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43 狂王の覚醒

 ネイザー公国の公都、ハーバルの夜は明けなかった。


 東から昇る太陽が北西から垂れ込めた巨大な闇に覆われ、光を隠したのだ。それはまさに“闇の空”というべき巨大さで、一面の青空を分厚い闇が包んでいる。


 まさかこれほどの闇が襲来するとは――。黒い空に街の住民は恐れおののいた。


 “闇の大穴”の監視砦から、ハーバルの護りのために派遣された騎士団長ヴォルフの声が響く。


「住民は家の中から絶対に出るな! 液魔スライムに体を焼かれるぞ!」


 通りで空を伺っていた住民たちが家に駆け込み、入口の戸に板を打ち付けた。窓にはすでに板が張られている。避難ぜずに街に留まった住人たちは、街の大工やロアンの鍛冶職人の力を借りて、出来る限りの備えを施していた。


 騎士たちも、四つ角ごとに備えた天幕テントに身を潜めた。落下する“闇の空”をやり過ごした後で、液魔スライムや黒いムカデを撃破する算段だ。四つ角ごとに天幕テントがあるのは、あらゆる方向に敵を挟み撃ちにする、あるいは退却するために考えられた戦術だった。天幕テントには聖水が塗られていて、ある程度は液魔スライムの酸に耐えるとの目論見だ。


 そんな中、のしのしと無防備に、東の町で一番大きな広場に歩み出る影があった。家ほどもある体躯とピンクの毛並み――森の狂王、ブラッディブレイブベアのアカべぇだ。


「狂王殿! 闇が落ちます! 避難を!」


 ヴォルフの忠告をアカべぇは鼻で笑うと、空を見据えた。

 誰も死なせるな――それが、主の命令だ。

 何千、何万の闇が襲おうと、一歩も引く気はない。



  ◆  ◆  ◆



 商業区である西の街は、すでにどの商店も固く戸が閉ざされ、天幕の中では冒険者たちが控えている。

 数々の修羅場を越えてきたであろう冒険者たちの面構えに臆するところはないが、想像を超えた闇の襲来に、どの者の顔にも引きつったような笑みが貼り付いている。


 開戦の時はまだか? 前衛の者は盾を構え、後衛の者は汗ばむ手で杖を握った。



 路地裏の大きな天幕テントにランドリックが入ってきた。

 中にはベッドがずらりと並び、アメリアと数人の聖騎士学園の生徒が備品の確認をしている。


「アメリア、決して前に出るなよ。己の身を守り、1人でも多くの傷ついた者を救うのだ!」

「はい!」

「他の生徒たちも、回復薬ポーションで命を繋げ!」


 はい! と生徒たちが声を揃えて答えた。


 天幕テントを出ると、聖騎士学園の生徒たちがずらりと並んでいた。数にして20といったところ。


「上級生の諸君、臆せず残ってくれて感謝だ! お前たちの役目はこの救護所を護り、負傷者を運び込むこと。周りに多くの冒険者が配置されているが、討ち漏らした魔が襲ってくるやも知れん。落ち着いて、敵の赤い核を討て! 授業で学んだことを忘れるな!」


 はいっ! と天幕テントの外の生徒たちも声を揃えて答えた。中には震える娘もいたが、周りの生徒が肩を寄せ合い支えている。年端も行かない娘には過酷な状況だが、聖騎士学園は国を護るためにあるのだ。


「よし、天幕テントに入れ! “闇の空”の落下をやり過ごすぞ!」


 ランドリックの号令で、生徒たちは天幕テントに走っていった。



  ◆  ◆  ◆



 城の中庭に続く通路では、大勢の騎士がひしめき合っていた。

 その列を抜けて、最前列にシャルミナが立つと、すべての騎士たちが跪いた。


「よく聞け! もうすぐ“闇の空”が降り注ぐ! お前たちは身を挺して地下にある聖剣の鍛冶場を護るのだ!」


 騎士たちがざわついた。“身を挺して”ということは“死を厭わず”ということだ。国を護る騎士となったからには当然のことではあるが、改めて命じられると心にずしりとのし掛かる。


「だが、臆するな! 聖剣が打ち上がるまでの数刻を堪えればよい! 聖騎士である我が手に聖剣が届けば、“闇の空”など一蹴して見せよう!」


 騎士たちのざわつきは止まらない。彼らにとって聖騎士といえば、2度の“闇の雫”を退けた聖騎士リィゼのことである。聖騎士になったとはいえ、わがままで良い評判を聞かないシャルミナ殿下にどれほどの力があるのか……。


「“闇の空”が着弾次第、扉を開け放ち中庭に突撃する! 身構えよ!」


 何の策もなく突撃しろというのか? 戸惑う騎士たちのざわめきは大きくなるなるばかりだ。

 そのざわめきを総騎士団長のバルロイはシャルミナの背後で聞いていたが、ただ目を閉じるばかりだった。


 最後列にいた鍛冶職人たちがぼやいた。


「騎士たちは捨て駒か」

「死人が大量に出るぞ」


 オイゲンが白い髭を揺らした。


「なぁに、リーム嬢ちゃんの高位回復薬ハイポーションは、聖騎士リィゼ様がロアンで授けて下さったものと同じはず、どんな傷もたちどころに治してくれるわい。怪我人を助けながら、炉を守り抜くんじゃ」


 鍛冶職人たちがうなずいた。その目は決意に燃えていて、騎士たちよりよほど士気が高かった。



  ◆  ◆  ◆



 上空の“闇の空”が渦を巻き、3つの球体に分かれた――街の城、西、東に合わせたかのように。

 そして、そのまま急降下して街に迫る。


 東の街の広場で、アカべぇは仁王立ちしたままだった。


「狂王殿、建物の陰へ!」


 天幕テントから顔を出してヴォルフが叫ぶが、アカべぇは意に介さない。

 その間にも“闇の空”は空より迫る。やむなくヴォルフは天幕テントの入口を閉めた。


(狂王殿、ご武運を。我らも続きます)


 意気込むヴォルフの口から、大きな牙が覗いた。



 騎士、冒険者、生徒、住民、すべての者が閉ざされた空間で身をこわばらせる中、地を揺るがす衝撃がハーバルの街を襲った。“闇の空”が落ちたのだ。


 城の主塔よりも高い黒い王冠が3つ隆起し、その衝撃で砂嵐が巻き起こった。


 吹きすさぶ砂が打ち付ける中、黒い液体を被ったアカべぇが野獣の如く吠えた。液魔スライムと化した黒い液体がその体を溶かそうと蠢くが、長い毛並みが受け付けない。蘭々と光を放つ目は、まさしく狂王の名に相応しい禍々しさだ。


 丸太のような両腕が、胸の前でクロスされた。その10本の指には、青く輝く鉤爪が皮と鉄の装具で取り付けられている。


 そう、リーゼは鍛えたミスリルの武器をアカべぇに授けていたのだ。


 地響きのような狂王の唸りが轟く中、ミスリルの青き輝きが呼応するように血の色に変わった。


 ――と、同時に全身のピンクの毛が逆立ち、真紅に染まっていく。


 勇者リーゼが授けた専用武器によって、従者はさらなる覚醒を遂げようとしていた。


【次回予告】

アカべぇがついに赤に戻ります。


【大切なお願い】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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