09 楽しい毎日
更新履歴
2024年10月02日 第3稿として、大幅リライト。
2021年12月08日 第2稿として加筆修正
「こ、これは……」
食堂のテーブルに山と盛られたヨルリラ草を前にして、旅商人のエリオは言葉を失いました。
「なんてこと……」
シスターグレースも声の震えを抑えられません。
孤児院の子供たちは、目を輝かせて大喜びです。特にダニーはぐるぐる回ったり、飛び跳ねたりとせわしなく動き回っています。
「リーゼ、やったな! 肉だ! 肉が食えるぞーっ!」
――よかったね、ダニー。
はしゃぎ回るダニーを、リーゼはちょっと呆れた目で見ています。
エリオはヨルリラ草を手のひらに乗せて、あらわになっている青い目を寄せました。
「どれも最高品質のヨルリラ草だ……」
――そりゃそうだよ。山を降りるまで【マイルーム】の冷蔵庫に入れておいたんだからね。
リーゼが自慢げに、小さな胸を張りました。
「これだけの量をいったいどうやって……」
エリオの問いにリーゼは目をそらしました。都合の悪いことに答えるつもりはありません。なのに――。
「三日月の湖へ行ってきたんだろ! スゲぇぜ!」
ダニーが得意げに答えてしまいました。
「あ! もう! 余計なことを!」
「な、なんだよ。ホントのことだろ」
いくらリーゼが怒っても、取り返しがつきません。ダニーが不満げに口をとがらせるだけです。
「三日月の湖へ!? 北の森にあると聞いたことがあるが……凶暴な獣がいて近寄れないはず」
――凶暴な獣? ん~、確かにいたね。気のいいクマが。
リーゼはそんなことを思いながら、どうにかごまかせないか考えます。
「え~と……そこには行けなかったんだよね。偶然いっぱい咲いてるとこを見つけて摘んできた。場所は秘密」
すかさずダニーが口を挟みました。
「え~、なんでだよ~、教えろよ~」
「ダメ」
シスターグレースが胸の前で手を合わせました。
「なんということでしょう……。そのような場所が見つかるなんて、まさしく天使様の思し召しですね」
シスターグレースは、一片たりともリーゼの作り話を疑っていないようです。
ですが、商人のエリオは違います。リーゼが三日月の湖へ行ったことを確信していました。ヨルリラ草はどこにでも咲くような花ではないからです。あの伝説とも、ただの噂話ともいえる湖にたどり着いたとしたら、その情報の価値は計り知れません。――ですが、エリオはあえて追求しませんでした。利を急くのは二流の商人がすること。
「わかりました。仕入れ先を明かさないのは商売ではよくあること、問題ございません。ぜひ、すべて私にお売りいただけないでしょうか? 近隣の街で一番大きいギルジアの店へ早馬で送りますので、お支払いを数日お待たせしてしまいますが、相場の買い取り価格より1割高くお引き取りします」
リーゼはシスターグレースに視線を投げかけました。「どうする?」と問うように――。
「リーゼ、身分証によると、エリオさんは王国全土で幅広くご商売をされているセルジオ商会の方ですよ。お任せするのがよいと思います」
「シスターがそれでいいならいいよ。けど……」
リーゼがエリオの顔をじっと見ました。
「持ち逃げしないよね?」
「リ、リーゼ、なんてことを……」
思わぬ言葉でした。聖職者であるシスターグレースにとって、人を疑うなど以ての外なのです。
けど、リーゼはエリオに向けた視線をそらしません。大きな黒い瞳が、真意を見抜くようにエリオに向けられています。
エリオは動ずることなく、頭を下げました。
「商人は利ある限り、裏切らぬものです。ご信頼を」
ああ、そういうことか――。リーゼは納得しました。
(持ち逃げすると、もう二度と私たちからヨルリラ草を買えなくなるし、損になることはしないんだ)
黒い瞳の光が和らぎました。
「じゃあ、よろしくね」
「かしこまりました。末永くお取り引きをお願いいたします、リーゼ様」
「様!? なにそれ!? リーゼって呼ぶって言ってたよね!?」
「あなた様はもう私の大切なお客様です。呼び捨てなど、とんでもありません」
「ヤダ! 絶対ヤダ!」
「いえ、立場は明確にすべきなのです。今後は、何事もこのエリオに遠慮なくご用命ください」
エリオはまた、深々と頭を下げた。
(もう、なんなのこの人? まるで従者みたいなんだけど?)
