、641番さんのご活躍に期待しております」
「え、あっ、ちょっ」
そうして追いたてられるようにセンターから押し出される。狐目の職員さんは俺の背にふりふりと手を振っただけで、すぐにまた営業用のスマイルを浮かべ受付に戻ってしまった。
忙しない。
まるでロボットのような職員さんだ。
「ま、いいか。……帰ろ」
相手がどんな女性かは知らない。
なんていうか、人間なら相手が異性のときすこしくらいは緊張というか、どこか俗じみた考えを起こすのだろうが。
俺はそんなことよりも、人との付き合いについて少々苦手とすることもあり、金に飛びついた手前どう親交を深めようか悩むばかりだ。
「ゲームとか、運動が得意なやつならいいんだがなぁ」
それなら一緒に楽しめる。
だけど元気活発な子が不登校になるってこと、あるのだろうか。
……あるんだろうな。人間関係、人間社会なんてのはひどく煩雑で、流れなんて掴めやしないんだから。
一人暮らしのマンション。その一室に帰った俺は、適当なゲームやら遊び道具やらを見積もって、明日の放課後に頭を悩ませるのだった。
■
閑静な住宅街。人気のない街道はひやりとした空気で満たされている。冬ももう終わり。この寒風は、最後の抵抗のようなものだろう。
「もう三月か」
学校終わりにあらかじめ用意していた遊び道具を持ち寄って、更正センターで示された住宅に到着する。
対象の家は小綺麗さが残っており、新築であることを察する。インターホンを鳴らすと、中からバタバタと忙しない足音が聞こえ、扉が勢いよく開き、俺の額に強い衝撃を与えた。
「と、と、とと」
数歩後退り、額を押さえる。
直後、女性の慌てた声が静かな住宅街を貫いた。
「わあああああああああ! だ、大丈夫ですかぁ!?」
三角頭巾に割烹着という何十年前の装いだとツッコミをいれたくなるほどの時代錯誤な格好で飛び出してきたのは、すこし身長が高めのグラマラスな女性。
どこか幸薄そうな彼女は、しきりに俺の怪我を心配してくる。
「あの、その、びょ、病院! そう、病院行きましょう! 頭蓋骨が粉砕してるかもしれませんし! うん、それがいい!」
「ず、頭蓋骨……? ああいえ、大丈夫です。重傷です」
「ええええええええええええ!!?」
「冗談ですよ」
「うえええええええええ!?!?」
今すぐにでもカエルみたいにひっくり返りそうな驚き方をする彼女に、俺はどうするものかと悩む。
まず第一に、この人は誰だろう。まさか13とは思えない。母親か、お手伝いか。その辺りだろうと当たりをつけて、俺はそっとその女性に尋ねた。
「ここが松葉さんのお宅でしょうか。そして、あなたはどちら様で」
「え、あ、あの、私はコソドロです。ここに盗みに入りました。ニンニン!」
手で印を結んでぴょんぴょんと跳ねる割烹着の女性。
俺はそのへんてこなダンスを踊る彼女を冷たい目で蔑み、ポケットからスマホを取り出して警察に連絡を……。
「待ってぇぇぇぇぇ!! 冗談、冗談だから!! 私はこのうちに居候してる従姉で、目下就職活動中のニー……フリーターですぅぅ!」
この騒がしい女性は従姉であったらしい。
自称フリーターらしいが、どこまで真実かは怪しいところだ。
「そうですか。で、松葉ランプさんはご在宅で?」
「あ、あれ? 興味ない? 私に興味ない? そっかぁー。ランプちゃんはいますけど……あなたはどちらさま?」
「俺は日本青少年少女更正センターから依頼を受けて来ました641番です。お見知りおきを」
「これはこれはご丁寧にどうも……。へぇーあなたがかの更生者ですか」
なんだその呼び名。
「とにかく、今日ここに来ることになっているので。あがらせてもらっても?」
「あぁ! はいっ、はいはい、どうぞどうぞ……」
そうしてひと悶着を起こしたあと、案外すんなり割烹着の女性は俺を家の中へと入れてくれた。
汚れ一つないフローリングはしっかりと掃除が行き届いていて、洒落た観葉植物が俺を出迎えてくれる。
奥には灰色のソファと大きめのテレビ。向かい側にはシックなダイニングテーブルと椅子、キッチンが整然と並んでいる。
「ランプちゃんは二階です。えっ……と、あの、色々なへんてこな子だけど……怒らず優しくしてあげてください」
割烹着の女性は、深々と頭を下げた。俺はなんだかいたたまれなさを感じ、軽く会釈で応じて、松葉ランプという少女がいるらしい二階へ向かった。
