02 新たな火種
聖騎士学園の敷地内にある小さな聖堂――。その地下にある扉の前で、狼獣人の騎士であるヴォルフが文字通り目を光らせながら立っていた。耳をそばだて、鼻をヒクつかせ、周囲の警戒を怠らない。そんなピンと立った狼の耳がピクリと動いた。
「リーゼ様! 大変申し訳ございませんでしたあぁあぁぁぁ!」
声の主は、扉の先の部屋の主である天聖教会の司祭ディツィアーノ。男は四方を魔道書の本棚で囲まれる中、額を床の絨毯にこすりつけて土下座していた。
「い、いいよ、そんなに謝らなくて。演技だってわかってたし」
「いえ、たとえ演技でもリーゼ様に向かってあのような不遜な態度を……。どうぞ、この鞭で百叩きに――」
法衣の懐からトゲがびっしり生えた鞭を取り出し、両手でおずおずと差し出した。
「大げさ! 大げさだから! 私がそんなので打ったら死んじゃうって!」
「そ、それもそうですな……。出来ましたら、私には殉教に相応しい場を用意していただきたく……」
「殉教?」
ディツィアーノが顔を僅かに上げ、常に微笑む両目を見せた。
「信ずるあなた様のために命を捨てることでございます。あなた様に立ちはだかる宗教、国家、どの様な妨げであろうと構いませぬ、この命で一矢報いる機会を――」
「もーっ! バカなの!? そんな怖いこと考えてないで、さっさと立って!」
「では、お許し頂けると……?」
「だから、怒ってないって!」
「おお……リーゼ様の御心のなんと肝要なことか……」
ディツィアーノは法衣の裾を整えながら立ち上がり、懐から鞭に代わって分厚い書を取りだした。書に挟まれていた羽の筆を取り、何やらサラサラと書き留め始める。
「エリーゼ様は人の姿でおっしゃられた、“不遜な振る舞いを許す”と。罰を欲し、鞭打ちを望む者に対し、“命を大切にせよ”と。愚鈍な信徒の心は洗われ、清らかな涙が両頬を伝うのだった」
と言いながら、ディツィアーノの頬を涙が伝った。
「……何書いてんの?」
「これでございますか?」
よくぞ聞いて下さいましたとばかりに、司祭の顔がパァッとほころんだ。
「『真天使エリーゼ教聖典 ~創世の書~』でございます。こうしてあなた様の行いを日々書き留め、後世に伝えるのです」
黒髪の下で映える白い頬が真っ赤に染まった。
「やめて! 恥ずかしいから!」
「おぉ、恥じらうことなど何もございませぬ。あなた様のお考えや所業が世界を巡り、やがて人を導くのでございます」
扉の向こうで立つ狼獣人が耳をピクピクと反応させながら、うんうんと大きく頷いた。狼獣人の可聴能力は人の4倍といわれており、嗅覚に至っては数千倍とされている。ヴォルフはその特長を買われて、リーゼの警護に就いていた。罠や間者の類から主であるリーゼを守るのが、ネイザー公国から課せられた使命だ。
「すでに第2章の68節まで書き上げてございます。先の“闇の大穴”の浄化は元より、オーデンでのあらましも知りうる限り網羅いたしました」
司祭から白い歯がのぞき、微笑みがキラキラと輝いた。
「ハアァアァ!? 11歳女児の行動を記録するとか、ただの危ない人だよ!?」
「信ずるあなた様のためであれば、どんな謗りも受けましょう」
はぁ……何言ってもダメだ……。観念したように、リーゼは大きなため息を吐いた。
「もう……好きにしなよ……」
「おお! ありがたき幸せ」
ディツィアーノは『真天使エリーゼ教聖典』の原書となるであろう書を胸に、片膝をついた。
真天使エリーゼ教って何? とツッコみたかったがやめた。どうせ、何を言ってもムダなのだ。
満足げに頭を垂れる司祭を見て、リーゼの真っ赤な頬がぷくっとむくれた。
◆ ◆ ◆
一方、その頃――。
荒涼とした谷をふさぐ形で建てられた砦の扉が、ゆっくりと開かれた。扉は人の身の丈を遙かに越える重々しいもので、巨人でもくぐれそうだ。
扉の先にいるのは、数千にも及ぶ騎士の列。鎧とマントは黒く染められ、人にあらざるかのような威圧感を放っている。
列の最後尾の馬上で金色の髪をなびかせる男が、マントを翻して右手を上げた。男の鎧は黒であるが、王族を示す金の装飾が施されている。
「進軍せよ! 魔石の恵みをネイザーごとき小国に渡してはならぬ!」
若き皇帝の号令に従い、騎士たちが一糸乱れず進み始めた。騎士たちが登る荒道の先には、“闇の大穴”であった“魔石の泉”がある。
“闇の大穴”はネイザー公国に厄災をもたらしていたが、“闇の大穴”を挟んで西にある帝国ダキオンの侵攻の妨げにもなっていた。
帝国ダキオンはネイザー公国の数倍の国土を持ち、この世界において最大の国力を誇る。
魔族と人の争いではない――人の国と人の国による戦いが始まろうとしていた。
次回更新は、3/5(日)に『脂肪がMPの無敵お嬢さまは、美少女なのにちっともモテない!』をアップ予定です。
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どちらも読んでもらえるとうれしいです。
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