「やーい、リーゼ様、リーゼ様」
はやし立てるダニーを、リーゼはにらんで黙らせました。ダニーは言葉を呑んでピクリとも動きません。大きな黒い瞳が半分になると、脅しの効果てきめんなのです。
◆ ◆ ◆
――数日して、無事にエリオからヨルリラ草の代金が支払われました。
ヒルラ草のおよそ30倍の金貨が詰まった布袋に、シスターグレースは喜びのあまり気を失いかけました。
リーゼは念のために、街の小さな商会に出向いてヨルリラ草の買い取り価格を確認しました。エリオの言葉にウソはなく、相場の1割増しの金額が支払われています。
今後もお願いして大丈夫そう――。リーゼはほっと一安心です。
夜になって、夕食の時間が来ました。
「うおぉおぉぉ! 肉だ! 肉だーーーッ!」
ダニーの雄叫びが食堂にこだまします。
いいえ、ダニーだけではありません、孤児たちがみんな一斉に歓喜の声を上げています。
「このパン、フカフカだぞ!」
「お肉がいっぱ~~いっ!」
テーブルに並んでいるのは、オーブンで焼いたコッコ鳥の足と、コッコ鳥の胸肉と野菜を煮たシチューです。コッコ鳥はニワトリそっくりの鳥で、お手伝いしてる畑や農場でよく飼われています。
(もしかしたら、あの子たちかも……)
そう思うとリーゼの胸は痛みますが、お肉はとってもおいしいです。
エミリーはもう幸せで、スプーンから口が離せなくなっています。
「おいひいね~、リーゼ~。あひがとう~」
「ううん、ヨルリラ草が見つかるなんて、ラッキーだったよ」
シスターグレースによると、これから週に一度はお肉が食べられるようになるそうです。
食事だけではありません。服を綺麗にしたり、壁を直したりと、お金の使い道はいろいろで、暮らしがどんどん良くなっていくのです。
リーゼは毎日が楽しみになってきました。
◆ ◆ ◆
週末は驚いたことに、お小遣いをくれました。銅貨を3枚もです。
これはもう自由市へ行くしかありません。みんな、我先にと教会から駆け出していきました。
自由市は、週末に噴水広場で開かれるフリーマーケットのようなものです。オーデンの街だけではなく、近くの街や村からもお店がやってきて、屋台や露店を並べます。
いつも賑わいを見せていますが、リーゼたちはお金がないので遠くから眺めているだけでした。――けど、今日は違います。みんなお客さんなのです。
ダニーとニコラはさっそく串焼きを頬張っていました。
(ホント好きだよね、お肉)
あきれた半目を向けるリーゼの袖を、エミリーが引っ張りました。
「ほら、リーゼ、あっちあっち!」
そう、リーゼとエミリーには目当てのものがあるのです。それは、香ばしくて甘い匂いを漂わせるクレープ屋さん。
駆け寄ってきた孤児院の子が銅貨を持ってきたことに、クレーブ屋のおばさんは驚きましたが、すぐに笑顔になると、いつもの魔法みたいな手つきでクレープを作り始めました。
丸い鉄板に生地を薄く伸ばして、焼き上がったら、リンゴに似たアプールという果物のジャムとクリームを乗せて、三角に折り畳んで出来上がりです。
リーゼとエミリーは出来たてのクレープを両手で持っているだけで、ワクワクが止まりません。せーので口いっぱいに頬張ります。
「甘~い! おいしい~っ!」
2人揃って、笑顔が弾けました。スイーツを食べたのなんて何ヶ月ぶりでしょう。フワフワのクリームも、シナモンっぽい風味の温かいアプールも、いくつも折り重なった焼き立ての生地も、口の中でとろけて一気に食べてしまいそうです。
(ダメダメ、市場を回りながら食べるんだから)
お店を見て回るのって、不思議です。絶対買えないとぜんぜん楽しくないのに、いつか買えるかもと思うと服も雑貨もキラキラしています。
とってもかわいいリボンのヘアアクセがありました。2人の少女は「お小遣いを貯めて、いつかお揃いで買おうね」と、約束したのでした。
◆ ◆ ◆
クレープを食べ終わって、2人がほわほわとしていると、噴水の方からリズミカルな音楽が聞こえてきました。リーゼにしてみれば、この世界で初めて聞く楽器の音です。
リーゼは駆け出しました。エミリーも慌ててついていきます。
噴水の前に着くと、人の輪が出来ていました。輪の中心ではきれいな女の人が足を踏みならして踊っています。ドレスも長い髪もみんな赤で、裾を振り乱しながら踊る姿はまるで炎のようです。
後ろでは2人の男が音楽を奏でています。1人がギターのようなものをつま弾いて、もう1人は足の間に大小2つの太鼓を挟んで叩いています。
リーゼは思いました。旅の動画でこんな踊りを見たことがあると。あれは――スペインだったでしょうか?
