49 王太子の悲しみ
乱戦が続く城の中庭で、背後の空を見上げる者はいない。――その誰ひとり気づかぬ城の塔の先で、戦況を見定める影があった。
腰から生えるコウモリを思わせる翼に、申し訳程度に白い肌を覆う黒い革のボンテージ。女はため息を吐きながら、はち切れんばかりの胸を揺らした。
「ミスリルを持った森の狂王に、光の柱を放つ小娘。どっちも私の魅了が効かないのよねぇ」
長いまつげが、眼下に垂れる。その1つ1つの妖艶な仕草で男を惑わせるのが、サキュバスという魔物だ。
「無能が聖騎士になってくれたので聖剣はどうにかなりそうだけど、成果ナシじゃ帰れないし……」
長い爪を携えたしなやかな指が、左右に揺れた。
「狂王か……小娘か…………ど・ち・ら・を・殺・す・か・な?」
指が光の柱に向けて、止まった。
「フフッ、そんなの考えるまでもないわね」
闇を滅した光の柱が、ゆっくりと消えいく。
「ゴメンね、聖少女ちゃん。好みのオトコなら、虜にしてあげたのに」
サキュバスの女が飛び立った――。光の柱があった跡へ一直線に。
◆ ◆ ◆
この国の王太子は、生まれついての不幸を背負っていた。
ドワーフの血を引いて背が低く、エルフの血を引いているのに聖魔法が使えない。その上、病弱で、か細い腕は剣も振れなかった。
まるで役立たずのゴブリン――。
陰から聞こえてくる侍女たちの心ない言葉に、幼い王太子の心はいつも傷ついていた。
支えてくれるはずの母は、物心つく前に“闇の大穴”の封印で失われ、父は魔族との戦いで疲弊した国の立て直しに追われた。
人の愛を知らぬまま齢を重ねた王太子は、成人すると、子爵の娘と結婚させられた。
子爵の娘は、人の上に立つことしか興味のない女だった。醜い王太子に対して愛情はまるでなく、むしろ蔑み、見下していた。
王太子はそれでも、自分を受け入れてくれたことに感謝し、王太子妃の勝手な振る舞いを許した。何も出来ぬ自分が果たすべきことは、王の血を絶やさぬことだけだとわかっていたから。
王太子の名をユーリィ。
王太子妃の名をジョゼリアという。
3年の時が流れ、王太子夫婦は女児を授かった。エルフの血を引き、耳が少し尖った美しい娘に、ユーリィ王太子は安堵した。己の醜い容姿を受け継ぐことだけが心配だったのだ。
娘はシャルミナと名付けられた。
王家の血筋を引く娘を手に入れたジョゼリアにとって、ユーリィはもう不要な存在だった。娘シャルミナを次期王とすれば、己は摂政として国を牛耳ることが出来る。ジョゼリアはユーリィの死を願い、医師を遠ざけた。
授かった娘と引き離され、愛することも許されないユーリィは病の床に伏せたが、妻ジョゼリアを責めることはしなかった。偉大なる父ゴランの血を受け継ぐ娘を産んでくれたことへの感謝は、それほど重かったのだ。
城の寝所に幽閉された日々――。
ジョゼリアが用意した侍女たちは、醜い王太子をぞんざいに扱う者ばかりだったが、1人だけ献身的に尽くす娘がいた。
「ユーリィ殿下は、お強いお方ですね。お世話できて光栄です」
そんなことを言ってくれる娘は初めてだった。――名を、マーラといった。
マーラは懸命に仕え、寝所での幽閉生活で弱まるユーリィの命を灯し続けた。
人の愛に初めて触れたユーリィは、マーラに恋をした。
「マーラ……君を愛している」
たった一度の夜で、2人は新しい命を授かった。
ジョゼリアは激怒したが、ゴラン王が取りなした。王族の血が増えることは、王にとって喜ばしいことなのだ。
1年後、優しい顔をした女の子が産まれた。耳の先端にエルフの面影はなく、人の血を強く感じさせる娘を見て、ユーリィはアメリアと名付けた。それは、人の平民がよく使う名で、この先の娘の運命を悟っていたのかも知れない。
