07 三日月の湖
更新履歴
2024年09月19日 第3稿として、大幅リライト。
2021年12月07日 第2稿として加筆修正
少女を乗せた巨漢のクマが、森の中を四本足で駆けていきます。迷いなく木々の間のわずかな隙間をすり抜けていく様は、まるでテーマパークのアトラクションを早回しで見ているようです。
「うわぁ~っ! 速い速い!」
背中ではしゃぐリーゼに、ブラッディマッドベアも満足そうです。
小さな池が見えてきました。池といっても子供用のビニールプールほどの大きさで、マップにも小さすぎて表示されないようです。
「あそこがそう? ずいぶん小さいね」
ブラッディマッドベアは返事の代わりに鼻で笑うと、駆ける勢いのままジャンプして、頭から池に飛び込みました。
(うあっ! ちょっっ!?)
クマの巨体を飲み込んだ池が、噴水のような水柱を上げました。
リーゼは必死でブラッディマッドベアの首にしがみつきます。というのも、リーゼは泳げないのです。
――生前、凜星は誰にも負けない運動神経を持っていました。かけっこで女の子に負けたことはないし、ジャンプだって、ボール投げだって一番でした。けど、水との相性だけは最悪で、どんなに練習しても水に浮くことが出来ません。見かねたお父さんが熱血指導をしたのが、逆効果だったのかも知れません。どんどんどんどん、泳ぐのが嫌いになっていきました。
(溺れちゃう! 戻って!)
リーゼは思わず、ブラッディマッドベアの首を締め上げました。
「モガッ!」
レベル120の絞め技です。ブラッディマッドベアの赤い毛並みの下の顔が、みるみる真っ赤になりました。
ブラッディマッドベアはなにかを伝えようと、必死に深呼吸の真似をします。
(なに? 息ができるとでも?)
よく見ると、周り50センチくらいにシャボン玉の膜のようななのが出来ています。長い赤毛の間から漏れた泡が、空気の層を作っているようです。
リーゼは思い切って、息を吸ってみました。
すーっ。――吸える! 息が出来る!
「ゴメン、ゴメン。すごいね、偉い、偉い」
リーゼはブラッディマッドベアの頭を撫でてやりました。
ブラッディマッドベアは得意げに鼻を鳴らして、さらに底へと潜っていくのでした。
――池の中は外から見るより、ずいぶん深くて広いです。碧く透明な水の中を、カラフルな魚や水草がいっぱい揺れてます。
(おサカナさんやカメさんがいっぱい泳いでる。フフッ、私のクマさんと競争だよ。あ、ワニさんは怖いから向こう行ってて)
絵本のような光景に、リーゼのワクワクは止まりません。水の中を泳ぐなんて一生ないと思っていたので、とってもうれしいハプニングです。
水草の茂みの中から洞窟が見えてきました。ブラッディマッドベアは躊躇することなく、中へ入っていきます。
暗闇のはずの洞窟の中は、苔のおかげでうっすらと青く浮かび上がっていて、ずいぶん先に洞窟の終わりを告げる明かりが漏れています。きっと、その先にあるのが――。
「プハッ!」
水面に顔を出したブラッディマッドベアとリーゼが、一緒に大きく息を吸い込みました。息を止めていたわけではないのですが、地上に出た安心感がそうさせたようです。
ブラッディマッドベアはリーゼを背負ったまま、のそのそと三日月の弧を描く湖岸に上がっていきました。
湖の大きさは25メートルのプールがいくつも入るほどで、リーゼには一生かかっても泳ぎ切ることが出来なさそうです。
ここは、どうやら地中の空間のようです。それなのに、空には一面の星ときれいな三日月が浮かんでいます。苔かなにかがそう見せているのか、【マイルーム】と同じように空間転移したのかは定かではありませんが、おそらくここは一年中夜なのでしょう。
ブラッディマッドベアは大きなあくびをすると、のっそりと横たわってくつろぎ始めました。まるで、一仕事終えたあとのおじさんです。おじさんクマは、手元の花をむしるとムシャムシャと食べ始めました。
「ちょっ! それ、ヨルリラ草!」
そうです。池の周りの一面に、スズランに似た小さな花が無数に咲いているのです。
「そんな……あり得ない。希少素材だよ?」
驚くリーゼをよそに、ヨルリラ草を食み続けるブラッディマッドベアは、赤毛がピカピカのツヤツヤになっていきます。出会ったときにリーゼが蹴って減らした体力など、もうすべて回復していることでしょう。
「ヨルリラ草が食べ放題だなんて、このクマ、贅沢すぎじゃない?」
リーゼはため息をつきました。ここにあるヨルリラ草をすべて売ったら、暮らしが良くなるどころか、お城が買えてしまいそうです。
「クスクス、お金に目が眩んじゃった?」
いきなり耳元で声がしたので急いで振り向くと、手のひらほどの小さな妖精が羽ばたいていました。毛先がカールした金色のウェーブヘアーに、勝ち気なルビー色の瞳が印象的で、夜空みたいなブルーのドレスをまとっています。
「ううん、そんなことないよ。ちょっとだけ売って、孤児院の暮らしを良くしたいだけ」
「ふ~ん、ヒトのくせに欲がないのね。ヘ~ンなの」
「ううん、欲ならあるよ。おいしいご飯が食べたいし、きれいな服を着たいもん。希少な素材は希少なままでいてくれた方が、都合がいいってだけ」
「あら、ズル賢いのね。すっごくよくってよ、ヒトらしくて」
「それ、褒めてる?」
「ちっとも」
「だよね」
妖精とリーゼは一緒にクスクスと笑い合いました。
「私、リーゼ」