(フラメンコだっけ? ちょっと似てる気がする)
耳元で声がしました。
「旅芸人に興味があるのですか? リーゼ様」
「うあ! エリオ!」
顔を向けると、エリオの顔がすぐそばにあります。
「き、興味っていうか、きれいなターンだね。軸がぶれてないし、とっても速い」
「これはお目が高い。彼女は王国を股にかける踊り子、火のサラですよ」
「知ってるの?」
「衣装などをご用意させてもらってます。お互い旅をしていると、時々こうして一緒の街になりますのでね」
「ふうん……」
エミリーがこそっと、ささやきました。
「リーゼ、すごいね。あんなにお金がいっぱい」
「……そうだね」
見物している人たちが、楽器の箱に銅貨を投げ入れていきます。
「夜の酒場ではもっとすごいですよ。一晩で大金貨1枚を稼ぐと言われてますから」
「そんなに!?」
あまりの金額にリーゼとエミリーの声が揃いました。
「それだけ、お客様を呼べる踊りだということです」
「ふうん……わかるよ。技術も表現もすごいもん」
火のサラを見つめるリーゼの瞳は、ただ感心してるだけではありません。学ぼうとしています。両手が自然とサラの動きをトレースしているのです。
三日月の湖からヨルリラ草を採ってきただけでなく、踊りにも理解がある黒髪黒瞳の少女――。エリオはますますリーゼに興味が湧いてきました。
◆ ◆ ◆
格式を感じさせる部屋の中で、恰幅のいい男が年季の入った机をこれでもかと叩きました。男の指には高価な指輪がいくつもはめられています。
「なんだと! 孤児院の暮らしが改善してるだと!?」
若い騎士が直立したまま答えました。
「はっ、そう報告を受けております」
「なぜだ!? 援助金を下げたばかりではないか!」
「それが……どうやら、ヨルリラ草を手に入れたようでして」
「なにィィ? ヨルリラ草だとォォ?」
男の二重顎がゆがみます。
傍らで控えていた屈強な男が声を上げました。
「バカな! 北の森へ入ったとでも言うのか!?」
屈強な男が身につけている鎧には金の装飾が施され、一見して位の高い騎士だとわかります。
勢いに気圧されながらも、若い騎士は答えました。
「ヨ……ヨルリラ草の取り引きが活発になっており、孤児院の娘が相場を聞いていたとのことです」
恰幅のいい男は舌打ちすると、締まりのない背を向けました。眺める窓からは、夕日に染まるオーデンの街が一望出来ます。
「……まぁいい、楽しみが延びただけだ」
金ピカの騎士が尋ねました。
「如何致しますか?」
「――決まっているだろう?」
窓ガラスに映った白目がちな目が、ギョロリと動きました。
「泣いてもらうんだよ、あの美しいシスターにな」
――どうやらリーゼには、新たな試練が待ち受けているようです。
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