松葉ランプのいる部屋はすぐにわかった。
扉の前に、らんぷとひらがなで書かれた看板が掛かっている。
「分かりやすいな」
そして、次のアクションをどうするかで悩む。
ノック……ここは優しくノックして声をかけるのが常道だろうか。
第一印象は何よりも大事だ。それで今後の関係性が左右されるといってもいい。
二回ノック。すぐに返事が返ってきた。
「入ってまーす」
「…………」
ここはトイレではない。
「こんにちは、俺は日本青少年少女更正センターから配属されました、641番と言います。よろしく」
「よろしく」
「松葉ランプさん……ですね?」
「そう。君はなにしに来たの」
「俺は……未来の友達と遊びに」
「未来見えるんだ」
素直な反応に、俺は返答を窮した。
扉越しの会話から判断するに、最初の印象で嫌われてはいないようだ。
そして声は確かに女性のもの。まだ幼さの残る声だ。淡々とした返事からは淡白な印象を受ける。
だが、どこか拭いされない違和感があった。
俺はその違和感がなんなのか判じることはできなかったが、慎重さは必要であると考え、尖った言動を抑えようと自戒する。
「今日は君と遊びに来たんだけど、俺となにかで遊ばない?」
「ゲームならいいよ」
「なんのゲームする?」
「スマシス」
スマシス……スマッシュシスターズのことだろう。とても有名な格闘パーティーゲームだ。総勢百名からなるプレイアブルキャラクターは圧巻ということで、業界をいつも騒がせている。俺も多少はやりこんだ口だが、お世辞にも上手いとはいえない。
「いいよ、やろう」
「じゃあ鍵開けるね」
「え?」
扉の奥からガチャリとロックを解除した音が聞こえた。
俺はドアノブに手を伸ばすことを一瞬躊躇する。
松葉ランプ、彼女を俺は引きこもりだと聞いていた。だから、その錠前はとても固く、俺が触れられるようなものではないとも。
それがあまりにあっさりと封が解かれ、俺は思わず聞き返してしまう。
「入って……いいのか? 不用心じゃない?」
「別に? なにか危ないことでもあるの? ナニか危ないことでもするの?」
「いやそんなことはない。ああ、なんでもない。なんでもないさ。わかった、入るよ」
そうして思考を切り替え、俺は部屋の中へと入った。
中は暗く、唯一テレビの明かりが部屋の一部を照らすだけだ。床には食いかけのクッキーやら読みかけの漫画やらが乱雑に散乱し、足の踏み場がほとんどない。
そして光源であるテレビの前に、少女がいた。
長めの透き通るような銀髪が小さな背を隠し、だらりと垂れている。
俺に背を向けるようにして、正座したまま腕が小刻みに動いているのは、ゲームのコントローラーかなにかを握っているからだろう。
廊下から扉の隙間を縫って漏れる光が少女の髪に反射し、漂う埃も相まって、俺と少女の間に幻想的な雰囲気を作り出している。
少女は俺が入ってきたことに気がつくと、髪を翻してこちらに顔を向けた。
少女の顔を、俺はようやく知ったのだ。
彼女は宇宙人か、それとも別世界の住人か。
寝ぼけたような瞳、整った鼻筋、つんとした唇、不気味なほど色の抜けた肌。引きこもりであることを示すような不健康さがなければ、ああ、誰もが振り返るであろうミステリアスさを含有する美少女だ。
「ようこそ、ランプるーむへ」
辿々しい口ぶり。頬はわずかに赤らんでいる。
緊張、しているのかもしれない。
「俺は……さっき名乗ったよね?」
「うん。6……なんとか。覚えてない。呼びやすい名前、ぷりーず」
「641番。そうだなぁ、語呂合わせでロジーなんてどうだい」
「わかった。ロジー、はやく。ゲームするよ」
そういってポンポンと自身の隣を叩く。
そこに座れということだろう。
俺はランプに従って隣に胡座をかいて座り、一回り小さい彼女と肩を並べてコントローラーを握った。
「ロジー、スマシスやったことある?」
「すこしだけなら」
「ふぅーん……私に勝てるかな」
「君に美酒を味あわせることはできそうだよ。勝利のね」
俺はパワータイプのキャラクターを選び、ランプはすばやく癖のあるキャラクターを選んだ。
勝負は一方的だった。ランプは相当このゲームをやりこんでいるらしく、一度コンボを決められると逃げ出せずに場外へと吹き飛ばされる。
言葉通り、俺は何度も負けて、彼女が選んだキャラクターの勝利画面を眺める羽目になった。
「ロジー、弱い」
「君は強いね。なにもできなかった」