ジョゼリアの焦りは相当なものだった。まさか、あのゴブリンを愛する女が現れるとは――。ユーリィの愛はあの平民にあり、忌々しい娘に王位を継がせかねない。
対抗する力を求めるジョゼリアに、王宮を取り込む機を伺っていた天聖教会が近づいた。シャルミナを聖騎士とし、民の人気を集めれば王位は盤石なものとなろうと。それでもアメリアが邪魔なら、天の導きによって不慮の事故が起こるだろうと。
天聖教会とジョゼリアの策謀を恐れたユーリィは、アメリアの王位継承権を破棄した上で素性を隠し、2人をマーラの生まれた地であるサノワへ帰した。愛する女性と娘との別れは耐えがたかったが、また孤独に戻るだけのこと。2人の身の安全が何より大事であった。
ゴラン王は、貴族の娘をあてがい、王太子の幸せを急いだことを恥じた。何も出来ぬ息子が、無償の愛を得られるとは考えていなかったのだ。聖騎士学園で学んだジョゼリアは、剣技に長けて美しく、リィンの血を受け継ぐに相応しいと思えた。
――ジョゼリアと引き合わせなければ、息子はマーラと幸せに暮らせたのだ。
己の浅はかさを悔やむゴラン王を、ユーリィは責めなかった。平民のマーラを自分にあてがったのはジョゼリアであり、ジョゼリアと一緒にならなければマーラとの出会いはなかったかも知れない。父のため、民のため、いつか再び会えるやも知れぬ妻と娘を想い、しぶとく生きぬくだけだ。
(我が息子は、誰よりも強い。城の窓からしか望めぬこの国を、愛しておる)
目頭を押さえる屈強な王の頬を、涙が伝った。
――それは、醜い王太子と、悲しい王の物語。
◆ ◆ ◆
地下の鍛冶場に響いていたハンマーの音が止まった。
神々しい輝きを放つ刀身を前にして、ドワーフの少女が肩で息をしている。
片目の男は、信じられぬものを見るように、ただ黙って凝視していた。
2人から少し離れたところで見守っていたエリオは思った。
この世に存在していい剣ではない――。まるで天界から授かったようだ。
「グレープ、上へ行って、中庭の“闇の空”を蹴散らして」
シャーッ! 紫のトカゲは悪そうな顔をすると、普段は見せない素早さで床を駆けていった。扉をどうするのかと思ったけど、舌を器用に使って開けてった。
部屋にいるのはもう、ゴランとリーム、そしてエリオだけだ。
「握りを付けて、仕上げるのは任せてもいい?」
ゴランが顔を上げた。
「立ち会わんのか?」
「アメリアが心配だから、行く」
「そうか……」
ゴランは、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ね、1つ聞いてもいい?」
「何だ?」
「アメリアって、娘、孫、どっち?」
意外な問いに、ゴランは虚を突かれた。なぜ、我が血族であることにたどり着けたのか……? あり得るとしたら……
「あのナイフを見たのか?」
「うん。リーゼだけにって見せてくれた」
「そうか……仲が良いのだな。あの子を知り合いの娘などと、偽ってすまなかった」
頭を下げたゴランが顔を戻すと、強面に似合わないお爺ちゃんのような顔があった。
「あれは、ワシの孫だ。目に入れても痛くないほどのな」
満足のいく答えだった。どういう理由でアメリアのことを隠してるのかわからないけど、大切に思ってるのなら取りあえずいい。
「そっか。絶対守るから、安心して」
「……頼む」
また、ゴランが頭を下げた。深く……長く……。
「エリオはこのまま立ち会って」
「仰せのままに」
胸に手をあて頭を垂れるエリオを尻目に、リームはグレープが少し開けたままにした扉に向かって駆け出した。――大好きなお友だちを守るために。
次回更新は、3/2(水)に『脂肪がMPの無敵お嬢さまは、美少女なのにちっともモテない!』をアップ予定です。
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