03 帝国の聖女
“魔石の泉”へと続く谷の半ばで、帝国ダキオンの数千の騎士たちと、ネイザー公国の数百の騎士たちがにらみ合っていた。戦端が開かれれば、ネイザー公国の騎士たちは一方的に蹂躙されたはずだが、帝国ダキオンの若き皇帝はそうしなかった。ネイザー公国の騎士軍を、王族であるシャルミナが率いていたのだ。
若き皇帝はシャルミナの求めに応じて、交渉のために用意された天幕に入った。
「久しぶりね、ジークムンド。あなたの成人の祝いに招かれて以来かしら?」
「これは……驚いた……」
兜を取ったシャルミナを見て、ジークムンドと呼ばれた若き皇帝は目を見開いた。腰まで伸びた銀の髪に、血の気のない白い肌――。目の前にいるネイザー公国の姫は、以前会ったときとはまるで違う容姿をしていた。銀白の鎧に身を包んだその姿は、いかにも聖騎士といった佇まいだ。
「天聖教会の儀式を受けて聖騎士となったと聞いたが、本当だったか」
「急いだのよ、聖騎士となることを」
シャルミナから寂しげな笑みがこぼれた。自らの若さを悔いても仕方がないが、愛しい妹であるアメリアや、リーゼ様のような慈悲の心を少しでも持ち合わせていれば……と思う。
「立ち話もなんでしょう? どうぞお座りください」
シャルミナに手招きされ、ジークムンドは天幕の中央に置かれた椅子にどっかと身を預けた。そのまま無造作に、組んだ両足をテーブルの上に投げ出す。黄金に輝く鉄靴の靴底が、シャルミナを踏みつけるように向けられた。
礼を欠いた振る舞いに、シャルミナの背後で控えていたネイザー公国の騎士たちがいきり立ったが、監視砦の隊長コンラッドが片手を伸ばして制した。
不穏な空気が漂う中、シャルミナが何事もなかったかのように席に着いた。
兜をテーブルに置いて顔を上げると、ジークムンドの後ろに並ぶ帝国騎士の間から、小柄な女が現れた。
女はジークムンドの肩に手を置くと、寄り添うように立った。
「その方は?」
「我が国の結界を司る聖女、ミラベルだ」
「あなたが――」
魔族の進軍を阻む結界を、帝国ダキオン全土に施したとされる聖女――。もっと年を取った司祭かと思っていたが、まだ少女の面影が残る17ぐらいの娘だ。
シャルミナの視線に気づいたのか、聖女は腰まで伸びた薄紫の髪をかき上げて、悪戯っぽく微笑んだ。長いまつげと目尻の下がった瞳が印象的で、桃色のリボンがあしらわれた白いローブに身を包んでいる。
聖女は大して豊満でもない胸をジークムンドの腕に押しつけると、甘い声を出した。
「もう、ジークってばぁ、こんなまどろっこしいことしてないで攻めちゃいましょうよぉ。7色の魔石でネックレスを作るんだからぁ」
満更でもないように、ジークムンドが白い歯を見せた。
「フッ……それはさぞかし、そなたに似合うであろうな」
「でしょお?」
――まさか、そんな理由で軍を進めたのか? 目の前で公然とイチャつく2人の姿に、シャルミナは混乱した。
ジークムンドの目が鋭さを取り戻し、シャルミナを見下すように睨んだ。
「シャルミナ姫よ、軍を引け。我が国は戦いを望んでいない」
「武力にものを言わせておいて、よく言う」
「“魔石の泉”には、大粒の魔石が数知れぬほど眠っていると聞く。ネイザーごとき小国には過ぎたものだ、渡せ!」
「……我が国は確かに貴国に比べれば小さい。だが、“闇の大穴”の脅威から世界を守ってきたという誇りがある。戦わずして譲るつもりはない」
「安心しろ、占領後も適正な価格で魔石を供給してやる。領土とはいえ辺境の岩山1つ、こだわることもあるまい?」
「“魔石の泉”は今や我が国の聖地だ。譲るつもりはない」
「聖地? ――まるで、天使でも現れたかのような口ぶりだな?」
碧い瞳が射貫くようにシャルミナを見定めた。天使エリーゼが降臨したことはゴラン王によって箝口令が敷かれている。だが、確証のない噂となって伝わったのかもしれない。
シャルミナは顔色を変えずに、笑みさえ浮かべて答えた。
「天使などと戯れ言を……。私が聖剣にて浄化した故に、聖地となっただけだ」
「もーっ!」
聖女がふくれっ面を作った。
「ゴチャゴチャ言ってないで、降伏なさいよ! 歯向かったらみんな死んじゃうのよ!?」
「聖女殿、“闇の大穴”と戦ってきた我が騎士たちを見くびらないことだ。皆、国を護るためであれば、死兵となって一歩も退かぬ」
シャルミナの背後で、騎士たちが戦場であるかのような殺気を放った。睨みつけられた聖女ミラベルは、「ひっ」と声を漏らしてジークムンドの背に隠れるしかなかった。
「やれやれ、たかが岩山の為に命を捨てようとは愚かな……」
ジークムンドは組んだ足を解いて、立ち上がった。
「聖騎士になりたがりの跳ねっ返りだと思っていたら、ずいぶんと肝が据わったものだ」
テーブル越しににじり寄って、鋭い眼光をシャルミナに浴びせる。
「お前の首を、ゴラン王に届けてやろうか?」
端整な顔立ちの口元が蛇のように歪んでいた。油断すれば飲み込まれる――これは、血に飢えた征服者の顔だ。
シャルミナは、銀の目を逸らすことなく答えた。
「私が死んでも、我が王は一歩も退かぬ」
黒いマントが翻った。
「――明日の朝まで時間をやろう、頭を冷やすがいい」
若き皇帝と護衛騎士たちが去って行く。イーッと歯を見せて、子供じみた怒りを見せる聖女を連れて。
◆ ◆ ◆
キィーン! キィーン! キィーン!
鍛冶の街ロアンに、一際甲高いハンマーの音が響いていた。
鍛冶屋ギルドから響くその音の主は片目で、しわが刻まれた顔に似合わぬほど両腕は太く、鍛えられていた。
やっとこを構える老鍛冶屋が尋ねた。
「いいんですかい? 交渉をシャルミナ嬢ちゃんに任せて」
男はハンマーを振る手を止めると、ふぅと息をついた。その目はどこか遠くを見ていて、清々しささえ感じられる。
「戦うも、退くも、国の未来のことだ。次代の王が決めればよい」
そう言うと、ゴランは再びハンマーを振るった。
ピキィーン!
澄んだ打撃音が響いた。まるで、鍛冶屋の頂点と崇めるリームが振るったかのような迷いの無さだ。
オイゲンは、もう何も言うまいと頷いた。
次回更新は、3/19(日)に『脂肪がMPの無敵お嬢さまは、美少女なのにちっともモテない!』をアップ予定です。
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どちらも読んでもらえるとうれしいです。
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