「君と私、テクニックは一目瞭然だね」
「完敗だよ。でも、次はどうかな」
俺は徐々にだが、ランプの使う技術を解析しつつあった。
そして自分が使うキャラクターのことも。
どこまでが効果範囲か、無敵時間は何秒か、それぞれの技がどう繋がりやすいか、ランプの癖はなにか。
どうすれば勝てるのか、チェスの盤面を一つ一つ確かめるように、頭の中で勝つためのロジックが出来上がっていく。
俺は負けず嫌いだ。そして成長を実感できなければ満足できない質でもある。
「じ、自信満々だね」
「君の足を掬いたくてうずうずしてるからね」
そうして次の試合、ランプをこれでもかと追い込んで惜敗した。
俺は長く強い息を宙に吐き、やりきって満足した一方。
ランプのほうは信じられないほど汗をかいて、俺をまじまじと凝視してくる。
「本当は経験者でしょ」
「違うよ。バリバリの初心者さ」
「お、おかしい……初心者の実力じゃなかった……」
驚いてくれてるのは本当に嬉しいのだが、俺は結局ランプに勝てなかった。全力を出しきってやりきったにせよ、勝てなかったのが唯一の心残りである。
ふと窓の外を見ると、月が大きく夜空に浮かんでいて、時計の長針は7を示していた。
「もうこんな時間か。ゲームをするとはやいね」
「帰るの?」
「帰るよ。夜だから」
「ふーん。明日も来る? 遊び相手くらいにはなってあげてもいいよ」
「明日も来るよ。はは、俺も今日は楽しかった。童心に戻れた気がするよ。ありがとう」
「ん。じゃあね、ロジー」
俺とランプは、顔をお互いに見合わせたあと、友人のような気軽さで別れを告げた。
ランプの家から出る途中、あの割烹着をきた女性の姿はなかった。靴もないため、どこかに出かけでもしたのだろうか。
明かりが消され、暗闇と同化したような一階は不気味だ。
時計の針の音だけが、一定のテンポで俺の耳に届いている。
「そういえばランプの親御さんを見ていないな」
電気を点けて、ダイニングを歩き回ると、古ぼけた写真立てが棚の上に置かれていた。その写真立ては、まるで見られてはいけない物のように、畳んで置かれていたものだ。
写真立てに入った写真には、銀髪の笑顔が眩しい女の子と、スーツを着た男性に柔和そうな女性の三人が写っていた。あの割烹着の女性はいない。
恐らくこの幼い少女こそランプ本人で、少女を支えるようにして立っている二人の男女こそ、ランプの両親であると推測できる。
写真立ての裏を拝見すると、九年前の日付が記されていた。
「九年前……九年前か…………」
俺はそっと写真立てを元の場所へ戻した。
二階の、ランプの部屋の方角に視線を向ける。
わずかに漏れるゲームの音。ランプはまだゲームの続きを一人でしているのだろう。
ダイニングはシン……と静まり返っている。
写真立てに記された九年前の日付は、つまりこの写真立てが九年間更新されなかった証左ともいえる。
俺がランプと初めて会った時に感じた違和感はこれだ。
彼女と遊んでいる時、異性と、年頃の女性と話しているような気はしなかったのだ。むしろもっと幼い、純真無垢な女の子と会話しているような感覚がずっとあった。
ランプは社交性が高く、人への恐怖もなさそうで、そして初対面の人間を易々と部屋に招き入れるほど警戒心が薄い。
引きこもりになるような、いわゆる社会に合わなかった人間とは違う。
彼女は現状を憂いもせず、楽しんでいる節もあった。
更正センターと示したにも関わらず、なんの反応もなかったのがその一端だ。普通なら多少なりとも嫌悪の感情を示すだろうに。
外見と内面の不一致。
ランプはあまりに純粋すぎた。
「いろいろヘンテコな子、か」
ランプと触れあって、あの割烹着の女性が言っていた言葉の意味が、なんとなく分かったような気がする。
だが憶測の域を出ることはない。
まだ一日。たった一日しか経っていないのだ。
これだけで一個人のなにもかもを分かったような気になるのは傲慢に他ならない。
俺は考えていたことを頭を振って消して、今日コテンパンにされたスマシスを家で練習してこようと決意した。
明日もまたこれる。学校の行事も大切なことだが、最近は暇で、時間もある。絶好の機会であることを確信し、俺は明日の予定を組み立て始めた。
そうして俺は玄関の扉を閉め、家をあとにする。
大きな満月が、俺の行く末に立ちはだかるようにして、じっと姿をたたえていた。