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42 新たな体

 “闇の大穴”の監視砦は、取り囲む凍てつく山々の谷間をふさぐように建てられている。砦の屋上にある物見台では、騎士たちが交代で“闇の大穴”に目を光らせているが、盲点が1つあった。


 頭上だ――。夜空の星が消えていたのだ。


 雲が出ているのかとも思ったが、地平線に近い空では星が見えているのでそうではない。信じがたいことだが、天頂を“何か”が覆っている。


(まさか……)


 騎士の1人が“何か”を察して、“闇の大穴”に目を凝らした。闇に紛れるように、細い紐状の液体が幾筋も天に向かって伸びている。“闇の大穴”を空に移しているのだ。


「バカな……空を覆い尽くすほどの“闇の雫”だというのか……」


 これほど大きくなるまで気づかないとは……。騎士たちは事の重大さにうろたえた。


「なんてことだ……」

「あんなものが落ちてきたら……」


 “闇の雫”がゆっくりと動き始めた。向かうは南、公都ハーバルの方角である。


「で……伝令を急げ! “闇の雫”……いや、“闇の空”が公都に向かうぞ!」


 騎士が砦の中へ駆け込んでいく。魔族との決戦が始まるのだ。



  ◆  ◆  ◆



 地下の鍛冶場に若い騎士が駆け込んできた。乱暴に開けられた扉が、火急の要件であることを物語っている。


 若い騎士は跪くのももどかしく、声を張った。


「陛下! “闇の雫”が! いえ、“闇の空”がここへ向かっております!」

「“闇の空”だと?」


 やっとこを握るゴランが横目を向けて問うた。“闇の空”とは初めて聞く言葉だ。


「空を覆い尽くすほどの闇です! 途中の山に配した学士の計算によると、飛来までは数刻! 夜明けには現れます!」


 夜明けか……わずかに間に合わんな。


 ゴランのやっとこの先にあるハイミスリル鉱は、まだ折り重ねている段階であり、剣の形を成していない。


 リームはハンマーを振るう手を止めた。


「覚悟はしてたけど、ロアンに落ちたのより大きいのが来るみたい。どうする? 撃退してから、また打つ?」


 むぅ……と、ゴランが押し黙った。聖剣を優先すべきか、街の護りを優先すべきか……どちらにも一長一短があり、賭けとなる。聖剣は“闇の大穴”を封じるのに不可欠であり、街の護りにおいても大きな力となる。だが、“闇の空”の襲来に間に合わないのであれば、街の護りに尽力すべきだ。しかし、万一この炉が破壊されるようなことになれば、聖剣を打つことがままならない。


 リームもどうするべきか考えていた。


(誰も死なせたくない。ロアンよりたくさんの闇が襲ってくるなら、みんなで力を合わせなきゃ)


 ゴランがやっとこを置いて、立ち上がった。


「大事なのは、この炉を護らねばならんということだ。聖剣が打てなくなる事態は避けねばならん」


 オイゲンがうなずいた。


「では、炉が破壊されぬよう、護りを固めるのじゃな?」


 ゴランは無言だ。まだ決断しかねていることが伺える。


「陛下、それはなりません」


 開かれたままの扉から、銀白の鎧に身を包んだ女騎士が入ってきた。長い髪も銀色で、肌は血の気のない白。耳の上端が少し尖っている。


「えっ」


 リームが驚きの声を漏らした。その色味のない姿には見覚えがある。

 驚いたのは、ゴランも同様だった。


「シャルミナか? その姿はどうした?」


 そう――髪の色も、肌の色も違うが、その姿形は明らかにシャルミナだった。


 シャルミナは、連れてきた白い髭の騎士と共に、王族らしい優雅な振る舞いで跪いた。


「ファナリス教皇猊下の秘術を受け、聖騎士へと覚醒いたしました」

「なんだと? 聖騎士に!?」


 白い髭の騎士が、跪いたまま言葉を発した。


「確かでございます。魔道士の【鑑定アプライズ】でも聖騎士様と出ました」

「バルロイ……総騎士団長のお前がそう言うのであれば、間違いあるまい」


 ゴランは、ゆっくりとシャルミナに歩み寄り、膝を着いた。


「シャルミナ……その顔をよく見せよ」

「はい」


 顔を上げたシャルミナを、ゴランはじっくりと見定めた。瞳の色も髪と同じ銀に変わっているが、切れ長の眼差しは間違いなく孫娘のものだ。いつもと変わらぬふてぶてしい面構えが、王族のプライドを感じさせる。


