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62 命、断たれても

(ああ……ついに人前で転じてしまわれた……)


 “闇の大穴”だったくぼみの中央に現れた聖騎士の姿に、エリオは唇を噛んだ。


 戦っていた者たちは一様に息を飲んでいる。リーゼとリィゼが同一人物であると予期していたゴラン王やエリオの従者たちでさえ、言葉を失った。


 最も狼狽しているのがディツィアーノだ。


「バ、バカな……人が……エルフに……」


 まるでこの世の理が覆えってしまったかのように、膝をガクガクと震わせ、2歩、3歩と後ずさっていく。


 エリオが舌打ちした。


(一番見られたくない男に……。誤魔化すには見た者が多すぎる……)


 そう――。くぼみの淵に並ぶ者たちは、数百人を下らない。


 勇者であり、聖騎士であるなどと、存在が特別すぎる。ゴラン王や鍛冶職人たちは、聖剣の打ち手であるリームとも結びつけるだろう。あまりに途方もなく、神話ですらあり得ない存在だ。その力を利用しようと近づく者、排除しようとする者、嫉妬、妬み――あらゆる人の醜さが主と慕う少女へと集まってしまう。まるで、“闇の大穴”に溜まった瘴気のように。


(何としても……私がお守りせねば)


 少女の輝きを失わせはしない――。エリオの細い拳が、固く握られた。




「ウ……アァアァァァァ!」


 闇と一体になったシャルミナが、黒いリィンの剣を振るった。聖騎士リィゼは上半身を軽く反らして、難なくかわす。


「お前……ガ……聖騎シ……だト? 憎イ……憎イィイィィィ!」


 リィンの剣と背の4本の鎌が目まぐるしく振るわれる――が、リィゼを捉えることはない。


 リィゼは聖剣を一閃し、シャルミナを弾き飛ばした。


「ウ……ググァァ……」


 2本の鎌が断ち切られたが、すぐに再生していく。


「聖騎士……様……。やっぱり……リーゼが聖騎士様だったんだね」


 背後に視線を移すと、あまりのことにしゃがみ込んでしまったアメリアがいる。リィゼはそっと頷いて、告げた。


「これから……何があっても、私を信じてくれる? 絶対に……シャルミナを助けるから」


 リーゼと同じ形をした碧いエルフの瞳が、悲しげな輝きで揺れている。そんな切なそうなリーゼを見たことがない。――アメリアは、胸の前で両手をきゅっと結んで答えた。


「うん……信じてる。リーゼはいつだって助けてくれたもの。たくさんの命を救ってくれたもの」

「ありがと」


 腰まで伸びた金色の髪が翻り、闇に支配された悲しき聖騎士に向き直った。


「グアァアァァァァ!」


 シャルミナは、あらん限りの力を振り絞って襲いかかってくる。リィゼは身構えることすらしない。


「リーゼ!」


 4本の鎌がリィゼを抱きしめるように覆い被さった。立ったままのリィゼは無残に切り刻まれた――かに見えた。


「う……グググ……」


 だが、ぐらりと体を傾けたのはシャルミナの方だった。


聖なる(ホーリー)……(ソード)……」


 まばゆい聖剣の刀身が背中から突き出し、噴水のように黒い血しぶきが吹き出した。


「グハッ……アァァァァ……」


 シャルミナが真っ黒な血を吐いた。血はそのままリィゼの顔を濡らすが、蒸発したかのように無に還っていく。


「これデ……イイ……。おマエなラ……私ヲ……殺せ……るト……おもっタ……」

「イヤアァアアァァァ!」


 聖少女の絶叫が響いた。


 リィゼは構わず、シャルミナの体を背から地に落とした。飛び出ていた剣身が押し返され、まるで墓標のように胸から突き出した。


 仰向けに横たわる体に、アメリアがすがった。


「お姉さま! お姉さま!」


 黒い血で汚れることも気にせず、体を揺する。


 徐々にではあるが、闇に染まっていたシャルミナの顔が、元の白さを取り戻していく。聖剣がシャルミナを蝕んでいた闇を吸い上げているのだ。生えていた鎌も、ボロボロと崩れて消え失せた。


「お姉さま! 今、聖回復ホーリーヒールを!」


 かざしたアメリアの手を、リィゼがつかんで止めた。


「ダメ。聖剣が闇を全部浄化するまで、そのままにして」


 傍らを飛んでいた妖精ウィンディーネも首を振っている。


「そんな……」

「ア……メリア……」


 白目を剥いていたシャルミナの目に、銀色の瞳が戻った。だが、その光は弱々しい。


「お姉さま!」

「ゴメン……ね。あなたが……妬ましかった……の。お父様の愛を受け……母に……愛されて……」


 シャルミナの瞳から涙がこぼれた。透明な……きれいな輝きが……。


「あなたは……私が欲しかったもの……みんな持ってるんだもの……。みんなに……愛されてるんだ……もの……」


 アメリアの瞳からも、大粒の涙がポタポタと溢れ落ちた。


「お姉……さま……」


 シャルミナの口元に、素直な微笑みが浮かんだ。虚勢を張った、いつもの傲慢な笑みではない。


「姉……らしい……こと……出来なくて……ゴメンね……」

「お姉さま!」

「アメ……リア……」


 悲しみの聖騎士が、そっと瞳を閉じた。すでに闇に覆われた痕はなく、元の白いホムンクルスの体に戻っている。――だが、その瞳が開くことは……もうない。


 リィゼが無造作に聖剣を引き抜いた。ハイミスリルの剣身は“闇の大穴”の全ての闇を吸い取っても、まだその輝きを失っていない。


「リーゼ……お姉さまが……お姉さまが……死ん……じゃった……」


 リィゼは返事をする代わりに、こくりと頷いた。


「助けるって! 助けるって言ったのに!」

「…………」


 リィゼは、黙ったままだ。




 リィゼの行いを信じられない者が、もう1人いた。――エリオだ。


(バカな! 誰よりも死を嫌い、全ての者を助けてきたリーゼ様が、自らの手で人を殺めるなどあり得ない! 何か……何かあるのだ!)




 アメリアが、金色の髪をふるふると左右に揺らした。


「ううん……リーゼはウソをつかない。信じてる……助けてくれるって」


 リィゼは、にっこりと笑った。


「ね、5秒ルールって知ってる?」

「え……?」


 唐突に場違いなことを聞かれて、アメリアは固まった。


「落とした食べ物を、5秒以内に拾えば食べられるってルールなんだけど、そんなのウソだよね。一瞬でも落ちたら、お腹こわすから食べちゃダメ」

「リーゼ……いったい何を……」

「けどね、私にはウソじゃない5分ルールがあるの。5秒じゃなくて、5分ね。それまでなら――」


 リィゼは聖剣を地に置くと、はにかむように笑った。


「この姿を見ても、お友だちでいてね」


 それは、慈悲に満ちた笑みだった。優しくて、それでいて寂しそうな――。アメリアは、その面影を見たことがある。どこで? あれは……生まれ育った教会の礼拝堂……。



 “天より授かる白き翼

  皆を守って羽ばたかん

  どんな命も癒すから

  天使エリーゼ、ここに降臨”



 重力から解き放たれたように足先が地を離れ、まばゆい光が体を包んだ。

 そして――


 真っ白い左右の翼が背中から伸びた。


次回更新は、8/7(日)に『脂肪がMPの無敵お嬢さまは、美少女なのにちっともモテない!』をアップ予定です。

https://ncode.syosetu.com/n8373hl/

↑もしくは画面上の、作者:イリロウ のリンクから。

どちらも読んでもらえるとうれしいです。


【大切なお願い】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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