「私はウィンディーネ。ウィンディって呼んでくれていいわよ、勇者さん」
「えっ」
「妖精の目はなんでもお見通しなの。勇者でしかもレベル120。3桁なんて初めて見たわ」
「……やっぱり珍しいんだ?」
「珍しいっていうより、世界の理を壊してるって感じ? クスクス」
悪戯っぽく笑う妖精の話を、横たわるクマが目を丸くして聞いていました。あまりの驚きに、口からヨルリラ草がこぼれています。
「そこの赤クマが誰かを連れてきたのは300年ぶりなの。あんなアホ面だけど、ずっとここを守ってくれてるのよね」
「そうだったんだ……って、300年も生きてるの!?」
「そんなの普通よ。あの赤クマはクマ族にしては長生きだと思うけど、あれだけヨルリラ草を食べてればね」
――ヨルリラ草食べ放題ならあり得るか。と、リーゼは納得しました。
「ね、300年前に来たのって?」
「先代の勇者よ。ここからいっぱいヨルリラ草を摘んでいって、世界に広めたのも彼」
「ふうん……そっか……」
「あなたも好きなだけ持って行っていいのよ? 私がいる限りいくらでも生えてくるんだから」
「ホント!? ありがと!」
怠けてたクマがせっせとヨルリラ草を摘み始めました。
「あら? 採ってあげるの? この子のことそんなに気に入ったんだ?」
ブラッディマッドベアは、小さく吠えながらうなずきました。
「なら、リーゼ、あのクマに名前つけてあげればいいんじゃない?」
「名前? どうして?」
「なついてるんだもの、遠慮はいらないわ」
「いいの?」
ブラッディマッドベアはうれしそうに、こくこくとうなずきました。
「じゃあ……赤いクマだから……赤いベアーで……アカべぇ!」
「ウガーーーッ!」
ブラッディマッドベアは雄々しく立ち上がると、眩しい光を発しました。
「なに!? なに!?」
光が収まると、ピンク色のクマがこちらに跪いています。まるで、騎士が王に仕えるように。
「すごいわ! クラスチェンジよ! クマ族の最上位のさらに上になったのね。クスクス、リーゼにかかれば世の理なんて、あってないようなものね」
「もうブラッディマッドベアじゃないってこと?」
「調べてみればいいんじゃない? 主なんだからわかるでしょ?」
「主? あのクマ、私の従魔になったの!?」
「正しくは聖従魔ね。勇者の従魔なんだから」
リーゼはショートカットワードを唱えて、【ステータス】を開きました。
【聖従魔1】
【名 前】アカべぇ
【種 族】ブラッディブレイブベア
ブラッディマッドベアが、ブラッディブレイブベアに変わっています。
「……ブラッディなのは変わらないんだ」
「クラスが変わっても、性格は変えられないものよ」
リーゼと妖精はまた笑い合いました。
2人は気が合うのか笑顔が絶えません。並んで座って、ゆっくり話すことにしました。
「ね、前に来た勇者ってどんな人だったの?」
「そうねぇ……前向きで、正義感が強くて、どんな困難にも立ち向かっていって……。まさか、ホントに最凶の魔王を倒すなんてね」
「……すごい人だね」
「すごすぎて死んじゃったけれどね」
「……え?」
「王様や貴族に妬まれてしまったのよ。ありもしない罪をなすりつけられて……処刑されたわ」
「ヒドい……」
遠吠えのような嗚咽が響きました。ヨルリラ草を採っている手を止めたピンクのクマの両目から、大粒の涙がこぼれ落ちていきます。
「アカべぇ……」
「あ、そのクマ、ヒトのこと恨んでるから気をつけてね。前の勇者とは戦友で仲がよかったの。ヨルリラ草を漬け込んだお酒を一晩中飲んだりしてね」
「一晩中って……ここ、ずっと夜じゃないの?」
「そう。だから潰れるまでずっと飲んでいたわ。ヨルリラ草の摂りすぎで、バカみたいに騒いでね」
ウィンディは、懐かしい勇者の面影を夜空の月に浮かべました。
「ホント……バカよ。ヒトのために戦って、ヒトのせいで死んじゃうなんて……」
「ウィンディ……」
「リーゼも気をつけなさい。たとえレベル120でも、ヒトの謀略にかかったら……死ぬわ」
「もう、怖いこと言わないでよ」
リーゼの投げた石ころが、水面に波紋を作っていきます。広がる1つの1つの輪が、まるで命の輪廻のようです。
(死ぬなんて……経験したとこだし、しばらくやめときたい。……またいつか……死ぬんだろうけど、人に妬まれて……なんてヤだな……)
凜星は体操がよく出来たせいで、周りの子から妬まれていました。――妬まれないように、目立たないようにと過ごしてきたのに、今度は勇者だからと妬まれて、殺されるかもしれないのです。
不安に駆られたリーゼの肩を、ピンクの指がトントンと叩きました。
振り向くと、ピンクのクマがヨルリラ草を両手いっぱいに抱えて、ニッコリと笑っています。
――そう。リーゼにはもう頼もしい仲間がいるのです。ピンクの毛並みが着ぐるみのようですが、最強を越えたクマ族の戦士です。
(ピンクになるなら、先に言ってよ。――モモべぇにしといたって)
不満そうなリーゼにピンクのクマが小首を傾げました。摘んできたヨルリラ草をなぜ喜んでくれないのが疑問なのです。
(まぁ、いいけどね。赤っぽいピンクだし、オシャレな色だよ)
リーゼが笑いました。釣られてピンクのクマも、丸い顔いっぱいに満面の笑みを浮かべたのです。
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