「よくぞ……聖騎士となったな」

「……もったいないお言葉です」

「うむ……街の護りを固めるのはならぬと申したな? 何故だ?」

「一刻も早く、私に聖剣をお授け下さい。“闇の空”など一蹴してみせましょう」

「自信があると言うのか?」

「そのために秘術まで受けたのです。私こそが聖剣に相応しい者」

「ふむ……」


 ゴランは振り返り、リームを見た。


「聖剣はいつごろ打ち上がると見立てる?」

「ん……夜が明けてから2時間ってとこかな」

「ワシも同じ見立てだ」


 ゴランは立ち上がり、シャルミナを見下ろした。


「では、聖剣が打ち終わるまでの間、“闇の空”の襲撃から炉を守ってみせよ。聖剣を授けるかどうかは、それからだ」


 シャルミナが再び頭を下げた。


「機会を頂けたこと、感謝いたします。必ずご期待に応えてみせます」

「うむ」


 ゴランが満足げにうなずくと、シャルミナは立ち上がった。


「バルロイ! 城の騎士の配置を、中庭を中心とした布陣に変える。私の指示に従え!」

「はっ! 聖騎士様の仰せの通りに!」


 シャルミナは、バルロイを引き連れて鍛冶場を出ていった。伝令で来た騎士も慌てて続き、一礼しながら丁寧に扉を閉めた。



 …………。


 シャルミナは去ったが、すっかり変わってしまった姿の余韻が鍛冶場を包んでいた。鍛冶職人の何人かは、口を開けてあっけに取られている。


 そんな中、銀白の姿が何なのかを知っているリームは、我を失わず難しい顔をしていた。


 あの姿は、ホムンクルスに間違いない。永遠の命に憧れた大賢者が生み出した人造生命体――。体力や状態異常耐性が低くなるけど、魔法力が高いので魔法剣士や、聖騎士に向いている。ゲームではそういう設定で、ホムンクルスとなるには、元の体とホムンクルスの体を入れ替える必要があった。


(ゲームでは、セーブしてある元の体にいつでも戻れたけど、この世界ではどうなってるんだろ? 元の体はどう保存してるの? 放っておいたら腐っちゃうんじゃ……)


 リーゼの心配をよそに、エリオが真剣な面持ちでゴランに詰め寄った。


「ゴラン様、恐れながら申し上げます。私は、勇者の剣をこの国を救うために調達しましたが、聖騎士リィゼ様のためでもあります。聖剣は、どうかリィゼ様の元に……」


 ゴランとしても、エリオの気持ちはよくわかる。同じ想いだからだ。


「ワシも、リィゼ殿こそ聖剣を授けるに相応しい聖騎士と思っておる。2度も街を救ってくれたのだからな。だが、シャルミナとて、“闇の大穴”を封じるために幼少より剣を鍛え、聖騎士となるために秘術まで受けたのだ。王として、その想いに応えねばならん」


