50 サキュバス
混戦続く城の中庭に、突如として禍々しい巨獣が現れた。凶暴な顔は背後の円塔の半ばに達し、全身が禍々しい紫の鱗で覆われている。
その異様は、ムカデの群れと生死ギリギリの戦いを続けている騎士たちを、絶望に落とすに十分だった。死を覚悟した体が震え、ガチガチと歯が音を立てる。
誤解に気づいたオイゲンが声を張った。
「安心しろ、味方じゃ! 聖騎士リィゼ殿の従者、グレープ殿じゃ!」
オイゲンの言葉通り、紫の巨大なトカゲは騎士を攻撃することなく指先で丁寧に騎士を避けると、ムカデを両手でつかみ上げた。抵抗する鎌など気にも留めずに、ボリボリと頭から咀嚼していく。――ゴクリと喉を鳴らすと、次のムカデを手にした。騎士たちが苦戦していたムカデが、この巨大なトカゲの前ではただのエサでしかない。
おおーっ! 思わぬ強力な援軍に、騎士たちが沸いた。
密集する騎士の間を抜け、オイゲンがシャルミナに耳打ちした。
「グレープ殿が現れたということは、聖剣は打ち終わったと見える。炉を護るより陣形の立て直しじゃ」
「鍛冶屋風情が、この私に指図するというのか?」
血みどろの地獄絵図の中、オイゲンは笑った。
「ガハハハ! おかしなことを言う娘じゃ。お主の祖父はワシと同じドワーフの鍛冶屋じゃぞ? くだらん意地を張らずに、一旦退くんじゃ!」
騎士団長のバルロイもシャルミナに顔を寄せた。
「聖剣が御身に届けば、道も切り開けるというもの。ここはオイゲン殿の言う通りに」
「バルロイ……おのれ……お前まで」
シャルミナは、はっきりと聞き取れる舌打ちをすると、剣先を天に向けて命じた。
「もう炉を護らずともよい! 後退してムカデを取り囲め! 1体ずつ仕留める!」
おお……。騎士たちから、安堵とも返事とも取れる声が漏れた。ようやく見出された勝機に、騎士たちは互いの肩を支え合って下がり始める。
「良き策にございます」
頭を垂れるバルロイの姿が、むしろシャルミナを逆撫でした。
「お前たちの助言など求めておらん! 下がれ!」
「はっ!」
「やれやれ、面倒くさい姫様じゃて」
シャルミナが眉間を引きつらせて睨んだが、老ドワーフは素知らぬ顔で戦斧を振るい続けた。
◆ ◆ ◆
聖なる光の柱が収まると、アメリアは意識を失った。慌てて駆け寄ったラルの腕の中で、がっくりと首をもたげる。
辺りにはもう液魔の姿はなく、体を覆われていた冒険者の体も癒えている。
アメリアの小さな体をそっと抱き上げたラルに、サラとズーイが駆け寄った。
「息はしっかりしておられます。魔力を一気に放出して、気を失ったんでしょう」
「そうかい……」
地に垂れた右手にかろうじて握られたミスリルナイフが、ゆっくりと金色から本来の青い輝きに戻った。
「さすが聖少女様といったところだねぇ。この辺りの液魔がみんな滅せられちまったよ」
「ナイフでこの力なら、聖剣を持てばどうなるのか……」
ズーイの言うことはもっともだ。
「素質は十分だねぇ。剣さえ振れるようになればだけど」
ゾクリ。――不意に、アメリアを囲む3人の背に冷たいものが流れた。
「誰だ!」
サラが叫んだ通りの先から、ゆっくりと人影が迫ってくる。背にあるコウモリの羽から見るに、人ではない。
「ラル!」
「はっ! 鑑定!」
ラルがすかさず、【ステータス】を見抜いた。
「名前、ディルバラ! 種族、サキュバス! レベルは……」
ラルの顔が青ざめた。信じられない数値がそこにある。
「いくつなんだい!」
「よ……40……」
「なッ!? 限界いっぱいだって!? 神話級の魔物じゃないか!」
顔がはっきり見える距離――。建物2つ分ほどに来ると、ディルバラという名の魔族は歩を止めた。
「その娘を殺しに来たの。渡してちょうだい?」
「ふざけるな!」
「あなたに聞いてないわよ。ね、そこの太っちょさん」
長い爪の指先から、キスが投げられた。すぼめられた唇があまりにも蠱惑的で、吸い込まれるように見入ってしまう。
「ほら、さっさと持ってきて」
「は……はい……今すぐ……」
ラルがアメリアを抱えたまま、ふらりと前に出た。目に生気はなく、まるで夢の中を彷徨っているようだ。
「ラル! あんた、あんな魔族の女に魅了されちまったのかい!?」
ラルの頬は熱を帯び、鼻息も荒くなっている。
「ハァ……ハァ……ディルバラ様……」
まるで酒場の踊り子にかじりつく客のような醜態に、サラが切れた。
「こンのエロおやじ、私の前で女に気を取られるとかいい度胸だね! 目を覚ませ!」
背後から、思いっきり股間が蹴り上げられた。
はぐあぁあぁぁぁッ!
男にしかわからぬ痛みを想像して、ズーイが顔を背けた。
うぐぐぐ……。ラルは膝を屈したが、アメリアを落とすことなく踏みとどまっている。
「……ありが……とうございます。このラル……一生の不覚……。サラ様という……比ぶ者なき美女のおそばにいながら……あのような魔族に惑わされるとは……」
「わかりゃいいんだよ、わかりゃ」
神話級のサキュバスが呆れてクスクスと笑った。
「あら、私の魅了を解いたの? 意外とやるのね、人間のくせに」
「男をたらし込むしか能がない魔物は、さっさと帰んな」
「そんな生意気な口きいて……。いい死に方しないわよ?」
ディルバラの両手の爪が、ナイフのようにさらに伸びた。
サラが構えるミスリルのハルパーが、再び炎の色に染まる。
「ふうん……それ……イケナイ剣ねぇ」
サキュバスの艶めかしい舌が、右の人差し指の爪をなめた。
「私、女には手加減しないわよ?」
「それは、こっちも同じだ!」
地を蹴った両者の体が、一気に間を詰める。――聖少女を巡って、女と女の戦いが始まったのだ。
次回更新は、3/11(金)に『脂肪がMPの無敵お嬢さまは、美少女なのにちっともモテない!』をアップ予定です。
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もしくは画面上の、作者:イリロウ のリンクから。
どちらも読んでもらえるとうれしいです。
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