 エリオが跪いた。


「差し出がましいことを申し上げてしまいました。お忘れ下さい」

「構わぬ。勇者の剣を持ち出してくれたこと、心より感謝しておる」


 うな垂れるエリオに、リームがそっと歩み寄った。


「リーム様……」


 そう言いながら首を傾けると、リームが優しく首を振った。


「エリオ、気持ちはうれしいけど、この国を背負うのは、お姫様のシャルミナだよ。平民を見下すイヤな子だけど、聖騎士学園で一番強いし、すごく努力したんだと思う」


 自分の特別補習なんて、ほんの半月ほどに過ぎない。シャルミナは剣技をずっとがんばって来たのだ、凜星が体操や新体操に打ち込んだように。


「あの子は、やっと聖騎士になれたんだよ? 聖剣を渡してあげなきゃ」

「リーム様……おっしゃる通りです。このエリオ、不覚にも勇者の剣への個人的な感情に囚われてしまいました」


 アカべぇの肩にいた妖精ウィンディーネが、うんうんとうなずきながら降りてきた。


「私も、聖剣はリィゼに持ってて欲しいって思うけどね。元は勇者の剣なんだから」

「ウィンディ……そっか……私だって、大切にしなきゃって思ってるよ。今度は……幸せな剣になって欲しい」


 目を伏せ、深刻な面持ちのリーゼだったが、すぐに打って変わって明るい笑みを見せた。


「だから安心して、シャルミナが相応しくないと思ったら、取り上げちゃうから」


 取り上げる? 王族から聖剣を? ウィンディーネはケタケタと笑った。曲がったことが嫌いなリーゼならやりかねない。


 エリオは思わず苦笑いだ。


「リーム様……それは、投獄ものです」


 ゴランが、ガハハと豪快に笑った。


「それでよい! 聖剣を持つ聖騎士は、皆に認められた者でなければならん! 授けるかどうかの見定めは、シャルミナが見事、炉を護り抜いてからだ!」


 エリオがうなずいた。もう異論はない、聖剣は相応しい者の手に渡るのだ。


 よし! 話はまとまった! とばかりに、オイゲンが壁に立てかけてあった戦斧を取った。


「では、ワシらもやれることをやらねばの! 者ども戦斧を取れ! 炉の護りの助けとなるのじゃ!」


 オイゲンのかけ声に、鍛冶職人たちが「おう!」と応えた。


「あ! それなら!」


 リームが子供らしくうわずった声を上げると、おもむろにアカべぇの脇腹をまさぐり始めた。しばらく、くすぐったがって身もだえる森の狂王を見せられるというよくわからない状況に陥ったが、長い毛並みの間から2つの革袋が出てきた。


「オイゲンお爺ちゃん、高位回復薬ハイポーションが入ってるから持っていって。シャルミナはアメリアの聖魔法を平民だからって嫌がるぐらいだし、みんなが傷ついてもほったらかしだと思う」


 何という心遣いじゃ……。オイゲンは鼻をすすった。


「すまんのう……その優しさ、身に染みるわい」


 鍛冶職人たちも、感謝の眼差しをリームに向けた。

 エリオはあらためて、リィゼが聖剣に相応しいと確信した。心優しき者が強き剣を持つべきなのだ――。


 両手の高位回復薬ハイポーションを掲げて、オイゲンが再び鍛冶職人たちを鼓舞した。


「聖剣の完成を見届けられぬのは残念じゃが、もう十分に神業を目に焼き付けたであろう! 行くぞ!」


 「おう!」と鍛冶職人たちが拳を突き上げた。


「アカべぇは話しておいた通り、街の東へ向かって。誰ひとり死なせちゃダメだよ」


 ウガッとピンクのクマが立ち上がって、胸を叩いた。


(狂王殿が向かうのは東か……)


 やっとこを手にしたゴランの顔が少し陰った。気がかりな者が西にいる……。だが、王としてそんな素振りを見せてはならない。


 そんなゴランを察したのか、リームがハンマーを拾い上げながら、そっとささやいた。


「西にいるアメリアなら大丈夫。強い人に絶対護ってって頼んであるから」

「なんだと? なぜ、ワシが聖少女を案じているとわかった?」

「タネ明かしは後で。ほら、ハイミスリルの温度上げてよ」


 悪戯っぽく微笑むリームに、ゴランは苦笑いを返した。


「頼むぞ、聖剣の打ち手殿よ。国を救う力を授けてくれ」

「うん、仕上がりが楽しみだね。ゴランおじさんのおかげで、いい剣になりそうだよ」


 ハーバルの街に危機が迫る中、年齢のほど遠い2人の鍛冶屋の手によって、伝説級の聖剣が生まれようとしていた。


「グレープもよろしくね」


 上機嫌の紫のトカゲが、勢いよく炎を吹いた。


【次回予告】

次回、ついに“闇の空”がハーバルに落ちます。

これまでにない乱戦になるので、期待していて下さい。


【大切なお願い】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 応援して下さる方、ぜひとも

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